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後宮艶夜*ロマンス~皇帝と貴妃~【前編】

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 自分はどうなっても良い。この生涯で出逢えないと諦めていた心底から愛する男に出逢えたのだから。けれど、その巻き添えになって、愛する法明まで死なせてはならない。かといって、今の自分に何ができるだろう? 皇帝は操国で最高の権力を持ち、人でも何でも思うがままにできる至高の存在と見なされている。
 そんな人を前に、自分はあまりに無力であった。愛する男ひとりを守れない我が身が芳華は哀しかった。
 そんな中で芳華が体調の異変に気づいたのは都華陽に冬将軍と呼ばれる冷たい風が吹き始める頃だった。元々、月のものは順調に来る方ではなく、二、三ヶ月飛ぶことはままある。だから、最初は慣れない市井での暮らしによる環境変化が原因かと思い込んでいた。
 けれど流石に四ヶ月も間が開くと、もしやと思い始め、近所の産婆を訪れたところ、懐妊が判った。その日の夜、芳華は心尽くしの料理を拵えて法明を待った。操国では、おめでたいことがあると、桃の形をした蒸し饅頭を作る風習が昔からあった。
 桃はおめでたい象徴とされる瑞果なのだ。だから、その夜も食卓には桃の蒸し饅頭が山盛りになった大皿もむろんあった。
 なのに、法明はなかなか帰らなかった。いつもならどんなに遅くても陽暮れ時には帰ってくるのに、その日に限って帰ってこない。芳華は立ったり座ったりを何度も繰り返し、表まで様子を見に出たりもした。その中に疲れ切って、食卓にうち伏したまま眠ってしまった。
 芳華は浅い眠りの中で夢を見た。誰かが法明を連れ去ろうとしている怖い夢だった。芳華は泣きじゃくりながら法明に取り縋ろうとするが、彼には手が届かない。法明は哀しげな瞳で芳華を見つめ、抵抗もせずに何ものかに連れられて去っていくのだ。
―法明っ、行かないで。
 芳華が涙混じりの声で叫んでも、法明は哀しげに微笑んでいるだけだ。
「法明、お願い、私を一人にしないで」
 救いを乞うかのように差しのべた手を誰かが力強く握り返してくれる。
「芳華、芳華! しっかりするんだ」
 確かな呼び声に、芳華は睫を震わせ瞳をゆっくり開いた。眼前に愛しいひとがいる。この上なく優しい、気遣うような笑みを湛えて。
 その瞬間、芳華は法明の胸に飛び込んでいた。
「法明、どうしてこんなに遅くなったの? 私、あなたに何かあったんじゃないかと気が気ではなかったのよ」
 法明はこんなときなのに、上機嫌だ。
「芳華が泣くほど俺のことを心配してくれるなんて思わなかった」
 まったく男という生きものは現金なものだ。芳華は呆れながらも、漸く笑顔を取り戻した。
「怖い夢を見たの。法明が誰かにどこかに連れてゆかれる夢。私は行かないでって頼むのに、法明は黙って抵抗もせずに連れていかれてしまって」
 芳華が訴えるのに、法明は微笑んだ。
「俺がお前を置いて、どこかに行くはずがないだろう。お前が俺の側からいなくなるって言い出しても、俺はお前を手放してなんかやらないから、覚悟しとけよ」
 法明は半ば戯れ言めいて言い、ご馳走の並んだ食卓を眺めた。
「今夜は凄いな。何だ、桃果饅頭まであるじゃないか、何か祝い事でもあるのか、もしかして、お前の誕生日とか。でも、それはまだ少し先だったな」
 法明は首をひねっている。芳華は知らず胸の前で両手を組み合わせていた。もちろん歓んでくれるとは思っているけれど、やはり少し心許ない部分もあるのだ。
「あのね。今日、雲さんのところに行ってきたんだけど」
 雲さんというのは産婆の雲慶紀のことだ。この界隈では、難産になって医者も見放した妊婦を何人も無事身二つにしたことで知られる腕の良い産婆である。
「雲さん? 何でお前があの婆さんのところに行く必要が―」
 言いかけて、法明が小さく叫んだ。
「もしかして、できたのか?」
 法明の言葉に、芳華は白い頬を染めながらも、しっかりと頷いた。
「今、三ヶ月の終わりだって。来年の六月には法明と私の初めての赤ちゃんが生まれるのよ」
「そうか、俺とお前の子どもが」
 法明の薄紫に染まった瞳にきらめく雫を見つけ、芳華は胸をつかれた。
 いつも自信に満ちたこの男が泣いている! 泣くほど妊娠を歓んでくれるとは思っていなかっただけに、芳華の胸も熱くなる。
「芳華、ありがとう。お前が俺の子どもを産んでくれるなんて、夢みたいだ」
 彼は少し口ごもり続けた。
「俺はいつかも話したように、子どもの頃からずっと孤独だった。父親は俺を可愛がってくれたけど、忙しい人でなかなか触れ合う時間もなかったからな。継母にはずっと生命を狙われて、次第に誰でも殺意を抱いているのではないかと疑うようになった。父も母も早くに失ったからこそ、俺は家族に憧れていたんだ。誰をも信じられない人間不信に陥って、自分じゃない他の誰かを寄せ付けることを一切しなかった俺をお前が孤独のどん底から救ってくれた」
 ううんと、芳華は首を振った。
「私の方こそ、法明に出逢えて良かった。私はね、子どもの頃からずっと父に決められた人生を生きてきたのよ。父に命じられるがままに嫁ぎ、そんな自分の人生が嫌で逃げ出してきて、あなたとめぐり逢った。心から愛する男と結ばれるのが子どもの頃からの夢だったの」
「俺は幸せだ、この世でただ一人の女にこうしてめぐり逢えた」
 法明が芳華を強く抱きしめた。
「物心つくかつかない頃、母の愛した泰山木の花を見て思ったよ。自分もいつか父と母のように心から愛し求め合う女とめぐり逢えたら良いと。もしかしたら、俺はませたガキだったのかもしれないな」
 芳華は愛する良人の懐に甘えるように顔を寄せる。
「離れたくない」
「さっきも言っただろ、離したりしないさ」
「でも、不安なの、怖くなるの」
 芳華は法明を見上げた。
「何がそんなに心配なんだ?」
 優しい声音に、芳華は胸の内を告げた。
「私は親に無理に結婚させられたの。だから逃げてきた」
「その話はもう聞いたよ」
 芳華は唇を噛みしめた。
「いつかは話さなければならないことだし、あなたの身にも危険が及ぶかもしれないから、今夜は話すわ」
 法明が息を呑んだ。
「芳華、何もこんなめでたい夜に話さなくても」
 暗に話すなと告げる良人を見つめ、芳華はひと息に言った。
「愕かないで聞いてね。私が逃げてきたのは後宮なの」
 法明は無言だった。話の続きを促されているような気がして、芳華は続けた。
「私の父は宰相の郁文昭、私は宰相の一人娘で、まだ三歳のときに今の皇帝陛下と婚約させられてしまった。それで、とうとう今年の五月に入内することになったの」
 法明が低い声で囁いた。
「一緒にいたくないほど、逃げようと思うほどに、その男を嫌いだったのか?」
「皇帝陛下のこと?」
 返事はない。芳華はかすかに頷いた。
「私は陛下の顔すら知らないで嫁がされたの。良人となるべき方について、私は何も知らなかったし、今でも知らないわ。そんな状態で陛下をお慕いすることはできない」
「だが、政略結婚とはそういうものだろう」
「私はそんなのはいや! 自分の愛した男に嫁ぎたかった。そして、後宮を逃げ出して、法明、あなたと出逢ったのよ」
「何故、顔を見たこともない、よくも知らない男をそこまで嫌うんだ?」