女教師と男子生徒、許されざる愛の果てに~シークレットガーデン
本当に汚物を見るようなまなざしで心優を見る。あまりに無表情なので、眼がねをかけたその神経質そうな顔はアンドロイドのように作り物めいて見えた。
「私は全部聞きました。あなたがあの屑に抱かれて、どのような声を上げたか、どれだけ淫らに乱れたか」
心優の顔色がはっきりと変わった。
本井は聞いていたのだ! 心優と長瀬が殆ど一日中、アパートで愛し合っていたのを。
―付き添いは必要ありませんか?
昨日、本井は学校で長瀬の母に謝罪に行くのに付き合うと言ってくれた。だから、彼は心優が今日、ここに来ることを予め知っていた。
声が、震えた。
「本井先生はずっと聞いていたのですか?」
最初は迷いもあったが、長瀬とのことはもう、後悔しないことに決めたのだ。本当に好きな男と結ばれたのだから、いよいよのときは教師を止める覚悟もできていた。
何より心優自身が誰に強制されたわけでもなく、彼と生きる―運命を共にする道を選び取ったのだ。
帰り際、心優は彼にはっきりと告げた。
―学校ではお互いに馴れ馴れしい態度は取らない、触れないことは約束してね。私はできれば、あなたに大学に行って欲しいし、私も教職を辞めたくはないから。
また、人間としても学校という神聖な場所では、公私混同は避けたかったので、けじめだけはきっちりと付けるつもりだ。
それでももし学校を去らなければならないときが来るとしたら、そのときは従容として運命を受け容れようと考えていた。
心優が怖ろしかったのは生徒との情事を知られてしまったことではない。本井が蛇のような執念深さで自分をつけ回し、あまつさえアパートの外で自分たちの情事に逐一聞き耳を立てていたということだ。
本井は能面を貼り付けたような顔で淡々と言った。
「あなたは長瀬にレイプされた、違いますか?」
短い沈黙が流れた。心優は小さいけれど、はっきりとした声で否定した。
「違います、私はレイプなんてされていません。私も彼を愛していますから」
人の形をした無機質なアンドロイドが喋る。
「あなたはまだ、あんな人間の屑を庇うんですか?」
心優は膚が粟立つのを憶えながら応えた。
「何度申し上げたら、判って頂けるんですか? 長瀬君は屑なんかじゃありません。それに、この世に屑と呼んで良い人なんて、一人もいないと私は信じています。誰だって皆、欠点はあるけれど、一生懸命生きています。本井先生にそういう人を屑と呼ぶ資格はありません」
本井は大仰な溜息をわざとらしくついた。
「あなたのように汚れた女性をたとえ一時でも愛していた自分が恥ずかしいですよ」
そのいきなりな独白には、心優も愕かずにはいられなかった。だが、こんなストーカー紛いの男にそこまで想われていかたと考えると、かえって総毛立つような悪寒に囚われた。
大体、まともな人間が一日中、アパートの壁に耳を貼り付けて他人の密事(みそかごと)を追及するだろうか。アパートの他の住人にも見られただろうし、普通の神経なら、そんな場面を誰かに見られただけで恥ずかしくて立ち去ってしまうに違いない。
そこまでの執着というか執念が、心優は心底怖ろしい。
本井が抑揚のない声で言った。
「一度は愛していた人だ、私はあなたを告発するつもりはありません。私は今日、何も見なかったし聞かなかった。あなたにも出逢わなかった。もし、今日の件について誰かに追求されたとしても、シラを切り通して下さい」
本井は言うだけ言うと、踵を返して歩み去っていった。心優はまさか何かされるのではと身の危険を憶えていただけに、本井があっさりと帰っていったことに心から安堵した。
遠ざかる背中を見つめながら、ふと、この男もまた形は違えども、本当に自分に好意を寄せてくれていたのかもしれないと思った。
だが。事態はそれだけでは終わらなかった。翌々日の朝は週明けの月曜だった。その朝もいつものように定時に出勤すると、職員室には既に大勢の人だかりができ、ざわついている。いつもは静かな朝なのに、その日に限っての騒がしさは妙で、違和感を憶えた。
心優は一年の担任団の机が集まる一角に行き、佐藤沙織に訊いた。
「沙織さん、おはようございます」
「あら、おはよう」
沙織はいつものように愛想が良い。この様子からでは、特に自分と長瀬のことが露見したというわけではなさそうだ。とりあえず胸を撫で下ろしたものの、やはり気になる。
心優は沙織の耳許に口を寄せた。
「何かあったんですか? やけにざわついているようですね」
と、沙織も低声で応える。
「あの二年の問題児、長瀬大翔がついに退学処分になったのよ。あ、あなたが担任だから、満更、関係ないわけでもないわよね。でも、担任教諭なのに、長瀬君の退学を知らなかったの?」
沙織もそのことには愕いているようだ。
心優は唇を戦慄かせた。
「私は知りません! 何も聞かされてはいないんです。どうして、そんなことに」
沙織はいっそう声を潜めた。
「何でも昨日、学園長と校長のところに匿名で電話があったそうよ。長瀬君が他校の生徒から恐喝したとか」
「そんな―、彼はそんな卑劣な行いをする子じゃありません」
動揺する心優を沙織は複雑そうな様子で見ている。
「まあ、あなたがあの生徒に肩入れしてたのは知っているけれど、こうなったからには、もう一切拘わり合わない方が利口というものよ」
「長瀬君の父親はこの処分を黙認したんですか?」
長瀬の父はN電機の社長で、毎年、R高校にも多額の寄付をしている。そのために、今までも長瀬の問題行動を学園側も見逃してきたのだ。
沙織は首を振る。
「話が学園長の耳にまで届いてしまったのでは、流石に退学という形で対処するしかなかったんでしょうね。まだしも高等部だけなら何とか内々で収められたでしょうけど」
最後の頼みの綱も切れた。R学園には幼稚園から高等部まである屈指のマンモス校だ、N電機の社長が幾ら大口出資者でも、いざとなれば切り捨てることはできる。その他にも財閥や政治家の御曹司、名家の子弟も生徒にはいるし、生徒自身が多額の寄付をできるタレントまでいる。
生徒が恐喝を働いたという不名誉を敢えて見過ごして世間の不評を買うよりは、長瀬一人をさっさと切り捨てた方が賢明だと学園が判断したのは当然ともいえた。
沙織が笑顔で言った。
「これで問題児が一人減るわね。私は心優ちゃんがあの長瀬君ととかくの噂があったから、これでも心配はしていたのよ。やっぱり、噂は事実無根だったのね。噂の出所はあの村田さんらしいから、あなたもせいぜい気を付けて。あの人は自分より若くて綺麗で優秀なあなたに妬んでるのよ」
沙織もやはり長瀬に対して偏見を持っていた。この人だけは違うと思っていただけに、心優の落胆は大きかった。この学校の教師は皆、本井や沙織のような連中ばかりなのだろうか。
作品名:女教師と男子生徒、許されざる愛の果てに~シークレットガーデン 作家名:東 めぐみ