「I」
タイミングを逸した言葉は、いつもしばらく胸の中で凝ったままだ。
やがて吸い込まれて消えるまで、居心地悪い思いをさせられる。これもまた、きっとそうなるのだろう。
千寿は三週間の旅行の最後にフランスへ行ってから戻るといっていた。
来月二年生になれば、わたしはキャンバスを移動することになる。これまでのように学内で見かけることはなく、直接イングランドの話を聞く機会はなさそうだ。
どこに行っても変わらないのは、本当はわたしではなく千寿のほうだろう。
そう思いながらPCの電源を落とした。
「あー、うんうん。女子にありがちなタイプだねー」
四月、最初の土曜日。
わたしの予想に反して、千寿はわざわざわたしの家の最寄り駅までやって来てそう言った。
イングランド土産だというチョコウエハースも改札越しにくれた。
「クラス替えしちゃうと、もう違う友達とつるんでて前のクラスの子と遊ばなくなっちゃう女子多いんだよね」
千寿は屈託なく笑った。
「でもさ。大学から片道電車一本乗り換えなし二十分だよ? 綾瀬さんの家。まあ、言われなくても知ってるだろうけどさ。そんなの全然距離があるうちに入らなくない? たった四駅だよ?」
ねえ? ともう一度念を押すように千寿は首を傾けた。
「遠くに転校しちゃった小学生なら連絡が取れなくなったりするだろうけど、もう俺ら成人する大人じゃん。たとえ少々のハードルがあったとしてもいくらでも手段はあるよ。本人にその気があれば、だけどさ」
なければ、ハードルが有るも無いも関係ないと千寿は続ける。そのとおりなのでわたしは黙ってうなずいた。
ハードル。わたしたちの場合では、あえて連絡を取ろうという積極的な理由だろうか。
「あるじゃん、理由」
千寿ははあ、とため息をついた。
「だって、友達でしょ? え? 違うの?」
違わない、とは思う。けれど、よくわからない。彼にはわざわざ離れたキャンバスの友人に会わなければならないほど、友人の人材は不足してないだろう。
「ふうん」
千寿はスカイブルーのパーカーのポケットに手を突っ込み、あいまいに唸った。
「俺的には、相手が何してるのかな、と一瞬でも思ったらそれが理由なんだけどね。まあいいや。積極的な理由か、理由ねえ」
わかった、と千寿は言った。
「じゃあさ、綾瀬さんの話をしてよ。聞くから。暇なときでいいよ。お互いの都合があうとき時々こうやって待ち合わせて聞かせて」
何がわかったのか、彼は唐突な提案をした。わたしの話とはなんだろう。
「だからさ、いつも俺が寄って来て俺の話をするでしょ。または俺が興味のあることを綾瀬さんに振るとかさ」
そのとおりなので、わたしは黙ってもう一度うなずく。
「結局これも俺が綾瀬さんに話題を振ってってことにはなるんだけど。綾瀬さん自身の話を聞かせてよ。綾瀬さんが何が好きで、何が嫌いで、何に興味があって、何を目指してるのか。どこから来て、どこへ行きたくて、どこに行くのをやめたのか」
ね? と千寿はわたしをのぞきこむようにして笑った。