「I」
やっぱり褒められてはいなかったらしい。褒められたかったわけではないけれど。
「ああ、そうだ。だいじなもの渡すの忘れてた。おおっと、だいじなものとか言っちゃって俺自分でハードルあげちゃったし」
わたしが複雑に思っているのにもかまわず、千寿は一人で喋って辛子色のパーカーのポケットをまさぐっている。
「あったあった、はい。おみやげ。綾瀬さんの分」
ゼミの友人たちと十二人の団体で長野へ行ってきたのだという。小さな紙包みを取り出すと、千寿はわたしにくれた。
「小さいペンションだったからね、ほぼ貸し切り状態。一人だけ岡山から来たっていうおじさんもいたけど、途中からもうその人も込みで大宴会だよ」
受け取ったわたしの礼も耳に入ってないと思われる勢いで、千寿は長野であった出来事を細かくわたしに話して聞かせてくれた。
話に出てくる登場人物の中には同じ授業を受けているという女子も数名いたらしいが、名前を教えられても特徴を並べられても誰もあまりぴんとこなかった。
旅行が好きなのか、と問うと千寿はわずかに考えるように視線をあげた。
「んー。まあ好きなのかな? 旅行がっていうか、知らないところに行くのが好き。これまで言ったことのない場所に行くのが好き。見たことのないものを見るのが好き」
そう言って千寿は少し笑った。はにかむように。
「人生なんて、旅の連続みたいなもんでしょ?」
なるほど、とわたしは頷いた。
わたしたちはいつもどこかそれぞれの行先に向かって進んでいかざるを得ない。回遊魚のように。停滞は死と同義だ。
立ち止まっていてすら、時間は常に一方へのみ流れて戻ることはない。
目的地に合わせて電車を選ぶように、何度も乗り換えを繰り返しながら前へ前へと進んでいく。
その先に何が待っているのかもわからないまま。
言ってみればわたしと千寿も、それぞれの行先の電車を待つホームでつかのまの邂逅をとげているようなものだろう。
「ん? なに? 俺なんか変なことを言った?」
千寿はわたしの様子に気が付いて尋ねてきたが、わたしはあいまいに首を振った。彼は瞬きを二度する間に気分を切り替えたらしい。追及してくることはなかった。
「まあいいや。ねえ、あけてみてあけてみて」
うながされてお土産の包みを開けてみると中に黄色いテルテル坊主のマスコット人形のついたストラップが入っていた。
何故テルテル坊主なのだろう、と首をかしげていると表情に出たらしい。千寿はどうしてかしてやったりというように、にやりとした。
「いつでも晴れがいいでしょ。天気も、気分も」
お守りなのだという。ご利益があるのかないのかよくわからないが、可愛いのは確かだ。
再度礼を言ったがやっぱり千寿は聞いていなかった。
「携帯にでもつけてよ。って、綾瀬さん携帯持ってる?」
わたしは首を横に振る。
「やーっぱり。持ってるの見たことないもんね。予想外に持ってて、実は誰か俺が知ってるやつが綾瀬さんの番号知ってるとかだったら絶対へこむと思ったんだけどその意味では良かったー」
何が良いのかさっぱりわからないが、千寿は大まじめにそんなことを言う。この人の中でわたしはどういう区分けをされているのかよくわからない。
友達とは、そもそもそういうものなのだろうか。
「まあとりあえずそのショルダーバッグにでもつけといてよ」
拒否する理由もないので、指示されたとおりバッグのファスナーに根付代わりに取り付けた。千寿はうれしそうな顔をしている。
「綾瀬さんあんまりアクセサリーみたいなものもつけないもんね。シンプル派?」
少なくともゴージャスなものが特別好きだということはないだろう、ということだけはお互い意見が一致した。
その後もう少しだけ彼が集めている銀細工のアクセサリーの話を聞き、バイトだという千寿は手を振りながら去って行った。
彼はにぎやかだ。わたしはまたさざ波ひとつたたない水面に戻ったのだろうか? よくわからない。
冬が来て、千寿とあんまり話す機会が少なくなった。時々廊下ですれ違うか、誰かと一緒にいるのを見かけた程度だ。
彼は授業の出席すらおろそかになるほどバイトを詰め込み、クリスマスと大晦日と元旦と成人式というイベントに追われていた。
千寿の実家の地域では、満年齢の二十歳ではなく数えの年で成人を祝うのだという。地元から戻る前にノートを借りに来たついでにそんなことをちらりと言っていた。
松の内もとうに過ぎたころ、千寿がいまさらながらの年賀状をくれた。
「ほんとは冬休みになる前にちゃんと前もって住所聞いておこうと思ってたんだけどねー。ついついうっかりしちゃって。後でいっかなんて言ってたら全然ダメだねえ。ほーんと俺としたことがケアレスミスだよ。よく考えたら、綾瀬さんのメアドとか携帯も知らないのにさ。やっぱ、まだ携帯持ってないよね?」
わたしは頷いた。
「だよねえ。まあ、ずいぶん遅れちゃったけど今年もよろしくってことで」
名刺のように、千寿は年賀状をわたしにくれた。干支ではなく何故か飛行機のイラストが描かれていた。
「でさあ、それはそれとしてさ。綾瀬さん?」
千寿はいつでも朗らかだが、今日はいつにも増して愛想がよい。やや首を曲げてわたしをのぞきこむようにした。
「あと一か月もしたらまた別のイベントあるじゃない? ねえ、楽しみだね」
来月には何があっただろう。
千寿とわたしに共通のイベントと言えば試験だろう。しかし二月の初めだからすでに一か月もないし、準備はしているつもりだが千寿のようにそんな笑顔になるほど心待ちにはできないのだが。
ねえ、と千寿は念を押すように繰り返した。
その後はまたしばらく、千寿は何かにつけてわたしに話しかけてきた。たいていはとるにたらないことばかりだった。
けれどそれだけの話題を人に提供できるのはすごいことだと思う。そんな感心をしていたら、千寿はちょっとだけ困ったように目を瞠った。
「えっ。俺って、おしゃべりってこと?」
別にそういうつもりで言ったわけではない。けれど明らかに無口なほうではないだろう。千寿は改めて真面目に疑問に思ったようだった。
試験を終えて結果も発表された頃、学校へ行ったらすぐに千寿がわたしの方へ走って来た。
「おはよう、綾瀬さん」
少し弾んだ息のまま千寿は挨拶をしてきたが、返答をする前に大型犬のようにわたしのまわりを窺うようにする。
いったい何事なのかと身構えるのと同時に、千寿は肩で大きく息を吐き出した。目に見えてがっかりしていた。
「やああああっぱり、やっぱりねー。わかってたんだよねー。綾瀬さんだしね」
どうやらわたし自身にがっかりされたらしい。
「今日、なんにち?」
千寿はつまらなさそうに、日付を確認してくる。十四日だと教えた。朝、父に渡す前に先に新聞を見たので間違いない。
「ふうん、綾瀬さん新聞とか見るんだ。TV欄だけとかじゃないよね?」
そもそもTVはそれ自体見ないのだが、あえて否定する必要もないのでただ黙ってうなずいた。
「そっか、そうだよね。じゃあ最近買い物に行ったりとかは? スーパーとかコンビニでいいんだけど」