短編集『ホッとする話』
九 赤になったら 26.12.25
10月最初の月曜日。巌夫(いわお)は昨日から泊まりで遊びに来た孫二人を連れ、車で近所の山すその公園まで遊びに来ていた。巌夫のかわいい孫、姉の花梨(かりん)は小学校一年生。一昨日の土曜日に初めての運動会に出たので昨日と今日は学校が休みだ。
初めての運動会を見に行ったその足で、花梨と2歳年下の弟である翔太(しょうた)を引き取って、昨日から自宅に連れ帰り泊まり付きで二人の面倒を見ていた。息子夫婦は平日外せない仕事があって孫の子守りを任されたわけだが、嫁の両親ではなく自分に任されたことが嬉しかった。あちらのご両親もまだ現役最後の世代、仕方なしの選択であるとも取れなくもないが、ここは喜んで目を瞑っておこう。
元気にはしゃぎ回る孫の花梨と翔太は毎日習い事や宿題があってなかなか自由に遊べない。本人たちがそう言うのだから、都会の生活の窮屈さと競争ってのは自分の頃と比較して何とも大変なものだと巌夫は思う。
しかし、巌夫は息子たちの方針には横やりを入れずただ見守ることにしている。世代の違う自分が言うことではない、そう思いたい。
せっかく今日はそんなしがらみの無いところにいるのだから目一杯遊ばせてやろう、と思うのが爺の心理。とはいえ家にいても遊び道具がないというのもあるが、今日は家にいるにはもったいないほど良い天気なので巌夫はかわいい孫を連れて近くまでドライブに来ていた。
そんな都会育ちの孫たちだが意外とこういった自然のあるところが好きなようで、姉は縄跳びを持って走り回り、弟は残り少ない命の時間を謳歌して飛ぶトンボを見ては珍しそうに追いかけている。孫の喜ぶ顔に巌夫もホッと一息ついて、ベンチに腰かけて二人の遊んでいる姿を見て楽しんでいた――。
「ねえねえ、おじいちゃん」
「なんじゃ?」
花梨が巌夫の袖をつかんで公園の向こうを指差して言った。
「あの橋の向こうには何があるの?」
公園の山側の端には大きな橋があり、その両端には門番かと思わせるように2本づつ木が植えられていて、その下にはダムから流れる水路が見える。そしてその向こう。そこに見えるのは大きな鳥居。さらに向こうは石の階段が見えるが、茂った木に隠れてその頂は全く見えない。何のへんてつも無いただの山だ。
「あの橋はな、青の時には渡っちゃいかんのじゃ。赤になったら渡るんじゃ」
あとから姉を追いかけてやって来た翔太もそれを聞いて二人は目を丸くした。
「ええか、花梨、翔太。あの橋は赤になったら渡るんじゃぞ」そういって前方に見える橋の両端を指差した。
「わかった――」
「『赤になったら渡りましょう』だね」
巌夫は孫にそう教えると、花梨と翔太はそう答えて大きく頷いた。
「じゃからそれまでは待っとかなきゃアカンのじゃ。今は青じゃから行っても何もないんじゃよ」
そう言ってるうちに陽は西の方へと進んでいる。秋分を越えた陽は落ちるのがやっぱり早くなっているのを感じた巌夫は、花梨たちを車に乗せて妻の待つ自宅に帰ることにした。今日は二人を引き取りに息子夫婦がやって来る、妻はちょっとしたご馳走を用意して巌夫と息子を待っているのだ。
「さあ、二人とも。おうちに帰ってゴハン食べようか。おばあちゃんが待っとるでな」
「はーい」
二人並んで元気よく返事がすると小さな二つのカエデの掌が上がった。巌夫はその手を見てウンウンと頷いて車をゆっくり発進させる。
「ええか、二人とも。これはここにいる三人だけの秘密じゃからの」
車は快調に山の坂道を下る。巌夫は後部座席にちょこんと乗る二人に対し念押しをした。
「はーい!」
「おお、いいお返事じゃ。赤になったらまたここに来よう」
巌夫の細い目はさらに細くなった。行き掛けに妻から
「途中買い食いとかしてはいけませんよ」
と釘を刺されているにも関わらずそんなことはスッカリ忘れ、帰り道に甘いものでも食べさせてあげようと、孫自慢を兼ねて知りあいが経営しているお店に向けてハンドルを回していた。
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔