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ベイクド・ワールド (下)

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 時が経つと、僕と沙希は何の感情も抱くことなく、機械的に思惟を壊すようになっていた。思惟が壊れる時に叫び声は毎回聞こえたが、その声にも僕たちはすぐに慣れてしまった。ムシカが手際よく思惟を壊すなか、僕と沙希は一個ずつゆっくりと思惟を壊していくというスピード感だったが、大量に落ちていた思惟もあっという間に十数個になっていた。
「三人もいると、かなり効率よく思惟を減らせるな」とムシカは言った。
「ムシカ。君はこの作業をずっと一人で進めていたのか?」と僕は言った。
「ああ、そうだ。毎日、毎日淡々と思惟を壊していた」
「何故、そこまでカサイの言うとおりに動くんだ? これも君のと或る目的のためなのか?」
 ムシカは思惟を2個手際よく壊した後に、ゆっくり答えた。「……ああ。僕のある目的を達成するためだ。どうしても叶えたいことがある。カサイがそれを実現してくれるから、そのために彼のために動いている」
「第四しんぼるの首なし狐像の奪還もその目的だった」僕は呟いた。
 ムシカは黙った。それから具象化していたナイフを一旦しまって、僕の方に身体を向けてからゆっくりと口を開いた。「君に暴力をふるったのは本当に申し訳ないと思っている。ただ、どうしても第四しんぼるは必要だったんだ」
「それもカサイに頼まれた?」
「……ああ」
「理由を教えてくれないか? 僕たちはもうお互いに協力して動いている。君の力にもなりたいと思っているんだ」
「そうね。私たちはお互いにこの奇妙な物語のなかにいる登場人物のようなもの」と沙希は言った。「もとは私のSin-Sekaiのせいかもしれないけど、今はこの奇妙な街に取り込まれてしまった。お互いに協力できることはするべきだと思うの」
「……そうだな」ムシカは俯きながら、小さな声で言った。「君たちには話しても良い気がする。というよりも、別に話せないわけじゃないんだ。ただ、これは極めて個人的な問題だから」
「聞かせてくれないか?」と僕は言った。沙希も頷いた。
 ムシカはゆっくりと頷き、語り始めた。「僕の目的は、もう決して会うことのできない人に会うことだ。彼女はもうこの世界には存在しない。彼女は絶えず、と或る暴力にさらされてこの世界を生きていた。それは、ありとあらゆる暴力と言ってもいい。それでも、彼女はいつも笑顔を絶やさずに生きていたんだ。対して、僕は生きているが、死んでいるようなものだった。人と関わりあうことは避け、まるで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のホールデン・コールフィールドのように、僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になっていた。僕は失うことを極端に恐怖していた。人と関わって生きても、いずれは別れが訪れる。その時に感じる喪失感はきっと計り知れない。そうであれば、最初から足されることも失われることもない均一な世界で一人生きている方がましなんじゃないかと思っていた」ムシカはそこで再びナイフを具象化し、思惟を壊した。思惟の叫び声が辺りに響く。
「僕は施設で育ったんだ。両親も知らないし、親戚も知らない。引き取り手もいない。ある意味、何物にも繋がられていない極めて純粋な存在だ。生まれて直ぐに、ベイビー・ハッチに入れられていた。それからすぐに施設に移されて、今までただ生きてきたわけだ。ただ、僕にも唯一興味をもつものがあった。それはworld’s end girlfiriendの音楽だ。前田勝彦という音楽家によるソロユニットなのだけど、彼の音楽を聴いたとき、僕は何故だか許されたような気持ちになった。何故かは分からない。それに何に許されたのかもわからない。ただ、心地よくて。そして、その音楽が僕の人生と、彼女の人生を交じり合わせることになった。僕と彼女が出会ったのは、僕が施設の前の公園のベンチに座って、イヤホンで音楽を聴いていた時だった。彼女はおもむろに僕の隣に腰をおろして、話かけてきた。何の音楽を聴いているのか、と。僕はworld’s end girlfiriendのall imperfect love songだと答えた。アーティストも楽曲名も全然聴いたことない、と彼女は笑った。イヤホンを分け合い、音楽を聴いた彼女は、不思議な曲だと言った。得体のしれない不安を感じる曲だと。僕にとって心地よかった音楽が、誰かにとっては居心地の悪い音楽だということに気づかされた瞬間だった」ムシカはそこで言葉を区切り、別の思惟に狙いを定め、破壊した。思惟は再び叫び声をあげて、宙を舞った。
「彼女は僕が通う学校の同級生だった。ただ、僕は他者とはほとんど関わらずにいたから、顔を見ても気づかなかった。彼女の方は、気付いていたようだけどね。変わった人、と。それから僕と彼女は、公園のベンチでworld’s end girlfiriendの音楽について語り合うようになった。彼女は居心地の悪い音楽だと、ずっと話していたのに、少しずつこの音楽が気に入っていったようだった。彼女のような明るくて、何でも手に入れられるような人にはずっと受け入れられない音楽だと思っていたから、それは意外なことだった。そして、それは僕にとってとても複雑なことだった。厭な予感がした。そして、その予感は寸分違わずにあたることになった。或る時、彼女は僕に言った。私は命を絶ちたいのだ、と。僕は衝撃を受けた。彼女の口から、死に関する言葉が出てくるなんて。後から知ったことだけど、彼女は絶えず、親からの暴力を受けていたようだった。それにも関わらず、彼女はこの世界を愛していて、笑顔を常に浮かべていて生きていたんだ。僕は罪悪感に苛まれた。僕が彼女を死の世界に導いてしまったのではないか、と。彼女がworld’s end girlfiriendの音楽が気に入ったことは、彼女がこちらの死の世界に足を踏み入れたことを示していたんだと。それを、突き返すべきだった。それなのに、僕は彼女といることが心地よくて、それができなかった。それに僕は死の側の世界にいるはずだったのに、僕は死ぬことを恐れていた。生きていくことに意味を持っていなかったにもかかわず、死ぬこともできない只の臆病者だった」ムシカは持っていたナイフをわなわなと震わせて、地面に突き刺した。
「ただ。僕たちはある日一緒に死ぬことを決意したんだ。雨が降りしきるビルの屋上だ。傘もささずに僕たちはそこに立ち尽くしていた。world’s end girlfiriendのall imperfect love songをMDプレイヤーで流しながら、イヤホンをお互いに分け合い、聴いていた。叩きつけるような雨は、彼女の目から溢れる涙を覆い隠していた。音楽が鳴りやんだ瞬間に、僕たちはこの世界に別れを告げた。けれど、地面に叩きつけられた僕たちは別々の道を進むことになった。つまり、僕は死ぬことができず、彼女だけが死んだ」ムシカの目から涙の筋が流れるのが見えた。その時、僕はあの時のことを思い出した。ムシカの後を追って、たどり着いた屋上で、フード越しに涙を流していた彼の姿。その姿がフラッシュバックした。