短編集『ホッとする話』
試合後、東宮高校では通夜のようなミーティングが終わりナインは部室に戻った。まだ決定したわけではないとは言うが、部員全員が来春の話題は出せなかった。
「その積み上げたもので負けたんだよな……」
雄飛は心で呟くと、昨日見たタワーのカードが意思で封をした壁を突き破り、目の前に現れた。
ここまで雄飛が積み上げてきたもの――。それが自分の一番の武器、150キロを越えるストレートだ。勝負球として蒙北の四番でかつ親友の鳴浜龍児に投じた一球は確かに打たれはしなかった。さらに龍児が手を出せなかったのは表情を見れば明らかで、18.44メートル先の負けを認めた彼の顔が浮かび上がった。
でも、ボールはわずかに外れたのだ。審判が見間違えた訳でもなく、不服があるわけでもない。判定がボールだった、それだけの話だ。今の雄飛に試合を総括させれば、
積み上げてきたものが
一気に崩れ落ちた
ことに間違いはない。つまり毬奈の見た未来は当たっていた。それを知らせてくれたのに、自分の得意すなわち築きあげたもので攻めた結果敗れた。選択肢は他にあったはずだ。毬奈のカードが示す「運命」には逆らえないのか――?。
「雄飛、残念会するけどお前も行くか?」
「ああ……」
キャッチャーの伸也が雄飛を誘う。生返事をしながら雄飛はロッカーの扉を開けた。その中にはこぶし大の人形がぶら下げがっている。毬奈が作った手縫いのお守り。今度はそれを見て雄飛はついさっき、雨の降るスタンドで泣き崩れている彼女の姿がフラッシュバックした。
「やっぱ、やめとくわ。そんな気分じゃない」
ロッカーを閉めて振り返る。
「誰もお前を責めてなんかないんだぜ」
「そうそう」
伸也だけでなく、他のナインも雄飛を励ます。
「わかってるよ、だけど……、でも今日は、いいわ」
「おいっ、雄飛!」
言い出したら止められないのは部員みんなが知っている。雄飛は着替えてロッカーを閉めると部室を飛び出した。
* * *
毬奈は雨の中を茫然として歩いていた。
自分が見た未来――。カードたちは毬奈の手を介して正確に教えている。良いものも、悪いものも、一つ一つのカードが自らの役割をしっかり果たしているだけでそこに義理や感情は、ない。
昨日、最後に見た雄飛の顔を、抱き締めてくれた温もりを思い返すと、努めて見せまいとしていた彼の弱さが見えた。
目の前には甲子園球場のバックスクリーンがある。雨がさらに強くなり、毬奈はそのひさしの下で動けなくなった。
「怖い、怖いよ……」
毬奈は壁に持たれて天を仰いだ。雨はしばらく止みそうにない。
「これはどこまで見えるんだろう――」
無意識に取り出したのは箱に入った22枚のタロット。箱を握りしめ見えなくなった暗い未来を自分の力で見ようとしたが何も見えず、瞼の奥にあったのはただ真っ暗な静寂のみだった。
「毬奈!、毬奈!」
聞き慣れた声が遠くから聞こえてきた。雄飛の声だ。毬奈はもう少しで闇に引き込まれそうなところで、彼の声で元の現実に呼び戻された。
「雄飛くん……」
「ははは、」力のない、漏れるような笑い声。いつも無表情な雄飛だが、それがいつもの笑い声でないのが毬奈には痛いほど分かる。
「負けちまったな」
「ごめんなさい、あたしがあんな占いするから」
「毬奈のせいで負けたんじゃない、自分の実力がなかったからだ」
雄飛は肩で息をしている。彼のことだから自分にそれだけを伝えたかった意思が毬奈の胸に突き刺さる。それも、今すぐに、できるだけ、早く――。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
自分より辛い思いをしている雄飛に気を使わせる自分がとても嫌だ。自然に声が大きくなる。
「だから毬奈のせいじゃないって」
「でも……、でも……」
雄飛に肩を捕まれて諌められると視線が自然に下落ちた。手には運命を示したカードが握られている。
「あたし、占い辞める!」
そう言うとカードの入った箱は意思を持っているかのように毬奈の手を離れ、自然に地面に落ちた。
「あたし……、怖いの」
「怖い?」掴まれた腕にかかる力が弱くなるのを感じた。
「未来が……見えることが」
「毬奈……」雄飛の手が完全に離れた。毬奈は上を向くと、彼はいつもの無表情を崩して毬奈に微笑みかけた。
「気にするな、毬奈は毬奈や。俺には夏だってあるんやから――」
言ってることはどこまでも優しくて、勇ましい。しかし、それが雄飛の本心でないのは明らかだった。
「わあああぁぁっ!」
毬奈はその場で大声を出して泣き出した。本当はもっと感情を出して欲しかった。青春のすべてを賭けて挑んだ運命の試合に敗れたのに、それでも自分を気遣うその優しさが耐えられなかった。
「毬奈っ!」
今は何もかも忘れたい。毬奈は雄飛の手を振りほどくと、雨が降っていることも気にならずその場から飛び出した――。
雨の甲子園、そこには雄飛と置き去りにされた22枚のカードだけがバックスクリーン裏の外周のひさしの下に残った。
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔