短編集『ホッとする話』
次の日、僕と美春は朝から雛人形を片付けることにした、公則君を家に呼ぶことになったためだ。昨日の今日の話なのに、段取りを決めてさっさと実行に移すあたりはいつもの美春だ。両親は心構えはできているとはいうものの朝から緊張していて片付けるまでは手が回っていない。
床の間の天袋、雛人形の箱を置いていた箱の隣にはこいのぼりが置いてある。そういえば雛人形を直す前にこいのぼりと兜を一度出してから雛人形を直していた。
「今度はこいのぼりだね」
「はは、本当だ」端午の節句はこどもの日でもある。5月には子どもを連れてここへ戻ってくることは何度かあったから、子どもたちはこの家の旗立てに大きなこいのぼりが元気良く空を泳いでいるのを見たことがある。
「みーやんは雛人形が好きだというけど、僕はこいのぼりが好きなんだ」
「それって、この時期毎年言ってなかった?」
「はは、そうだったけな」僕はそう言いながら作業の手を止めず雛人形をいれた一つ目の段ボールを天袋に直した。
「なんで?」
「ほら、こいのぼりって夢みたいなのがどこまでも広がっていくって感じしない?」
「そうね、外にあるものだからその世界観は男の子っぽくていいね」
「それでさ、きょうだいができるって聞いた時、弟だったらこいのぼりが増えるから弟がいいって言ったんだよ」
「で、生まれたのが、あたし?」
「そう――」
僕は妹に嫌な気をもたせないようにクスッと笑って見せた。
「それでこの子は残念がってね……」
するとその話を横のリビングで聞いていた母が床の間に入ってきた。家にいるのによそ行きのかっこうになっている。
「まあまあ、聞いてくれよ。話に続きが、あるんだ」妹の感情が現れる前に、僕は続けて口を開ける。
「でもさ、みーやんが生まれてウチに雛人形が飾られた。それから価値観が変わった。どっちもあった方がいいじゃん、雛人形もこいのぼりも。みーやんが弟だったらコレは家になかったわけだからね」
僕はお内裏様の顔に紙をかぶせて専用の箱に収めると、しばらくの間華やかに飾られた床の間は質素な風の通る広い空間になった。
最後の箱をひょいと持ち上げて部屋を見まわすと美春は代わりに出ているこいのぼりを一匹だけ出して広げている。
「ほんとだね。私は、こいのぼりも好きだよ。女の子しかいない家には無かったから、ちょっと嬉しかった」
「そうだな……」
僕はその先は言わないことにした。勝手気ままなように見えても実はしっかり人に気を遣っている妹がしっかり大人になったと思ったということを。さっき出したこいのぼりを片付けている美春の背中に向けて一言だけ聞こえない声で小さく「これからもワガママ言ってもいいんだよ」と言ってやった。
最後のお雛様を箱に入れて閉じると少し寂しい感じがする。次に飾られるのはいつだろう、美春に女の子が生まれる時だろうか。床の間の真ん中に座卓を出したところで玄関のチャイムが鳴った。美春は先に行こうとする母を止めて玄関に駆けていった。
* * *
両親と二人が床の間で話をしている間、僕は自分の部屋に戻りスケジュール帳を開いて明日の予定を確認した。明日は支店に詰めて仕事をする予定だ。先日訪ねた時は雰囲気のアットホームさに圧倒され、自分でも驚くくらい支店の空気に馴染んだ。中央で見られる駆け引きやギスギスした関係がない。同郷の者が多く、自分も同郷だからというのもあるけれど、とにかく初めて行く支店だったのに、何年も前にそこにいて帰ってきたような心地よさだった。
人事は会社が決めるものだけど、僕は次の人事調査では、この町に帰りたいと言ってみようと思った――。
そして僕は窓を開けて部屋に空気を入れると風と一緒に下の床の間から笑い声が聞こえてきた。そして、縁側前の庭にある枝だけの桜の木が、ほんの少しだけ薄いピンク色に変わっていた。
ちょっと遅れたけど今日は我が家で最後のひなまつりだ――。
ひなまつり ひなまつり 終わり
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔