ベイクド・ワールド (下)
『視点転換 II: 深瀬徹 (Дезик) 』
「今日も出来るかぎりだが、倉庫で思惟の回収と解体を進めているぜ。どうやら街中にもやたらと増え始めているようだがな」とカサイは言った。
「カサイ、ありがとう。街に散らばっている思惟の破壊はベイクドワールドの皆にも手伝ってもらって進めている。だが、まさかこんなことになってしまうとは……。俺の小説では倉庫から思惟があふれ出すなんて想定していなかった。俺の不完全な想像力のせいで、みんなを巻き込んでしまったことを申し訳なく思う」と徹は言った。
「なに水臭えこと言ってんだよ。誰もお前のことを悪くなんて思ってねえ。藤峰も、猶井も、村居だって。……みんな、お前が好きなんだよ。ただ、お前と一緒にいたいんだ。だから、絶対にお前を黒い心臓の男なんかにはさせねえ」
「……ありがとう」徹は小さく笑みを浮かべながら言った。「だけど、責任を感じずにはいられない。君にも倉庫の管理人なんて役割を与えてしまったし、君をこの街に縛り付けてしまっている。本当は、君には自由になってもらいたいんだ」
「自由なんていらねえよ。俺はお前に想像してもらってよかったと、そう思ってるんだぜ。たまに青葉町でおでん奢ってくれるしよお」カサイは、にかっと笑った。「だから、これからもずっと一緒だ」
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「思惟は暴走し、影となって街中を徘徊するようになった。影は俺たちに気が付くと、見境なく襲いかかってくるようになった。具象化物を使って、俺と藤峰たちで影の対処にあたっているが、もう限界に近い。今後、影が統合され、実体を持ち始めたら、いよいよ現実世界に恐ろしい惨劇をもたらしてしまうだろう。だから、俺は想像者としてこの物語に対して最後の責任を果たそうと思っているんだ」と徹が言った。
「お前、何するつもりだ。馬鹿なこと考えてねえだろうな」とカサイは言った。だが、徹はそれには答えない。
「この物語をそのまま閉じてしまったら、想像人物である君も消えてしまうことになるだろう。これは、俺にとってとても悲しいことだ。君に倉庫の管理人という役割を無理やり押し付けた。そして、どうしようもない状態に陥ってしまったら、君もろとも一緒に消してしまおうとしているわけだからね。これ以上のエゴはないだろう。だから、俺は最後に君を自由にしたいと思うんだ。この役からおろしてあげたい」
「何言ってんだ。俺は倉庫の管理人でいいんだよ。お前を黒い心臓の男にはさせない、そのために行動する倉庫の管理人なんだ。俺は自由を望んでねえ、倉庫の管理人をやりたいと思ってんだ」
「分かった。じゃあこうしよう」と徹は言った。「俺は君のその考えを許さない、想像者として。君が自由になるように想像者の束縛を与えるようにする。君を自由にすること、それが俺のエゴなわけだ」
「……は? お前、何言ってんだよ」カサイは思いがけない言葉に一瞬言葉をなくした。「……そんなことしたら、俺はお前を一生恨むことになるぜ」
「ああ、構わないさ。これは俺の意思で、俺が決めたことだから。これは想像者としての俺の最後の仕事だ。君に不自由なほどに自由を与える」
「糞ったれが。だが分かったぜ。じゃあ、俺は自由にやらせてもらう。そして、俺はお前を絶対に許さねえぜ」
「ああ、それでもいいさ」
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「徹は昨日死んだ」と藤峰が言った。「だが、この倉庫はまだ存在しているし、君もまだここにいる」
カサイは笑みを浮かべた。「なんたって、俺は自由になったからな。これを俺が望んだんだ。俺は奴の自由を受け入れないという自由を選んだ。俺は俺の意志で、徹の遺志を引き継いだ。そして倉庫の管理人を続けることにしたんだ。それを奴は望んでいなかったかもしれない。だが、俺の自由とはこういうことだったんだ。俺はこの街で役割を全うし続ける」
「なぜ、こんなことを」
「俺にも分からねえよ。ただ、そうしてえと思った。それしか言えねえな。思ったことには、嘘をつけねえ。これが正しいのか、正しくねえのかもわからねえ。ただ、そうしたかった」カサイはそこで言葉を区切った。「藤峰、お前たちもしばらく自由にしろよ。街に溢れかえっていた思惟も、奴が死んでなくなったんだ。倉庫も機能を取り戻して、順調に思惟の回収と解体をしている」
藤峰は突然、こらえきれないかのように腹を抱えて笑った。カサイは目を丸くして、藤峰を見つめた。
「お前、何笑ってやがる?」
「ああ……まったく。徹の言ったとおりだな」
「は、どういうことだ?」
「カサイ……」藤峰は満面の笑顔を浮かべた。「やっぱり、君は徹から愛されていたってことだよ。君の言う通り、俺たちはこの街をしばらく離れることにする。それまで、つかの間の自由を謳歌することにするよ。けれど、きっと四年後にこの街に戻ってくる。それまでは、君にこの街を頼むよ」
作品名:ベイクド・ワールド (下) 作家名:篠谷未義