質草女房
息子の多助は異様な空気を察したのでしょう。あまり鰹には箸をつけませんでした。
翌朝、長吉は「ちょいと行ってくらぁ」と言って仕事に出掛けました。
長吉は自分の女房を質草にした以上、借金を返し終わるまでは真面目に働こうと思いました。
長吉がいつものように親方のところへ行くと、親方が何やら難しそうな顔をしています。そして長吉の顔を見ると手招きをしました。
「おい、長吉。ちょいと話があるんだ」
「へい。何でございましょう」
「おめぇ、昨日何してた?」
「へぇ、ちょいと、そのー」
長吉は返答に困りました。初鰹を食べるために走り回っていたなんて、とても言えません。
「あのー、親戚の叔母が亡くなったんで……」
長吉は嘘を言いました。長吉がよく使う手です。
「お前さんの身内はよく死ぬね。これで何人目だい?」
親方が長吉をギロリと睨みました。今まで断りもなく休んでも、親方がこんなに厳しく問い詰めることはありませんでした。
長吉は返す言葉もありません。
「長吉、お前は今日から来なくていいぞ」
「ひぇっ、そ、そんなぁ、親方ぁ! お願いします。お暇だけは勘弁してください」
長吉の顔が真っ青になりました。
親方は深く目を瞑り、考え込むように言いました。
「そりゃあ、わしだってお前さんの腕は惜しい。だが、お前さんは黙って仕事を休み過ぎだ。お前さんのせいで、どれだけお客さんの信用が落ちたと思う?わしが今、欲しいのはな、腕の良い不真面目な職人よりも、腕はそこそこでも真面目に働く職人なんだよ。悪いが長吉、お前さんには辞めてもらうよ」
こうして長吉は仕事を失ってしまいました。今で言うならばリストラと言うところでしょうか。
長吉は真っ暗な気持ちでトボトボと歩きました。
「これからの暮らしをどうしよう……」
晴れ渡った空の青ささえ憎らしげに感じます。道端の小石を意味もなく蹴りました。
「とりあえず、亀屋のじいさんに相談してみっか……」
長吉は足を亀屋に向けました。
「おや、早かったね。もう、お金ができたのかい?」
長吉を見るなり、利兵衛が声を掛けましたが、長吉の浮かない表情を見て、おおよその察しがついたようです。
「さては、暇を出されたな。どうじゃ、図星じゃろう?」
「ああ……」
長吉が力のない声で答えました。