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女教師と男子生徒、許されざる愛の果てに~シークレットガーデン

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 普段は誰も眼に止めることはないが、今日の心優のようにふと誰か行きずりの人が眼を止めて、そのささやかな存在に気づいてくれる。野原といえなくもないけれど、けして、たいそうなものではなく、せいぜいが数十メートル四方の小さな空間、その小さな小さな秘密の花園を見ていると、自分の心の奥底を覗いているかのような錯覚に囚われた。
 人は誰でも秘密の庭を心の奥に持っている。ならば、心優がそこに隠している想いは何なのだろう。
 応えが見つけられないまま、やがて、電車はN駅に到着し、心優は一週間前と同じようにアーケード街を通り、彼の暮らすアパートを目指した。今日は土曜日なのに、アーケード街はどの店もシャッターを下ろして、ひっそりと静まり返っている。
 元々、客も少ないのだろう。先週、来たときもここを通る人はまばらで、その殆どが地元の人たちばかりのようであった。今、すべて戸を固く閉ざした、うっすらと暗い店の前をたった一人で歩いていると、あたかも自分がこの世で最後の人間になったかのような、無人の廃墟にいるような気になる。
 もちろん、それはほんの束の間の白昼夢にすぎず、アーケード街を抜けた先はまた光に溢れたごく普通の街並みがあった。兄妹らしい八歳と五歳くらいの男の子と女の子が手を繋いで走っていくのとすれ違う。
 脇道から現れたシルバーカーを押した腰の曲がった老婦人がゆっくりと追い越していった。
 一度行ったことがあるので、今度はすぐに辿り着けた。?こまどり荘?と大きな看板が掲げられた一号室の前を通り、三号室まで行く。
 土曜だというのに、人の気配はあまり感じられない。隣の五号室の前には錆の目立つ年代物の洗濯機で中年男性が洗濯をしていた。単身赴任の人なのだろうか。
「おはようございます」
 と挨拶すると、向こうも軽く頭を下げた。
 三号室のブザーを押せば、ブーッとまた気恥ずかしいほど大きな音がして、ほどなく扉が内側から開いた。
 今日は長瀬は家にいるようだ。来て良かったと心から思った。心優は伸び上がるようにして、つい家の中を窺ってしまう。
「なに?」
 長瀬が刺すような視線で見つめ返してきた。早くも心が折れそうになるのに耐え、心優は殊更明るい声音を出した。
「お母さんはいらっしゃるの?」
 これは何も咄嗟の思いつきの科白というわけではなかった。一度しか逢ったことがないのに、ホアという女性は強烈な印象を残した。
 もちろん、良い意味でのだ。人懐こくて明るく、誰よりも優しく強い。いつでもどこでも全力で我が子を守る母ライオンのように雄々しい。
 ホアというのはベトナムでは女性名として最も多いといわれている。ホアは花を意味する。彼の母はその名のとおり、逆風にも負けない凜として咲く花のようだ。
 日本人ではないのに、何故か、長瀬の母のような女性にこそ?日本の母?という古き良き時代の呼び方がふさわしいように思えるのは不思議だ。
「お袋なら、出かけてる。今日は恋人とデートだって浮かれまくってたから、夜まで帰らないと思うけど」
 その言葉に、心優はハッとした。長瀬の整った顔には愁いや嫌悪感はない。彼もまた働き通しの母親が女としての幸せを追い求めることを寛容に受け止めているのだ。
「残念、甘いものがお好きだって聞いたから、ケーキを買ってきたんだけど」
 自宅近くの喫茶店でショートケーキを数個、箱に入れて貰ってきたのだ。長瀬は肩を竦めた。
「生憎だね。俺はお袋と違って、甘いものは苦手なんだ」
「じゃあ、これをお母さんに」
 箱を差し出すと、彼は黙って受け取った。
「じゃ」
 そのまま素っ気なくドアが閉まろうとする。心優は慌てて言った。
「待って」
「まだ何かあるのか? 用は済んだろ」
 取りつく島もない。心優はまた折れそうになる心を叱咤した。
「あなたにも話があるの」
「俺はないよ」
 あっさりと返され、またドアを閉めようとする彼に向かって心優は叫んだ。
「コーヒーが飲みたいの」
 一瞬ポカンとした彼は呆れたように鼻を鳴らした。
「コーヒーなら、勝手に一人で飲めよな」
「長瀬君と飲みたい」
「ハッ、何を考えてるんだか」
 しようがないと言いたげな顔で長瀬は三和土に脱ぎ棄ててあったスニーカーを突っかけた。
「この辺りは休みになると、どこも店を閉めちまうんだよ」
 ドアに鍵をかけながら、呟いた。
「マ、探せば、どこかにあるだろう」
 心優は思いきって言った。
「ね、長瀬君の淹れたコーヒーを飲ませて」
「―」
 彼がジロリと一瞥した。
「俺ン家のは安っぽくて、まずいインスタントだぜ」
「この間、お母さんがご馳走して下さったの。美味しかった」
「あー、うざ」
 そう言いながらも彼は向き直り、かけたばかりの鍵をガチャガチャいわせながら開けた。
「汚くて足の踏み場もないけど、良いのか?」
 それには応えず、心優は彼の後から続いて家の中に入った。勧められもしない中から上がり込み、勝手に奥の和室に座った。長瀬は心底愕いたように彼女を見ていたが、お手上げだというように首を振り、キッチンスペースで湯を沸かし始めた。
 言葉には反して、今日も先日と同様、狭い家の中はきちんと整えられていた。母子ともに几帳面な性格が窺える。
「お母さま、素敵な方ね」
 心優は明るい声で言った。背を向けている彼の表情は見えない。ほどなく、トレーに湯気の立つカップが二個乗せられて、運ばれてきた。
「俺はブラックだから、何も入れてない。クリームと砂糖も持ってきたんで、後は適当にしてくれ」
「ありがとう、頂きます」
 砂糖を小さなスプーン二杯とクリームも二杯入れて、かき混ぜる。そんな彼女を長瀬は珍しい生き物を見るかのような眼で見ていた。
「女って、どうして、そんな甘ったるいコーヒーが好きなんだ?」
 そういえばと、心優は思い出した。彼の母が作ったコーヒーは最初から砂糖もミルクもたっぷりと入っていた。
 長瀬がなおもジロジロと見ているので、心優は小首を傾げた。
「何か変?」
「いや」
 彼は首を振り、また心優を感情の読めない瞳で見た。
「何かいつもと雰囲気違うよな。学校ではスカートだし、何かいかにも女教師風な固い感じじゃん。今日の先生は別人みたい。俺はこっちの方が断然良い。髪も降ろした方が俺は好きだな」
 単にヘアスタイルのことを言われただけなのに、彼の口から?好き?という言葉が飛び出しただけで、頬が熱くなる。今更ながらに自分は彼が好きなのだという事実を再認識してしまった。
 心優は慌てて話を変えた。
「お母さんも甘いコーヒーが好きなの?」
 長瀬が意外そうに言った。
「えらくお袋と意気投合したんだって? あの天然・マイペースのお袋と話が合うって、先生も頭のどっかのネジが緩んでるんじゃねえ?」
「お母さんは天然でもマイペースでもないわよ。あなたのことを心から思っている素敵な人じゃないの。親に対して失礼なことを言うものじゃないわ」
 その時、長瀬が初めて笑った。久しぶりに見る彼の屈託ない笑顔に、心優の心臓が撥ねた。
「お袋のことをそんな風に言ってくれたのは先生が初めてだ。今までの担任は皆、お袋のことをよく思っていないみたいだったし、実際、本井なんかにはさんざん悪く言われたし」