月に吼えるもの 神末家綺談6
「・・・!」
ごう、と強い風が吹いた。音のなかった世界が崩れ去り、木々は嵐を予感するかのように鳴いている。
おおおおん、おおおおん
(鳴き声・・・っ!)
身体を押し戻すほどの咆哮が響き渡り、瑞は耳を押さえる。
「・・・瑞、」
瑞だ。瑞が泣いているのだ。猛烈な風と響き渡る咆哮を押しのけるようにしながら、伊吹は進む。池が見える。真っ赤に染まった池が。その池のほとりに、見たこともない巨体があった。
「瑞・・・なのか・・・?」
真っ黒の毛に覆われた身体。まるで大きな山のようだ。伊吹はそばに寄ってその獣を見上げた。獣は天に向かって鳴き続けている。異形の獣だった。
「瑞・・・!」
狐のように長い尻尾と大きな胴体。尖った耳は長い。前足と後ろ足のほかに、背中から足のようなものが突き出ていた。五本手足。裂けた口からは牙が覗いている。角のようなものが額と、背中や腹から突き出ている。大きな目に白目はない。ボーリングの玉ほどもある目からは、ぼたぼたと涙が零れていた。
それは呪われし姿だった。己の憎しみと悲しみを体現するかのような。
「瑞・・・!」
伊吹は獣に駆け寄ると、その毛並みに抱きついた。恐怖はなかった。かわいそうで、申し訳なくて、ただひたすらにその存在が悲しかった。
「ごめん・・・瑞、ごめん・・・」
悲痛な声で吼え続ける獣の毛を、何度も何度も撫で続ける。
作品名:月に吼えるもの 神末家綺談6 作家名:ひなた眞白