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ベイクド・ワールド (下)

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第十五章 ほら、足元をよくみてごらん、今日の君の影は昨日と比べると、とっても薄く見えるよ



 僕たちは三河屋を後にし、青葉シンボルロードの入り口近くにあるマクドナルドに入った。十代の男女が呑み屋街にいるのは明らかに不自然なことのように思えたからだ。僕らはマクドナルドの注文カウンターで商品を注文し、商品を受け取った後、二階へとあがった。座席には二組のカップルがカウンターに座っているだけで客は少なかった。勿論、苛立ちながらノートPCのキーボードを叩くサラリーマンもいなければ、酒の入ったペットボトルと壊れかけのラジオをもった浮浪者もそこにはいなかった。僕らは部屋の隅にある四人掛けの席に座った。僕と沙希が隣同士で座り、その向かいにムシカが座るという恰好だ。ムシカはコーラを啜ってから、少し微笑み、僕を見つめた。それから、ムシカは口を開いた。
「色々なことが目まぐるしく変化してしまって、分からないことだらけだろう。二人ともとても混乱してるだろうね。そんななかで、カサイから思惟を壊せ、だなんて頼まれるなんて」ムシカはそこで言葉を区切り、フライドポテトを食べた。「聞きたいこと、たくさんあるだろう? なんでも聞いてごらん」
 そうだ。分からないことはたくさんある。何を聞けばいいのか、まったく整理がつかないほどに。僕はムシカの顔を眺めた。黒フードをかぶり、顔を伺いしれなかった顔がそこにはさらけ出されていた。こうした明るい場所で彼の顔をまじまじと見るのははじめてだ。よく見ると、彼は幼さを感じる顔つきをしていた。
 咄嗟に「君は何歳?」と僕は訊いていた。
 ムシカは手で摘まみ、口に運んでいたフライドポテトをテーブルに落として、大きな声で笑った。
「僕の年齢? どうしてそんなことが気になるんだい? もっとあるじゃないか。どうして自分の頭をぶん殴ったんだ、とか。どうして僕が沙希のシンセカイを知っていたんだ、とか。カサイと倉庫の話とかさ、いろいろ」そう言い終えてから、ムシカはもう一度大きく笑った。
「若く見えたからね。気になっただけだ」と僕は言った。
「うん、まあ知りたいのなら教えてあげるけれど。減るものでもないしね。僕は十六歳だ。高校一年」
「じゃあ、ひとつ年下なのね」と沙希が言った。僕と沙希は高校二年だ。
「そうだね。君たちは先輩だね」とムシカは言った。「ただ、ベイクド・ワールドの世界では、僕の方が先輩かもしれないね。ほら。ベイクド・ワールドについて知りたいこと、たくさんあるだろ? 聞いてごらんよ」
 僕は手を口に当て、ゆっくりと考えた。それから、ムシカに聞いた。「君はどうしてムシカという役割を与えられたんだろう? たとえば僕は沙希のシンセカイに登場するアルビナのモデルだったわけだ。だから僕はアルビナという役割を与えられた。人間だけじゃない、建造物だってそうだ。シンセカイに登場する塔は駿府城跡がモデルで、大人たちの集会所はセノバがモデルだった。すべて、モデルがあるから役割が付与されたはずなのに君は違うんだ。何故なんだろう」
「それは」とムシカは言った。「不完全だということだよ」
「不完全? どういう意味だ」
「つまり、人の想像力が不完全だということだよ。小説とは、文字を介して一から世界をつくることだ。一から世界をつくることとはどういうことだと思う? つまり、架空の人物に血肉を与え、架空の舞台に重力を与えることだ。人物たちには肺呼吸させ、魚たちには鰓呼吸をさせ、心臓を介して身体じゅうに血液を巡らせなくてはならない。勿論、脳にはシナプスを伝達させなくてはいけないね。そして世界には重力を与え、大地を築きあげ、その七割を海で満たし、そして建築物を立ち並べなくてはならない。君は地球の重力がいくつか知っているかい? 地球の大気の組成や、人間の血液中の酸素や二酸化炭素濃度の割合を知っているかい? きっと知らないだろう? 小説とは極めて不完全なものだ。人間は想像力で架空の世界を補完しようとするけれど、それは決して完全ではなく、不完全なんだ。いくら現実に忠実となるように描いたとしても、綻びは必ずある。ドストエフスキー、チェーホフ、トルストイといった文豪たちだって同じだ。彼らが極めて精緻な文字で築き上げた世界でさえ、綻びはあり、不完全なんだよ。そして、そのように想像力の乏しい人間が架空の世界を作り上げるとどうなるか? つまり、人間が鰓呼吸をはじめ、魚が肺呼吸をはじめる。心臓は身体中に空気を巡らせ、脳には血液を伝達させる。世界の重力は反転し、雨は空へと降り注ぎ、建築物は壁に立ち並ぶ。ここまで言えば、なんとなくわかるだろう? そもそもムシカにはモデルがいなかった。純粋な存在だった。僕、ムシカはつまり、沙希の想像力からはぐれた“思惟”そのものだったんだよ。そのような想像者の束縛からはぐれたものは、自由気儘に行動できる。そして、その自由が暴走した世界。それが今のベイクド・ワールドという世界なわけさ」
 沙希は俯いて、少しだけ考える沈黙した後、口を開けた。「つまり、今の状態はすべて私のせい、ということなの?」
「それは違う」とムシカは言った。「もっと大きな存在が影響している。それは、つまり、この“街”だよ。カサイが言っていただろう? 1980年にあった静岡駅前地下街の爆発事故の話。スマホで調べてごらん。Wikiにも載ってるし、調べればいくらでも情報は出てくる。この事故の原因としては、静岡駅北口側の地下街で発生したメタンガスと都市ガスの二度にわたるガス爆発事故とされているけれど、本当のところは違う。カサイも言っていたと思うけれど、街に存在していた倉庫が機能しなくなって思惟が暴発したんだ。わかるだろう? つまり、僕たちが生まれるよりも前に、この街は変容していたということだ。君のシンセカイは、この街の大きな変容のほんのごく一部にすぎない」
「じゃあ、この街の変容の原因は一体何なんだ?」と僕は訊いた。
「それは、申し訳ないけれど分からない。この街が抱えている謎の根幹は誰にも分らない」
「カサイなら何か知っているんじゃないのか?」と僕は訊いた。
「彼もすべては知らないんだ。すべてを知らないのか、すべてを知っているけれど喋らないのか、本当のことは分からないけれど。ただ、僕の知る限り、彼はこの街にもっとも詳しい存在だ。思惟の解体を行う倉庫の管理人でもあるわけだしね。僕は彼に頼るしかない」
「あなたはずっとカサイのもとで行動していたの?」と沙希がムシカに訊いた。
「ああ。そうだ。地下街を歩いていたらね、彼の方から声をかけてきた。最初は、怪しい占い師だと思ったけれど。彼は僕しか知らないことを言い当てた。詳しくは話せないけれど、僕はと或る問題を抱えていてね。彼は僕しか知らないはずのその問題を知っていた。彼はその問題を解決するための方法を僕に教えてくれたわけさ。それから一緒にいる」ムシカはそこでコーラを啜った。
「その問題を解決するための方法って何だったの?」沙希はさらに訊いた。
「それが……第四しんぼるの首なし狐像の奪取と破壊だった。彼から沙希のシンセカイの話も聞いた。アルビナ、君の存在についてもね」
「君の問題の解決。つまり、目的は一体何なんだ?」と僕は訊いた。