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短編集『ホッとする話』

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 私と母は病院をでてバスに乗り、久し振りに動物園のゲートをくぐった。お腹の子供も喜んでいるようで、いつもよりお腹を蹴る回数が多い。園内は老朽化が進んでいるが私の記憶にあるそれとは変わらず、傍にいる母が「あの時はあなたが――で、その時は……」と解説してくれて、当時の記憶とシンクロする。父ともよく来たし、今は店主となった弟とも来た。そのカケラになった記憶はどれも楽しいものだった事だけは記憶にある。

 そしてたどり着いたのが観覧車だ。父の話だと、父が3歳くらいの頃に出来たというから、かれこれ60年だ。その間多くの人を夢の世界に連れて行っては戻って来た。父は速い乗り物が苦手で、一緒に乗った事がある遊具は観覧車だけだ、私は嫌いでも苦手でもないが、そんな理由で他の乗り物は自分の記憶に薄い。母の話では私が三歳の誕生日の時に初めてこの観覧車に乗ったと教えてくれたけど、残念ながら遠すぎる記憶は思い出せない。今はお腹に新しい命があるので、そんな速い乗り物には乗らないが、唯一乗れそうなのがこの観覧車である。

 ここの観覧車のゲートはなぜか入り口が二つある。観覧車の断面を分けるように右と左に。父がよく言ってたことだが、右に行くと観覧車は時計回りに、左に行くと反時計回りに見える。小さい頃父とよく乗ったものだ。父の説明では

「迷った時は右、何か思い出したい事があったら左に行くといい」

と言っていた事を思い出した。左右どちらの方向から乗ったところでゴンドラから見える景色が変わるわけではないうえ、理由を聞いても教えてくれた事がない、若しくは覚えていない。でも父ならこう言っていただろうと想像がつく

「そんな気がしてならんのだ――」と。

 遠慮をした母を残して私は一人、観覧車に乗ることにした。どっちでもよかったが、私は左に行くことにした。父の変わりに何かを思い出させてあげたいと直感したからだ。
 向かって左側からゴンドラが来た。見慣れた円柱形のゴンドラだ、青く塗られて「30」番と番号が振られている。そもそも観覧車というものはゴンドラ毎に順繰りに人を乗せるため完全に停止することがなく、ゆっくりと動く。私は係員に誘導され、ゴンドラに乗り込んだ。するとどうだろう?なぜか見知らぬ子供連れの男性が既に乗っているのだ――。
 年の頃なら私と同じくらいだろうか、背広のズボンにネクタイをしている。連れている子供は3歳くらいの女の子だ。二人とも共通して服のセンスがかなり古く、お父さんは七三分けで、女の子は昭和の頃に流行ったであろうアニメのキャラクターがプリントされた服を着ている。
 私はその親子を見て「すみません」と会釈すると、
「いえいえ、構いませんよ」とニッコリと微笑んでくれた。