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短編集『ホッとする話』

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     〜 三回表 〜

 秋はめっきり深くなり、秋分を過ぎると陽が落ちるのが早い。雄飛は校門で一人、右手でボールをお手玉しながら左手の時計を見た。6時15分、予定の時間を過ぎている。
「ごめーん!」
校舎の入り口の方から声が聞こえると雄飛は手を止めて目を遣った。校舎の奥から同級生の毬奈がこちらの方へ駆け寄ってくる。
「待った?」
「いや……」
 息を切らす彼女に素っ気なく答える雄飛。怒っている訳ではない。いつもの調子だ。
「どうだった?」
 彼女は雄飛の前に立ち手を後ろに組んで、腰を少し曲げて下から彼の顔を覗き込む。
「ああ、ありがとうな」
「でしょ?」無表情な雄飛とは対称的に満面の笑みを浮かべてウンウンと首を振る毬奈。
「『戦車』のカードは、『勝ち気』。持てる力で押せば道は拓ける」
 毬奈が昨日占ったのは今日の試合の行方。彼女の手の中から出てきた未来は『戦車』だった。雄飛は毬奈の占いを信じた。示した通り勝ち気で押した、それで勝てた。彼女の満足が自分にリンクするのを雄飛は感じた。

 二人は自転車を漕ぎ出す。幹線道路に沿って進むと甲子園筋といわれる道路が見える。そして、その先には雄飛の目指す「約束の地」甲子園球場がある。この周辺で育った彼らにとって甲子園は庭のように近いもので、ここが高校球児の憧れであるのを知ったのはもっと後のことだ。
 今はプロ野球のシーズンが終了し、球場は暗く静かだがそれは暫しの休憩といったところで、冬を越え春になるとプロを目指す高校生のために球場を明け渡し、そしてプロ野球のシーズンが始まると通りは大にぎわいする。
「次、勝てばグッと近付く」
 来週の対戦相手は今年の夏、県大会準決勝で惨敗を喫した同じく市内の強豪、私立蒙北学園だ。夏にはあわやコールド負け寸前で甲子園の切符を譲ってしまったが、新チームで臨んだその次の県の秋季大会では同じく準決勝で3対1で惜敗、実力差は確実に縮んでいるという実感と収穫を得た。
「倒すべき相手に不足はない」
 過去の二試合で必要なデータは集めた。次こそは勝って本当の春を迎えたいという気持ちが毬奈にも伝わってきた。

 雄飛の思いはそれだけではない――。

 今年三度目の対戦となる蒙北学園。新キャプテンの鳴浜龍児(なるはま りゅうじ)はかつてのチームメイトだ。同じ中学でピッチャーと四番で戦った仲は来週、三たびぶつかる。お互い手の内を知っているのは二人だけでなく、高校野球をよく知るファンや報道の間でも有名な話で、今年三度目の『飛龍対決』とも地元の新聞にも書かれているほどだ。
「鳴浜君、さらに大きくなったよね」
「ああ、そうだな……」
 毬奈も同じ中学の出身なので、二人の関係をよく知っていて、ポジションは違うが中学の頃二人は仲が良く互いに切磋琢磨し、どちらも中学では飛び抜けた実力を持っていた。その実績もあって龍児は蒙北の推薦を受けて進学、一方の雄飛は同じように誘いはあったのだが自宅からより近い地元の公立高校の進学を選んだ。
 今年の夏、選んだ進路で明暗を分けた。しかし、自分で選んだ選択だ。雄飛はそのことについて何とも思っていない。

「龍児に勝たないと俺たちの甲子園は、ない」

 雄飛は横を向いて毬奈の顔を見た。その向こうには甲子園球場のバックスタンド、風になびく彼女の長い髪から発する優しいにおいが雄飛の鼻をつつく。

 二台の自転車は球場を通り抜け、真裏にある毬奈の家の前で止まった。
「あとは、毬奈の『力』だ」
「任せといて、……とも言えないんだけど」
 毬奈は自転車から下りて、奥の置き場に止めると、再び雄飛の元に戻ってきた。
「わかってるよ。でも助かる」
雄飛はこの日初めて微笑んだ。自分の原動力を説明するのに毬奈の存在が大きな部分を占めているにも関わらず、雄飛は本当のことを素直に話さない。
 毬奈はそんなはにかむ雄飛の性格をよく知っている。だから毬奈も微笑み返すだけで特に何も言わなかった。
「ありがとう、また、明日ね」
「ああ――」
 毬奈は大きく背伸びをして、自転車にまたがったままの雄飛の唇に自分の唇を重ね合わせた――。