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短編集『ホッとする話』

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一〇 ひなまつり ひなまつり 27.3.14



 出張先がたまたま実家の近くだったので、会社と家族に了解をとった上で僕は実家に一週間ほど帰ることにした。春はそこまで来ているというのは暦の上だけで、外はまだまだ寒い。大学を出て社会人になって以来、年に一回か二回しか帰ることのない実家に僕の荷物はほとんどなく、あっても親が残した思い出の品くらいだ。なので携行する荷物はおのずと多くなる――。

   * * *

「ただいま」
 日中の仕事を終えた僕は久し振りに一人実家の戸を引いた。今では戸を引くのは子供たちの役割なので、一人で自分の家に帰るのが少し恥ずかしい。
 立て替えを勧められそうな古い日本家屋、物心着いた時から古かったので今さら古い家とは思わない。その音を聞いた母はいそいそと廊下を駆けて玄関で正座して僕の帰りを迎えてくれた。

「おかえり」
「やだなあ、そんな仰々しく迎えないでよ」
「何を言ってるの『老いては子に従え』よ」
僕はその言葉に甘えて母にかばんを預けるとそのまま廊下を通ってリビングに入った。外側のたたずまいと違ってここだけは最近リフォームされた現代の部屋。カウンターキッチンに食卓があって、壁には孫の写真が所狭しと貼られている。

「父さん、ただいま」
「おお、よう帰ってきたのう」
 最近すっかり加齢が進んだ父にあいさつをして食卓に座った。すると間を置かずに玄関から戻ってきた母が同時に食事を用意してくれる。さっきの言葉が示すように、母は現役世代の自分たちにはこれでもかと言うくらい尽くしてくれる、自分はそんなにえらくなった訳ではないから少し恐縮する。いつもの出張ならコンビニで弁当と酒を買ってビジネスホテルでちびちびとやるところだ。今回の出張ばかりは会社にも感謝しなければならない――。

 父に熱燗を注がれた。普段は飲まない日本酒だがここは快くいただく。父ももうすぐ喜寿を迎えるが年齢からくる衰えはあるも致命的な病気もせず元気に毎日飲んでいる。母はそれを良く思っていないようだがストレスを溜めるよりはいいだろうと半ばあきらめていると笑いながら話をする。
「子どもたちは元気かのう」
 口を開ければ孫の話。現役世代で働く僕よりも、子供の成長が楽しみでたまらないのだろう。家においてきた二人の子どもの話をすると父も母も盃が進み、ただえさえ細い目が瞑っているくらい細くなるのを見て僕も盃を開けて答えた。

 そんな食事の合間、ふと横を見るとリビングの向こうの使われていない床の間に立派な雛人形が飾られている。
 我が家を含め都会の家ではまず置けないだろうの七段飾り。置けないのではなく置かないと言ってもいい。都会の生活は合理化しすぎて雛人形を飾る習慣そのものが減っていると感じるし、僕の娘はかつて雛人形を「幼稚園で見るもの」とまで言った。
 そして今日の日付は3月3日を過ぎている。この時期に娘を連れてここへ来た記憶はないのだから、これは孫のためではないのは容易に理解できる。
「まだ、人形直してないんだね」
「毎年なんだけど出しちゃうと片付けるのもったいないのよね」
僕がポツリと言うと母はカウンターの向こうでしゃもじをもったまま笑い出した。
「んで、『みーやん』は?」
「セネガル」
「またそんなところへ行ってるの?」
 『みーやん』というのは美春という10歳年下の妹のことだ。そう、この雛人形は現在国内にいない妹のために飾られてあるものだ――。