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短編集『ホッとする話』

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 あれから時は経ち、僕は勉強漬けの一年を過ごした。結局僕は別の大学に進学することになった。憧れていた大学には結局縁がなかった。だけど自分で決めて進む大学なんだからそれでいいし、結果的には満足している。無事に進学できた僕は毎日を楽しいものにしようと決めていた。

 キャンパスには桜はないが、正門から駅までの通りに立派な桜並木がある。僕は桜が好きじゃない、尾を引いてるわけじゃないけど思い出したくないこともあるから――。

 入学式も済んで学科のゼミも決まり、学生生活が軌道に乗る頃には桜の花は散り始める。だから僕は満開の桜は見る余裕もなく今という時を迎えた。

 散る桜は、春の雨がそれを加速させる。人はそれを惜しんでいるようだけど、僕はさっさと散ってしまえばいいと一人思っていた。そんな雨の降る日、4限の授業を終えた僕は正門前のバス停でバスを待っていた。雨が強くなってきた、今日に限ってバスがなかなか来ない。

「あら……」
バス停を挟んだ道路の向こう、同じゼミ生の伊澤さんが僕に気づいて雨の中、傘も差さずに道路を横切って近づいてきた。
「石本君も授業終わりなの?」
「え?ああ。5限は取ってないんだ」
 伊澤さんはフレンドリーに声を掛けてきた。同じゼミといってもまだ数度しか会っていない。名前の順で席が隣になることが多い、ただそれだけのことだ。まだ横顔しか印象のない彼女を意識して正面から見たのは今日が初めてかもしれない。サラッとした長い髪が雨で少し濡れている。
「バス、来ないね」
「本当だね」
 会話が止まると雨の音が聞こえる。大学も授業が始まったばかりでこの時間に帰る人はまばらだ。

「歩いて、帰ろうかな?」
 ここから駅までは歩いて帰れない距離ではない。時刻表を見ればバスは僕がここにつく直前に出てしまったようだ。次のバスが来るまで少し時間がかかるようだ――。
「あたし、傘忘れたんだ……」
「そうだったんだ」気まずくなった僕は下を向いて自分の傘を見つめた。どこにでもある透明の安物の傘、骨が1本折れていて
閉じた姿がなんとも不恰好だ。
 僕がそれを見ていると横で同じ方向に視線を感じた、伊澤さんも僕の傘を見ているのだ。
ふと横を向いて彼女の顔を見ると恥ずかしくなったのか、僕は急に笑い出してしまった。
「カッコ悪いよね、この傘」
「忘れるより、マシだよ」
 そう言われてお互いに笑いあった。僕は彼女の顔を見て自分の中にいるもう一人の自分が僕の口を動かした。
「入って、行くかい?ビニ傘だけど」
「いいの?」
ニコッと笑顔を浮かべる伊澤さん。僕の顔が一瞬で真っ赤に変わっていくのを明らかに感じた。
「伊澤さんさえ良ければ」
「ありがとう」
 僕は速くなる鼓動を感じながら傘を差した。骨が一本、変な方向へ曲がっているけど、それはお互いをクスクスと笑わせるには十分なアクセントだった――。

   * * *

 僕と伊澤さんはバス停を出た。駅までは歩いて20分足らず、正門から伸びる桜並木を歩いて行った先にある。雨の中桜が散ってゆく通りを僕たちは一つのボロ傘をさして並んで歩いた。
「透明の傘だけに、散る桜が見えるね」
「確かにそうだ」
 僕は上を向いて差した傘を見つめた。確かに何の飾り付けもない安物の透明の傘が桜模様になっている。
 僕は桜が嫌いだ。咲いている桜も、散る桜も――、そう言おうとしたけれどやっぱり言わないことにした。それよりももう少し何も話さなくていいからこうしていたい、そう思い傘の向こうの空を眺めた。
「おや、雨――、あがってるじゃんか」
空いた方の手を傘の外へ出すと手は雨に濡れていない、その代わり舞い散る桜の花びらが僕の手のひらの上に舞い降りていた。
「いいじゃない。もうちょっとだけ差してようよ」
伊澤さんは少し僕の方に近づくと彼女の頭が僕の肩に当たった、少し濡れた髪からいい香りがした。僕は何も答えなかったけど伊澤さんの言うようにもうちょっとだけ差していようと思った。

 散る桜にだって良いことが、ある。僕は伊澤さんにお礼を言うと「それはあたしの言葉よ」と言い返されたけど本当のことは言わずに笑ってごまかした。僕は嬉しかった、本当の意味で吹っ切れたと思えるようになった――。


   さくら さくら  終わり