「I」
「俺は呑気なほうじゃないけれど、そのくらい費やす時間はもってるんだよ」
千寿はにっこりと笑った。
「え? なんでって? 最初に言ったと思うんだけどなあ。俺は綾瀬さんの友達になりたいんだよって。友達ってそういうもんじゃない?」
ね? と千寿は念を押すように繰り返しそしてもたれていた机から体を起こした。
「でさあ、いまさらなんだけどね」
千寿がはにかむように目を伏せるので、何を言われるのだろうかとわたしは思わず身構える。
「綾瀬さんの下の名前って教えてもらえる? なんだかんだで聞きそびれたまんまでさ、知らなかったのかよって突っ込まれるとつらいなと思って何気にスルーしてきたんだけどさ」
人生は旅のようなものだと、いつか彼は言った。それぞれの出発のベルが鳴るまではもう少し時間があるんだろうか。
わたしは今度こそは、それまでにちゃんと千寿に渡す言葉をみつけることができるんだろうか?
「だいじょうぶだよ、もう綾瀬さんはちゃんとできると思うよ」
どんな根拠があるのか、千寿はそんな風に笑う。
とりあえず、わたしは自分の名前を千寿に教えるところからはじめてみようと思う。
わたしはゆっくりと息を吸い込んだ。これまで何度もいろんな場面で名乗って来た自分の名前を、目の前の人にあらためて告げるために。
「……亜衣」