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「I」

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 卒業式の講堂は高校の敷地内にあり、普段から高校との行き来も多いこともあってほとんどの生徒が卒業式を退屈な式だと考えていた。
 それでも三年間着なれた紺色のブレザーと濃いグリーンのチェックのプリーツスカートという制服とはこれでお別れだと、式の後はそこかしこで記念撮影をする生徒がたくさんいた。 
 
 三月の終わりの日差しの暖かな日だったが、風が強かった。数日もすれば桜が開花するという予報が出ていた。

 卒業証書を手に帰宅しようと正門へ向かった時、その門柱に久しぶりに燈の姿を確認した。人垣の輪から外れた燈は、いつも一緒のの友人たちも取り巻くように集まる下級生たちもおらず一人だった。
 紺色のブレザーに卒業の赤い花飾りがついていた。わたしの花飾りはピンクだった。それは彼女は越境入学までして入ったこの学校で上へはそのまま行かずに、外部へ進学することを示していた。
 
 燈は誰かを待つように門柱にもたれてぼんやりと春の風に吹かれていた。切りそろえた黒髪をうるさそうに押えていた。
 もうこうして見かけることもないのだなと思いながら会釈をして、そのまま通り過ぎようとした。
 けれどその日、久しぶりに彼女がわたしの名前を呼ぶのを聞いた。
 
 わたしが多分驚いた顔をしていると燈は急に生気が吹き込まれたように、華やかに笑った。笑って、そして息を吐き、手に持っていた卒業記念のカーネーションをくれた。これまでお土産だと言ってはミカンやクッキーをくれた時のように。
 
 お礼を言って受け取ると、燈はひどく静かな目をしていた。
 それはたぶん初めて理科室で出会った時に見たそのまだ幼かった頃に似ていた。親しげでもなく、苛立ちもなく、ただただ静かだった。
 わたしは彼女に何かを言うべきだと考えた。けれど、何一つわたしの中に言葉がなかったのだ。
 何も言うこともできず、思いつかずわたしは彼女を見つめ返した。
 それだけだった。

 さよなら、と燈は言いそしてそのまま一人で帰って行った。最後まで彼女は特別な何かを語ることもなく、そしてわたしは尋ねる言葉をもたないままでいた。
 それっきり燈には会っていない。彼女の消息を、彼女のクラスにいた子たちや下級生たちなら知っていたかもしれないが尋ねてはみなかった。尋ねようと思ったこともない。
 会いたくないわけではない。けれどきっと聞いてもわたしは彼女に何もすることができないと思うからだ。


「でもさあ、わかんないけどもう違うんじゃない? もうこれだけたくさん自分の話ができるじゃん綾瀬さん」
 物好きな千寿は、長い長いわたしの話を飽きもせず聞き終えてそんな風に言った。
 はじめに千寿がわたしに話をはじめろと言いだしてからすでに季節は一巡していた。わたしたちは再び時々同じキャンバスに通っている。
 変則的なクラスの取り方をした千寿は、こちらのキャンバスで行われる授業に出なくてはならない日があるからだ。大した移動ではないし、興味がある授業なのだからしかたがないと言う。

 会うのはキャンバスだけではない。
 バイトを少し減らした千寿は、時々わたしの家の最寄の駅にあらわれ、そして時々わたしを街へ連れ出そうとする。 
 わたしは断る理由を思いつかず、誘われるがままに出かけることが増えた。
 
 空き教室の机にもたれるように座っていた千寿は一人でうんうんと頷いている。
「おもしろいねー。俺だったら絶対めちゃくちゃ聞いてるわ。黙ってらんない。どの時もどの場面でもガンガン言ってくね。水風船とか投げつけられたら猛突進しちゃうね」
 そう言ってから、千寿はわたしを見た。
「けど、言わない綾瀬さんだからその人たちは友達だったのかなとも思うけどね」
 わたしは首をかしげて少し考えた。
「悩んでるのは、友達ってなんだろうってこと?」
 千寿はわたしの疑問に疑問形で返した。
「さあねえ、なにって言われると俺にもちゃんとは答えられないかなあ。でもさあ、ねえ綾瀬さん」
 ねえ、と千寿はもう一度繰り返した。
「綾瀬さんが話をしている間、俺にしては一応途中で感想言ったり自分の意見で横やりはさむのを控えたつもりなんだよ。これでもね?」
 わたしは頷いた。 
「なんでかっていうと、綾瀬さんは俺の友達だからだよ。わかる?」
 千寿は首を傾けてわたしの目を覗き込むようにした。とび色をした彼の眼はいつでも好奇心に満ちているが不快ではない。
 
 けれどやっぱりわたしにはわからないのだ。

「最初に綾瀬さんを見た時は、すごくおとなびてる人なんだなあって思ったんだよね。同級生の女子でそんな落ち着いてる人少ないし。浮いてるようででもずーんって深海くらい沈んでる感じで不思議な感じだったし」
 にこにこと千寿はわたしの第一印象を語る。
「こうやって話してると人間、まずはファーストインプレッションの誤解からスタートして少しずつイメージのすりあわせしていくんだなってよくわかるよ。綾瀬さん全然おとなじゃなかった。多分俺の知ってる女子の中でもかなり群を抜いてまだまだお子様だね。赤ちゃんレベル」  
 返事のしづらいことをずらずらと並べ立てるので、とりあえずわたしは口をはさまずにいた。
「小さい時の幼馴染は別として中学の時の友達もきっとそうだったんじゃないかな。わかんないけどね。俺の想像だけど」

 俺の想像だけど、と千寿はもう一度念を押した。
「綾瀬さんが最初自分の友達より大人に見えて、でもそうじゃないことがわかって腹を立てて、それでも結局彼女は綾瀬さんを許したんじゃないかな」
 許す、と千寿は言った。
「ああ、別に綾瀬さんがその子になにか悪いことをしたって意味じゃないよ。その子もおんなじようにただ子供だっただけってことだよ」
 わたしが千寿の言葉に引っかかったことに気が付いたらしい。彼は慌てて今自分が発信した言葉を打ち消すように片手を振った。
「子供の頃って一日がすごく長く感じなかった? そのわりにあっという間に時間がすぎていくんだ。だから彼女はスピードに乗り遅れて、でも最後の最後に追いついて綾瀬さんと仲直りがしたかったんだよ。きっと」
 俺の想像だけどね、と千寿はしつこく繰り返して笑った。
「いつかその二人に会ってみたいなあ。どんな人たちなんだろ。綾瀬さんから聞いたイメージと現在の本人のギャップとか面白そうだよね。特に幼馴染なんかは今はもう綾瀬さんには似てないよね」
 
 わたしとあっちゃんは、子供の頃ですら似ていただろうか。共通したのは、無口なことくらいだった気がする
 。わたしもあっちゃんも他人と話をするのはひどく苦手だったけれど、それで構わないと思っていたわたしとは違ってそれでもあっちゃんは他人と話ができない自分自身を好きではなかったように思う。

「そうかもね。そういう意味では似てなくて、でもやっぱり似てるんだと思うよ。まあそれは他人から見ての話だから綾瀬さんがわからなくてもいいんだよ」
 千寿は自分の意見にこだわらず笑った。
「いま全部わかる必要もないしね。俺たちがこうやって話していられる時間も限られてるけど、まだ余裕はあるじゃない。ゆっくりわかっていけばいいんだよ」
 今までそうしてきたように、と千寿は付け足した。
作品名:「I」 作家名:真央