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短編集『ホッとする話』

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 雪も溶けた3月下旬の甲子園。高校野球を始まりとして甲子園球場は賑やかな一年が始まる。今年は空前絶後の観客が球場の内外に押し寄せて、見渡す限りの大混雑だ。
 それもそのはず、日本一甲子園球場に近い高校、市立東宮高校の試合が予定されているからだ。生徒、卒業生、その他関係者、みんな交通機関を必要としない直近に住んでいる。半世紀も待ち続けた夢の招待券を手にして、野球を知らない人も無関心であることもなく、わがホームグラウンド、わが聖地とも言える甲子園に集まるのは当然の成り行きである。
 第二試合、前の熱戦をグラウンド清掃の車が元の温度に冷ましているが、一塁だけでなく三塁側の一部を除くほとんどの席が既に初春とは思えない熱気を帯びている。
 一塁側のベンチから選手が現れると球場が一気にどよめき歓声があがる。そしてベンチ前で円陣を組むと歓声は一瞬で止まり、観客までもが円陣の生徒とひとつになって聞こえない距離にいるその中心に耳を傾けた。

 一塁アルプス席の端っこに陣取っているのは東宮高校野球部OB会の一団、会長の里中浩次郎の横には唯一の現役生徒、娘の毬奈が今まさに雄飛が立つであろう神聖なマウンドをじっと見守っている。
「毬奈」
「なに、お父さん」
毬奈は前を向いたまま返事をする。
「今日の試合は占ったのか?」
本当は気が強くない雄飛を知る浩次郎は不安気な様子だ。
「当然、占ったよ」毬奈は父の方を向いた。
「『塔(タワー)』っていう良くないカードが出てん」不吉なカードを示したのに毬奈は笑っている。
「そうか……」浩次郎も娘の顔を見た「それで雄飛は何て言うた?」
「うん。でもね、雄飛君はこう言うねん

  『どんな未来が見えても、
   それを受け入れる。
   例えそれが良くないものでも
   避ける方法を見つければいい』

って――」
毬奈は前を向き直り円陣にいる雄飛の姿を捉えた。毬奈は父の顔を見なくても横顔がみるみる緩んでいくのを感じた。
「やるなぁ、雄飛は。あいつは立派なピッチャーになるで」
 ハドルが解けるとナインは一斉に甲子園のグラウンドに散っていった。これまでチームのエースとして牽引してきた背番号1も大歓声の渦巻くマウンドに向けて、帽子を深くかぶり、胸を張り、堂々とした背筋で走り出した。

   * * *

 雄飛は憧れのマウンドに立った。表情は一切変えない。そして今は満足はしていない、ここで勝ち続けて初めて満足できるのだ。雄飛は右手で自分の胸を一度握りしめ、投球練習を始めた。
 場内アナウンスで選手一人一人の名前が読み上げられると歓声が起こり、風にのってすぐそこにある東宮高校の校舎にも届く。
 規定の投球練習が終わると、キャッチャーの伸也がマウンドにやって来た。
「今日は球が走ってる。いつものように力で押して行こう」
 白い歯を見せる伸也に対し雄飛は全く表情を変えずに答えた。
「いや、得意で押して変化球で落とす、コレで行こう」
「ああ、俺もホントはそう言いたかってん」
左のグラブで伸也の胸を衝くと、雄飛の顔に初めて笑顔がこぼれ、伸也は元の位置に戻った。

「俺たちの運命は、多くの人に支えられ、そして拓かれている。毬奈はその正しい道筋を教えてくれた」雄飛はマウンドに仁王立ちをして目をつむり天を仰ぎ深呼吸をした。
「そうやろ?毬奈」

  「そうよ。運命は拓かれている」

 心の声を聞くと雄飛の眼に魂が入った。甲子園球場の中心から発せられたオーラは球場を取り巻き、観客席の毬奈たちにも届き、そして高校にも届いた。
「見てろ、毬奈」 
 一回表、試合開始、静まり帰ったグラウンド。五万人の観客が注目する中、主審が右手を高々と上げて

   プレイボール! 

とコールすると場内でサイレンがこだまする中、雄飛はミットめがけて自慢の速球を投げた。



   近くて遠い甲子園   おわり