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短編集『ホッとする話』

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     〜 六回裏 〜

 降りしきる雨、三塁側のスタンドでは傘をさすものは誰もいなかった。
「次勝てば グッと近付く 甲子園」
それを信じてここにいる部員、生徒、OBその他すべての人がマウンドに立つ雄飛にエールを送った。ここを切り抜ければチャンスはある、そう信じて。
 毬奈もその一人だった。今までは試合会場に足を運ぶことはなかったのだが、今日は胸騒ぎがしてどうしても見に行かなければと思いやって来た。試合は延長11回、一死満塁フルカウント。絶体絶命のピンチに追い込まれた。

 雄飛がセットする前に小さく放り上げたボールを見て昨日のカードが目の前に現れた、そして彼の目線が一直線に自分を指しているような気がした。
「お願い……」
毬奈は両手を前で握り、祈りを送った。雄飛の足が上がる。そして矢のような速球がミットに収まる音に遅れて聞こえて来た審判のコールにスタンドは落胆のため息と悲鳴にも似た声が入り混じった。
 毬奈は雨で濡れた頭も気に止めず、最後のランナーがホームベースを踏む瞬間を見ていた。そのすべてがスローモーションで流れるモノクロの映画のように。
 そんな映像の一幕の中、大喜びする蒙北ナイン、がっくり肩を落とす東宮ナインの中でマウンドで微動だにしない雄飛とバッターボックスで同じく立ち尽くす龍児の姿だけが色のついたリアルなものとして毬奈の目に飛び込んできた。

   勝負は、ついた―― 

 ただそれだけのことを認めたと同時に視界に色が戻った。とはいえ雨が降っていて視界はグレーだ。
「あたしが、負けさせたんだ――」
 毬奈もプロ野球選手の娘だ、雄飛が投げた球が意味するものが分かる。降りしきる雨と一塁側から打ち付けて来るような歓喜の渦の中、毬奈が今まで守ってきた壁が破れ、その場で子供のように泣き崩れた。