質草女房
「それじゃあ、貸した一両はとても返せんな。では、一月は経ってはいないが、質草のおかねさんは約束どおり私が預かるよ」
利兵衛が長吉ににじり寄りました。
「そ、それだけは待ってくれ。女房を質に入れたことは、まだ女房にゃ話してないんだ。なぁ、頼む。後生だから待ってくれ」
長吉は仕事を失ったことで頭が一杯で、おかねを質に入れたことをすっかり忘れていました。そこで利兵衛におかねを質草として預かると言われて、更に慌てました。今の長吉にはまわりのすべてが、自分をいじめているように思えました。
しかし、利兵衛は冷たくあしらいます。
「そうはいかないよ。こちらも商売だからね。元々、私が止めるのも聞かず、無理やりお金を借りたのはお前さんだよ。仕事を失ったのも、女房を借金のカタに取られるのも、みんな身から出たサビじゃないか。けじめはキッチリつけてもらうよ。さぁ、おかねさんのところへ行こうじゃないか」
そう言って、利兵衛は出掛ける支度を始めます。
(ああっ、おしめぇだ……)
長吉は心の中で嘆きました。
利兵衛は胸を張って、堂々と歩きました。長吉はその後ろを俯きながら、小さくなってついて歩きます。
長吉の足袋が地面の砂利をザラザラと引きずりました。
「お前さん、何てことしてくれたんだい!」
事情を聞いたおかねの怒り狂った声が飛びました。
「すまねぇ、おかね。後生だから、勘弁してくれよぉ」
長吉が土下座をして謝ります。
「もう、お前さんって人は! 私は堪忍袋の尾が切れたよ!」
普段はおとなしく、美しいおかねが夜叉のような恐ろしい顔をして、台所から包丁を持ち出しました。
これには長吉ばかりか利兵衛まで血相を変えて驚き、長屋の外まで逃げました。
その時、子供の泣き声が響きました。息子の多助の泣き声です。多助には大人の話の内容はわかりません。ただ、大人たちの壮絶なケンカを目の当たりにし、その恐ろしさに泣き出してしまったのです。
多助の泣き声に我に帰ったおかねは、包丁を下げました。
そして利兵衛の方へ向き直ります。
「亀屋の旦那様、この度はうちの人がとんだご迷惑をお掛けして申し訳ございません。うちの人が私を質草にした以上、旦那様が私を預かるのは至極当然のこと。お供致します」
おかねは利兵衛に深々と頭を下げました。