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短編集『ホッとする話』

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 僕には10歳年下の妹がいる。僕自身、父が40手前の子だったから物心ついた時は僕は一人っ子で生きていくのだろうと子供ながらに思っていた。ところが僕が四年生の時、ひょっこり生まれてきたのが妹の美春だった。両親が年を取ってからの子だけに二人は娘がかわいくてしょうがないのが、この雛人形の大きさをみれば分かる。

 妹は今年で30歳になるが、未だに雛人形を飾っていることからも分かるように現在のところ未婚。直接聞いたことはないが、見ている限り本人に意識している様子は全くと言っていいほどない。
 妹は僕と違ってかなり奔放な性格で、小さい頃から活発で思い込んだらどこまでものめり込むタイプで身内の中で似た性格の者がいないので本当に身内なのかと思うほどだ。
 現に今も、お金を貯めては世界を飛び回り地球のどこかにいる。彼女が高校生のころくらいまでは親も元気だったので何とか彼女の手綱をとることができていたが、だんだん両親も年を取りそれも困難になった。
 それが理由というわけではないが美春は高校を卒業して進学のため一度実家を離れ、当時新婚だった僕の家に居候していた。大学が通える距離にあるというのもあるが、つまりは妹の面倒をみることをほぼ完全に任されたのだ。その時期僕はけっこう妹には振り回されたが、妻や10歳になる僕の娘とはウマが合うようで娘なんかはその生き様に完全に魅了され、叔母というより姉のように慕っている。

 手堅く生きることを望み、それが親孝行だと思う兄である僕、将来のことは深く考えずに今と自分を謳歌する妹の美春。実家にいたころは妹の子守を任され、居候していた時期も結局彼女の保護者代わりにならざるを得ず自分の中で妹の存在が足かせになっていた時期があったことは否定できない。なのに美春はそんな兄の苦労など気にもせず、やりたいと思ったことはどこまでも追い求めている、巷で言われる結婚適齢期を越えた30歳になった今でも――。

 だけど不思議とその生き方について妬みもやっかみもない。本当は僕も妹みたいに世界を自由に飛び回りたいのに家庭や仕事があってそれもなかなか出来ない。私生活では子どもの成績が気になるし、仕事では自分のポジションや社員の出世の状況が気になる。僕も娘と同じように、新しい時代を自分の価値観で生きる妹の生き様に憧れているのかもしれない――。

「誰のために飾ってるのさ、みーやんいなかったら意味ないじゃないか」
「そうなんだけど、あの子が帰って来るまでは飾っておこうと思ってね。ホラ、あの娘雛人形が大好きだから」
 テーブルから燗が下げられると変わりに熱いお茶が出された、母は夫の酒量をちゃんと管理している。
「去年もそうだったっけ。ほらあそこ行ってたじゃないか『ニカラグア』」
「違いますよ、『グアテマラ』ですよ」
実家に住む妹は現在の仕事の関係で3月に休みになることが多く、この時期は大体国内にいない。特段に用事が無ければ連絡もとらないが妹の様子は一緒に住む両親から聞ける。
「あのさあ、母さん。雛人形をいつまでも飾ってたらどうなるか知ってる?」
 のほほんとする二人を見て僕は呆れ顔で質問をした。すると父も母も表情一つ変えずに僕に答えてくれた。
「もちろん、知ってるよ」
「婚期が遅れるってやつでしょ」
 台所での作業が済んだ母も湯飲みを持ってテーブルに座った。
「しかし現代の社会では結婚だけが女性の幸せでは、なかろう」
「そうそう、あの娘はあの娘なりにちゃんと考えて行動してるのよ。そりゃ、嫁いでくれたら嬉しいけど……」

 二人は熱いお茶をすすりながら笑いあった。さっきとは違う表情と少ない言葉数の間に親世代の小さなホンネが見えたような気がした。