短編集『ホッとする話』
そうこうしているうちに頂上の山門にたどり着いた。まさにここが地獄の登竜門というやつか。
大きな門の向こうにはさらに大きな、この世では見たことがないサイズの本堂がある。
無表情な死人たちは順序よく前に歩いている。この向こうにいる人はまさにあの人なのか。
「やっぱり、あそこにいる人って?」
「たぶん、閻魔大王なんでしょうねぇ……」
これまで確かな答えを出していた男は初めて不確かな回答をした。理由を問いかけようとしたが、男の方が先に答えた。
「そりゃあそうでしょう。私もここへ来るのは初めてです。二回くる人なんておりませんから、ククク」
確かに男の言うとおりだ。私も思わず小さく笑ってしまった。
「生前の審判を受けるのですか?」
「――おそらく。まぁ、私はなるようになると思っていますから、覚悟は承知です。むしろ生前の晩年に地獄のような苦しみを味わいましたから……」
そう言って男は山頂の火口の方に目をやった。そこでは遣いの鬼が審判を終えた人間を火口の中に次々と放り込んでいる。何かの資料で見た黄泉比良坂(よもつひらさか)とはこのことか。
「私たちも、ああなるのですか?」
私は少し身震いした。
「大丈夫でしょう。現世でも大変な時はありましたし、それに私たちは既に死んでいるのですから、多少のことは何とかなりますよ」
「まぁ、たしかにそうですけど……」
いずれにせよ、今の自分にはこの審判を受けなければならないようだ。気持ちの整理などつくはずもないが、相手が相手だけに正直に言おうと頭の中で考えていた。
* * *
お堂の中から声が聞こえてくる。先程の前の方で放言を繰り返していた男の審判が始まったようだ。私は観音開きの扉の隙間に目を当てて何を話しているのか、その様子に神経を集中させた――。
「それでは審判を始める。お主の生前について簡単に説明したまえ」
遠いのと視界が狭いのとで閻魔大王の姿はよく見えないが、先程の男がこちらに背を向けて立っており、その両脇を鬼が構えているのが見える。
「はい。私は世界を股にかけて、家族にも、仕事にも、人にも恵まれ何不自由ない生活を送っていました。それなのに、死んでしまうなんて」
男は話すに連れて声が大きくなってくる。話す内容は、男が生前あれだこれだとやって来たことから高級車に乗っていただの自身がモテたといったような関係のないことまで広がっていた。
「あのお方は、どうして声が大きくなるのかおわかりないようですねぇ、ククク」
後ろの男の耳にも入っていたようで、私と同じことを思っていることが分かった。
「そう思っているのは我々だけではないようですよ……」
男は私の下で扉の向こうを見ながら私を促すので、つられて同じ方を見た。やはり閻魔大王の顔は見えないが、退屈そうに脚を揺すっている様子が分かる。
「もうよい」
途中で閻魔大王がしびれを切らして話を切った。
「生前、多くの人に慕われたと申すが私の閻魔帳にはそのような記述はないのだが」
「ええッ、そんなはずは……」
男の驚いた声がお堂の中に響いた。
「ここに書いてあるお主の評価を読み上げてやろう」
閻魔大王は咳払いを一つして間を切ると、書かれてあるものを読むような調子の声が聞こえてきた。
「自分の考えが正しく、他人より勝っていると考えている。よってお主の主張は自身のためであり、話す相手のためではない」
似た内容の話が続くがあとの方は聞き取れなかった。遠巻きに見える男は図星を突かれたのだろう、これまでの威勢とは違い徐々に項垂れて行くのが見える。
「人の評価は、他人がするものだ。お主の武勇伝などここでは戯言に過ぎぬ。煩悩を捨てられずに綺麗事を並べて自分を好む者は極楽浄土に要らぬ」
「そんな……」
「お主の主張は釈迦に説法なのだよ」
「なんと……」
閻魔大王の判が捺される音がすると、目の前の門が開いた。目に入る光景は、男の両脇にいた鬼が激しく抵抗をする男を取り抑え、こちらの方にやってくる姿だった。その一行は私の前を通り過ぎ、火口の方に放り込まれると、その姿はもう見ることはなかった――。
「それでは審判に入る、次の者、入れ」
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔