短編集『ホッとする話』
後編
後編
思い出したいことがあったら左
「葵、動物園にでも行ってみましょうか」
母の何気ない言葉だった。
小さい頃から動物園にはよく連れていってもらった。近所にあるのと安価であることだけでなく、父は動物園が大好きだったので遊びに連れてくれるといえばここくらいしか私の記憶に鮮明なところがない。
父は会社勤めで毎日忙しく、私が大きくなるにつれ、一緒に遊んでくれたという記憶は薄くなった。多感な年頃の時は仕事に没頭する父を恨みさえした時もあったが、自分が大人になって社会人となり、父のような勤勉な人間が日本における戦後の高度経済成長を支えてきたことがわかるようになった。今の日本は親の世代が建て直したと言っても過言ではない。私たちの世代は既にできあがったものを引き継がれ、それを維持も発展も出来ずにドロップアウトした者がいかに多いことか。
便利で裕福になった社会の代償。私たちは大切な何かを昔に忘れてしまったのかもしれない。
「お父さんが小さな頃から動物園はあってね、観覧車が大好きだったのよ……」
母の話では父は速い乗り物は苦手で、ここの遊園地には何度となく来ているのに、観覧車しか乗らないそうだ。その話は祖父母や伯母たちにもよく聞かされた。人気のテーマパークに連れて行ってくれなかった一因であるのは大人になってからわかった事だ。
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔