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短編集『ホッとする話』

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 二月、貝浜は一年で一番寒い時期を迎える。この日は朝から大雪で列車が思うように運行しない。駅員である大石も昨夜からの泊まり込みで貝浜駅にいる。
 大石は懐中時計を見た。時間を確認して時間通りにホームに立つも列車は来ない。右を見ても左を見ても視界に入る至るところで雪が積もっているのだ。諦めて改札に戻り事務室のテレビを見ると、列車のみならず交通網が積雪で完全に麻痺してしまい街は大混乱しているとのニュースが流れている。
「こりゃあ大変だ……」
 大石は暖炉に薪をくべながら呟いた。しかし、本心は心配していない自分を責めた。街は混乱しているようだが、元々乗降客がまばらこの駅では大きく影響するわけではないのだから。
 それでも乗客が来ないとは断定できない。来ればこの待合室で足止めされるのは請け合いだ。大石は来ないかもしれない乗客のために待合室を暖炉で休まず暖め続けた。

 そんな中、とても心配そうな表情で一人だけ乗客が貝浜駅にやって来たのだ。頭に雪をかぶったいつも見かける女子高生だ、大石は彼女が小夜という名前であるのは知らない。

***

「おはようございます」
 大石はいつものように小夜に挨拶をすると、彼女は頭の雪を払いながら小さな声で挨拶をした。スカートから見える脚がかわいそうなくらい寒そうに見える。大石はそれ以上に気になることがある、彼女の表情だ。
「あの……」
 列車は雪のため現在運行を見合わせている。その事は駅員として伝えるべきことであるが、その事を伝える前に彼女の方から質問をしてきたのだ。
「すいません、電車、出るんですか?」
 か細い、とても弱い声だ。表情と寒いのとが重なって余計に儚げに見えてしまう。しかし、駅員である大石には事実を伝えることしかできない。それが彼女を困らせることであっても。
「どうか、されましたか?」
「明日、入試の本番なんです――」
 小夜は言ったところで解決策のない問題を大石に吐露した。今日はここから寄房へ出て、乗り継ぎの特急で夜までに関西入りをする予定であるが、その時間に間に合うのか不安な様子だ。
「どうしよう……」
 大石も不安げな顔の小夜を見るだけで一駅員の力ではどうしようもできない。ただ出来ることがあるとすれば、暖炉で少しでも暖まってくださいと言うくらいだ。大石はとにかく小夜に暖炉から一番近いベンチを勧めると、お礼を言ってその席に腰を下ろした。
「ここで、勉強してていいですか?」
 少し落ち着きを戻した小夜はかばんからボロボロの参考書を取り出すと、それを見た大石はその使い込みに驚いて、
「どうぞ」
と言う以外の答えが見当たらなかった。
「ありがとうございます」
 小夜は答えるとすぐに暖炉にあらわにしている膝を向け、その本を見出した。試験前日にトラブルとは、大石はその没頭する姿を見てかわいそうに思った。

***

 暖炉の上に置いたやかんが笛を吹いた。列車は相変わらず来る気配がない。大石は自分のために沸かしたお湯から二人分の紅茶を入れて、一つは小夜に差し出した。
「いいんですか?」
「どうぞどうぞ、寒いでしょう」
「……ありがとうございます」
 小夜はカップを受けとると、両手で抱きしめ冷えた手を暖めた。その白い手は徐々に紅くなり、彼女の表情が少し柔らかくなるのが大石の目に見えた。
「身体を暖めるには紅茶がいいですよ。コーヒーや緑茶は気分を鎮めますがかえって身体を冷やしてしまうそうです」
 大石が説明をすると、小夜の顔がさらに優しくなった。
「あたし、梅原小夜って言います」
 小夜の方から自己紹介をした。大石は初めて彼女が小夜という名前であることを知った。
「私は駅員の大石 哲(さとる)と言います」
「知ってますよ」
 小夜はクスクス笑いながら大石の胸元を指差した。勤務の時は必ず付けている名札、小夜の紅くなった指の先にはそれがあった。
「いつも挨拶、してくれますよね?」
 大石は照れて視線を暖炉に向けた。
「この駅の利用者の顔を覚えていますので、はい――」
 自分は怪しい者ではない事を伝えたかったのだが小夜の柔らかい表情を見て、それは理解してもらえたと思えた。
 しばらく沈黙のあと、暖炉からパチパチと薪がはじける音が聞こえてきた。
「何で暖炉なんですか?」
 勉強の合間、小夜は待合室の暖炉に手をかざして質問した。その言葉の先には「他に部屋を暖める方法があるのに」というのが大石には分かる。一応エアコンも動かしているのだが、それだけでは効果が今一つだ。小夜の言う通り、確かに暖炉は効率面では良いとは言えない。
「それは、今回みたいに雪で送電がうまくいかない場合、物理的にいつでも使える暖炉に頼るんですよ」
「へえ……」
「今は知りませんがロシアのシベリア鉄道等もかつては暖房だけは電気を使わないと聞きます」
「そうよね、寒いところで立ち往生したら凍え死んでしまうもの」
 二人の雑談は続いた。最初は現在のところ入試は全滅といった暗い話題だったのが、話が進むにつれ受験勉強のことはしばし頭から離れ、名前しか知らない駅員に貝浜に引っ越してきたいきさつ、父は毎日釣り三昧だなど、とりとめのない話が続いた。大石はその仕草を見て、彼女は受験勉強で大分自分を追い込んでいるのだろうなと思った。普段通学で見る顔と違い、今はとても純真で可愛らしい自然な笑顔を見せているのだ。大石は不謹慎にも、もうしばらくだけ、列車が来ないで欲しいと思った――。
 
***

 電話が鳴ったので大石は事務室に回り急いで受話器を取った。列車がようやく復旧したとの知らせだ。
 確認のため、到着と発車時間を復唱しながら窓口の先にいる小夜に目を遣り指で合図をすると、手を叩いて喜ぶ姿を見て電話口で「ありがとうございます」と答えると相手側に笑われてしまった。
「間に合いそうですか」
 大石は待合室に戻り質問すると小夜はチラッと時計を見た。
「ギリだけど何とかなりそうです」
 陽も暮れて、ようやく寄房行きの列車の光が近づき貝浜駅に着いた。いつもは閑散としている列車は足止めを食った乗客であふれ、待合室にある開業当初の駅舎の写真のような混み具合だ。
「貝浜、貝浜ぁ」
 大石は今日初めて駅の名前を読んだ。それでもここで降りる乗客はいない。
 これくらい寒い日は素手で扉のボタンを押すと低温やけどをする恐れがある。大石は小夜のために列車の扉のボタンを押した。
「頑張ってくださいね」
 大石は握りこぶしを作り小さく腰の前で振った。駅員として勤務して初めて様式に沿わない行動をとった。
「ありがとうございました」
 小夜は扉を閉めると窓の外にいる大石にお辞儀をし、それから窓の向こうで彼女も同じようにこぶしを腰の前で振って見せた。大石はいつものように扉が閉まっているのを確認して、
「寄房行き、発車しまーす」
と大きな呼び声を上げて、小夜に敬礼して見送った――。