帰れない森 神末家綺談5
想いと想い
音のない世界。月明かり。伊吹は森に立っていた。夜毎自分を呼び止める瑞はいなかった。夢が、変化している。紫暮が言ったように、進んでいるのだろうか。森の奥へ進みたいという渇望が、足を踏み出させる。
瑞を知るために京都に来た。大いなる覚悟を伴って。だからなのか、警告を発する者は消え、伊吹の前には秘密を隠した森だけが横たわっている。
(この奥に、きっとあるんだ・・・)
瑞の秘密が。
怖いものをみるだろう。瑞はそう言っていた。だが、見なくてはいけないのだ。どうあっても。
夏草の、匂い。風はない。月明かりが降る森を、伊吹は誘われるようにして歩く。裸足だった。柔らかな感触。木立の隙間を縫う青白い光が作る影を踏みながら、歩く。
「・・・池?」
木々の隙間を抜けると、開けた場所に出た。池だった。風がないためだろう、鏡のように月を映し出している。
(・・・誰か、いる)
池のほとりに、こちらに背を向けてかがみ込んでいるのがわかった。見覚えが、あるような気がする背中。月明かりに逆光で、黒い影のように見えた。
「・・・誰?」
声が震えているのがわかる。答えはない。おそるおそる近づくと、背中を向けている人物の前に、何かが横たわっているのが見えた。白いのは、着物の裾だろうか・・・そして黒い、長い髪が、草の上に・・・。
「誰だ!何してるんだ!」
声を荒げると、音もなくその人物が立ち上がる。伊吹は見た。その人物の足元に横たわっているのは、瑞だった。白い装束と、乱れた黒い髪。そして。
「っ・・・・・・!」
こちらを向いて見開かれた瞳。その目には光も闇もない。虚無が巣食ってあらぬ方を見つめている。死んでいるのだと、ひとめでわかった。
「瑞・・・」
だめだ。これは、みてはいけないものだ。
「・・・おまえは、誰だ・・・瑞に、何を、した・・・」
伊吹の本能が警告する。伊吹はあとじさる。立ち上がった黒い影が、ク、とこちらを振り返ろうと首を動かすのが見えた。
これが誰か知っている。だけど見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない!
作品名:帰れない森 神末家綺談5 作家名:ひなた眞白