女教師と男子生徒、許されざる愛の果てに~シークレットガーデン
「失礼ですが、長瀬君はお母さんはいまだに日本語が上手く喋れないから、家庭訪問には来て欲しくないと言われているんですが」
「ふふっ、あの子がそんな嘘をついてるの。大翔はあたしをあんまり知り合いに逢わせたがらないんだよ。あたしって、誰にでもこの調子で喋るから、あの子が嫌がるの」
確かにユニークな母親だが、恥ずかしいというほどではない。きっと、彼が母親を紹介しないのは世間の冷たい視線に無防備な母親を晒したくない、守りたいからだとこの時、心優は確信した。
「私はそんな風には思わないですよ、長瀬君はきっとお母さんを守りたいから、誰にも逢わせようとしないんだと思います」
難しい言葉を使わずに簡潔に言うと、母親は歓んだ。
「やっぱり、あんたは良い子だ。流石は大翔が見込んだだけはある」
まだ勘違いしているようではあったが、まだ大切な話が残っていた。どれだけ責められても仕方ないと覚悟をしていただけに、真逆な反応を母親から見せられ、肝心の長瀬の大学進学の話を忘れていた。
勘違いはとりあえず置いて、心優は?実は?と切り出した。
「今日、お訪ねしたのはもちろんお詫びが目的なんですが、その他にも是非、お母さんに聞いて頂きたい話があって」
「うん、この際だから聞くよ」
これも極めて話しやすそうな雰囲気だったので、心優は思いきって話してみた。母親はいちいち真剣な顔で頷きながら耳を傾けていた。
長瀬にも話したことをもう少し判りやすく詳しく話し終えた後、母親は難しげな表情で考え込んでいた。先刻までとは別人のような雰囲気に、心優は絶望の色に心が染まった。
恐らく、母親も彼の大学進学には理解を示さないのではと、心優が思いかけた矢先、母親が言った。
「弁護士になりたいって、あの子が言ったのよね?」
「はい」
もちろん、母親が本妻に虐げられている姿を見て彼が決意したとは語っていない。その辺りは?自分たちのように弱い人間を助けたくて?決意したのだと適当に話を曖昧にしていた。
母親が流暢な日本語を喋るので、彼の話はすべて嘘なのかと疑いそうになったけれど、この母親なら乗り込んできた本妻に土下座してひたすら詫び続けたろうし、長瀬は大切な母を打った本妻から母を守ろうと果敢に立ち向かっていっただろう。今なら、素直にそう信じられた。
恐らく長瀬は嘘は言っていない。
「あの子、あたしの前では、そんなことは一度も口にしたことがないのよ。あたしの知らないところで、大翔はそんなことを考えてたのねえ」
母親はしんみりと言い、心優を見つめた。強い意思を宿した瞳だ。心優もそれを逸らすことなく受け止めた。
「あたしはできることなら、あの子の望みを叶えてやりたい。そのためには、先生の言うように、ちゃんと授業に出て、宿題とかも全部出さないと駄目なんだね?」
心優は長瀬と生き写しの黒い瞳を見つめながら、しっかりと頷いた。
「長瀬君の成績なら、十分、有名私立でも合格できます。でも、先ほども申し上げたように、今は内申書の影響もおろそかにはできないですから、やはりそこはもっと真面目にならなくては。ですから、お母さんからも息子さんにその点をきちんと諭して上げて頂けませんか?」
一拍の間も与えず、母親は頷いた。
「判った、あたしからも息子に言ってみるよ。恥を言うようだけどね。先生、あたしと大翔の父親との縁はとうに切れてるんだ。だけど、あの子はちゃんと産まれたときに父親の戸籍に入ってるし、今もあの子の掛かりだけは滞りなく払ってくれる。だから、あの子が望みさえすれば、父親は馬鹿でかい私立の学費だって払うだろうね。後は息子のやる気一つってところだわ」
「ですが、お父さんの方はいずれ、長瀬君にN電機の後を次いで欲しいと願っていらっしゃるのではないですか?」
控えめに問うと、母親はまたも豪快に笑い飛ばした。
「そんなのは二の次の話。あたしはあの子がそんなでかい夢を持ってるなら、全力で応援したい。それに、たとえ弁護士にならなくても、法学部で学ぶことは大企業の社長になるためにも大切だよ」
「そうですね」
心優は頷いた。こんな賢明で常識的な母親に育てられた長瀬が根っからの問題児であるはずがない。今はそう信じられたし、信じたかった。
母親が嘆息混じりに言った。
「あの子も中学に入るまでは真面目な子だったのよ。でも、あたしがあの子の父親―長瀬と別れてから、人がすっかり変わっちゃったの。中学に入って早々、新しいクラスメートにあたしのことで、からかわれたらしくてねえ。何でも、あたしが夕方、同伴出勤してるところを運悪く塾帰りの友達に見られたみたい。母親が男といちゃついてるとか言われて、言い合いになって、殴り合いの喧嘩までしてさ。そのときからよ、大翔がグレたのは」
エキゾチックな美しい彼女の眼には涙が溢れていた。
「あたしも判ってはいるのよ。息子のためには今の仕事を止めた方が良いって。でも、あたしみたいに学校もろくに出てなくて、何の取り柄も技術もない外国人の女が生きていくには、こういう仕事しかないの」
陽気そのものだった彼女の突然の涙に、心優は胸をつかれた。
「私も息子さんの夢が叶うために全力で応援します」
そう言うと、母親は眼を輝かせた。
「あたしらはどうやら気が合うみたいだねえ。きっと良い姑と嫁になれるよ」
いまだ誤解は解けないままだ。心優は大切な話も終えたことだしと、今度はこの誤解を解いておこうと口を開いた。その時、立て付けの悪いドアが外側からたたきつけられるように開いた。
「お帰り、あんたの惚れた彼女が来てるよ」
間延びした母親の声に、長瀬の顔が強ばった。心優を睨みつけてから、今度は母親に噛みつくように叫ぶ。
「彼女に何を話した?」
彼の母はのんびりと言った。
「色々」
母親を相手にしていても埒があかないと悟ったのか、長瀬はいきなり心優の手を掴み、引っ張って外に連れ出した。
「女の子に乱暴は許さないよ」
母親の声には頓着せず、長瀬は心優を引きずるようにして歩いていく。
「離して、そんなに引っ張ったら、痛いわ」
その声で、長瀬は我に返ったようだ。心優の細い手首からまるで熱いものに触れたようにパッと手を放し、彼女を鋭い瞳で射貫いた。
「お袋と何を話した? それから、何を聞いたんだ」
矢継ぎ早の質問に、心優は眼を見開いた。
「大学進学のことよ」
次の瞬間、怒声が響いた。
「余計なことをするなッ」
あまりの剣幕に、心優は竦み上がった。蒼褪め、身体を震わせる心優に気づいて、彼は心優の方に手を伸ばし掛けてまた引っこめた。
「ごめん、先生。俺、先生を怖がらせるつもりはないんだ。けど、もうこれ以上、俺に構わないでくれよ。俺とお袋は今までも誰の力も借りずに自分たちでやってきた。今更、今の生活を他人にひっかき回されたくはない」
「私は長瀬君とお母さんの生活に口出しするつもりはないわ。でも、あなたに弁護士になるという夢だけはどうしても叶えて欲しくて」
長瀬の顔色が明らかに変わった。
「あのこと、俺が弁護士になりたいっていう夢をお袋に話したのか!?」
身を乗り出してくる彼は怖ろしいほどの迫力があったが、今度は心優は引き下がらなかった。
作品名:女教師と男子生徒、許されざる愛の果てに~シークレットガーデン 作家名:東 めぐみ