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短編集『ホッとする話』

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 冬の寒い朝、今日は朝からなんの用事もない日曜日。夫の幸仁と娘の早希子はいつものようにリビングでテレビをみながらダラダラと休日の懇ろな時間をくつろいでいた。
「みんなーっ」安穏で静寂な雰囲気の中、晶子が二人に声を発した「今日は天気がいいから、今度できたモールへ買い出しに行かない?」
そう言って新聞の折込チラシを前に出した。テレビでも話題のモールが最近出来たと言うのだ。しかし、そこへは来るまでおよそ1時間、決して近い距離にあるとはいえない。
「ええっ」幸仁は妻の言葉を聞いてソファから立ち上がった「昨日の酒がまだ残ってんだけどなぁ」
 昨日夫は同窓会でたくさん飲んだ話を昨日の迎えの車内で話していた。もちろんその時も乱すことなく車庫入れもしっかり誘導していた。
「いいんですよ。私が運転しますから」
「でもなぁ……」
幸仁はまだ納得いかない様子だ。口には出さないが様子で分かる。運転は自分がするものと思っていたのだろう。
 意気込んで言ってみた晶子だったが、その勢いが消されかけたところで早希子が割って入った。
「いいじゃん、あたしは行って見たいな。こないだできたトコロでしょ?」
ちょうどテレビでそのモールのCMが流れている、郊外の大きな建物だ。
「ねえねえ、行こうよ。お母さんもそう言ってくれてるんだし」
早希子は父の肩を後ろからトントンと叩いた。晶子は普段気まま奔放な娘の仕草がこの時ばかりは救いに見えた。
「それだけ言われたらなあ……」
という幸仁であるが、妻と娘は幸仁がテレビのCMにロックオンしていたのを見逃していなかった。本当は満更でもない様子だ。
「そうと決まれば早く支度しようよ」
 二人は幸仁に返事を聞くことなく、早速出掛ける準備を始め出した――。

   * * *  

 いつもと違う買い物の出発。運転するのは晶子、助手席に乗るのは幸仁。晶子は今まで夫を助手席に乗せるのは試験みたいなものと自分の中で思っていたが今日はそんな気が起こらず、なぜか楽しい気分だった。
「どうぞ、お疲れでしょうから道中ゆっくりしてくださいね」
 晶子が微笑みかけて言うと、幸仁は何も言わずにただ頷いて助手席に座り込んだ。夫がシートベルトを締めるのを確認して晶子もベルトを締め、シートに背中を付けた。
「さあ、楽しんで行きましょうか」
 エンジン始動、ギアをドライブに入れてサイドブレーキ解除、ウインカーを出して左右確認。本線には車両無し、ゆっくりと合流。晶子がハンドルを握った三人が乗った車はスムーズに走り出し、前後対向もまばらな交通量の県道を無理のないスピードで走り続けた。

 ここまでは順調だ。道が単調なのとポカポカ陽気も味方に付いて、横から指導の声が聞こえない。横目に見える夫はいつもの様子で周囲に目を遣っている。それでも今日は運転が楽しい、そもそも自分が誘い出したのだから。何の指摘もない道中で、晶子は心の中で鼻唄などを歌い出した――。
 モールのある町に近づくにつれて交通量が増えてきた。晶子はそれでもいつもの調子を変えずにゆっくりと加速減速、信号が代わりかかっていれば無理に進まない――そう胸のうちで決めてハンドルを回し続けた。そうしているうちにモールの大きな看板が遠くで見えてきて、はやる気持ちを前へ進ませているところで目の前で変わる信号に気づき晶子はあわてて強くブレーキを踏み込んだ。
「あ、しまった……」
 晶子は心の中で漏らしてしまい、まずいと思って左の助手席に目を向けた。せっかくここまで何も言われずに運転して来れたのにと思っていると、助手席で夫はいつの間にか寝てしまっているのだ。
「あら……」
そして晶子は思わずルームミラーで後ろに座る娘を見た。早希子は何も知らない様子でスマホの画面に目を向けている。
「早希ちゃん、お父さんが……」
「え?」 
 早希子は母の呼びかけに答えて体を前に乗り出した。今まで見たことのない車での父の寝顔に思わず笑みがこぼれていた。
「やったね、お母さん」
 晶子はそういいながら早希子が後部座席で用意していたタオルケットを夫にそっと掛けた。それからルームミラー越しに娘と目を合わせ微笑みあうと信号が青に変わりった。
「発車オーライ!」
 晶子は小さく呟いて、ゆっくりとアクセルを踏み車を前に進めた――。
「あたしも免許取ったら出来るかな?」
「できるわよ。楽しんで運転したらね」
 目的地まではもう少し、晶子はもう一度ミラー越しに娘の顔とそして助手席の夫の顔を見ては微笑んで、ハンドルをもう一度握りなおした――。 
   
   『発車オーライ!』 おわり