短編集『ホッとする話』
〜 八回裏 〜
毬奈は図書委員の仕事だけでなく、ちょうどその頃始めたアルバイトで忙しくて、雄飛とはあれから何の進展もないまま二学期を終えた。図書室の奥の哲学の書棚には近付きもしていない。彼とは二人はメールではたまにやり取りをするが、それも感情のない淡々とした事務連絡みたいなものでしかなく、クリスマスも結局会うことはなくとうとう新年を迎えてしまった。
未来が見える運命のカードもあの日置き去りにしてから努めて触れないでいた。忘れていないわけではない、むしろ片隅であるが常に視界に入るところにある。
「いつかは踏み出さなければならない」
と思ってはいるものの、怖くて二の足が出ない。
お互いこのままでは前に進まない、そんな簡単なことは分かっているのにお互いが遠慮するばかりで時間だけが過ぎてしまった――。
* * *
日本一甲子園球場に近い東宮高校の野球部員は、毎年年頭に甲子園球場周辺の清掃を恒例行事として行っている。起案者は現在のOB会長である里中浩次郎氏、つまり毬奈の父親である。
「日本中の高校球児の聖地をキレイにできることはこの上ない光栄」
と提唱し、自らも阪神タイガースの選手であった伝も有り、かれこれ10年来の行事となった。卒業生は昔話に花を咲かせ、楽しみながら毎年日本中からやって来る球児たちを綺麗な球場で迎え入れる。甲子園には出られなかったけれど、それでも甲子園に憧れ、育ててもらった感謝のしるしがそこにはあった。
しかしそれは、ここが思い出の場所として届かなくなった卒業生に当てはまる話で、現役の野球部員だけでなく東宮高校の生徒にあるのは「まだ終わっていない夢」だ――。
音頭をとる浩次郎、毬奈はいつまでも後輩の奮起を祈念する父のそんな姿勢を見て当初から毎年この清掃会に参加していたが、自分も父と同じ東宮高校の生徒となり、思いの対象は学校だけではなく、特定の人物に変わっていた――。
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔