アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一の呟き
桜餅
俺の選択は正解だった。
祐一は自画自賛した。
目の前に鎮座しているのは、書き置きと、桜色の餅。
そして何より『試作品』。
この単語が並ぶということは、つまり、当日にもこれが出るという事だ。
『試作品ですが、もしよろしければお食べください。
305号室 鏑木
(参加される方は、名前書いてもらえるとありがたいです)』
単純に推測して、鏑木さん…確か、花見の発案者だったな…は、コレを人数分以上用意するためにワザワザ『参加される方は、名前書いてもらえるとありがたいです』と書き連ねてあるのだろう。
スーパーの桜餅なんか、差し入れてる場合じゃねぇ。
やはりここで役に立つのは、『酒』そして『肉』だ。
(よくやった、俺。幸いにして数日でブツは届くし)
カレーの一件で出遅れた祐一は既にこのハイツの食物消費量が平均値より高いことを理解した…つもりである。
いや、別に食えなかったから言ってるわけじゃないけどね。
祐一はさっさと桜餅を手にすると、間近に残されていたペンで『ご馳走になります。302藤井、参加予定です』と書き記す。
何か、長くね?
…まぁ、いいか。
桜の葉を取って、葉っぱだけ先に食べる。
しょっぱい。
でも、混ざるよりマシ。
祐一は個人的に、『桜餅の葉っぱは残す』派だったが、既製品でなく他人様がこさえてくれたものに関しては、ある程度の失礼を承知でこうやって頂くことにしている。
だって、コイツに関してだけは、しょっぱいのと甘いのが一緒なのが苦手なんだもの。
(アインに食わせたら流石に寿命縮むだろうな…)
しかし、住人がいる場所には何故か大抵顔を出すらしい不思議な猫が今回に限っていないのは、何故だろう。
(ちっ、飼猫と言えどもやはり獣か。いい勘してやがる)
その気も無いのにちょっと悪役を気取ってみる。
考えてから、『そうか、冗談半分でこういう事考える奴がいるから今はいないんだな』と、妙に納得した。
残った餅の部分を口に咥え、水道で手を洗ってから祐一はその場を去る。
中身の餡はこし餡だった。
(へー、こし餡か。俺、あんこは基本つぶ餡派だからちょっと新鮮かも…。でも、コレって毎回どっちが普通なのか考えちゃうよな…。味噌餡なんてのも場所によっては聞くし。まぁ、そんなんじゃないだけマシか。何より、他人様から頂いたものだし)
行儀悪く口に咥えたまま、器用に二口で餅を口の中へ片付けながら、階段を登る。
(こし餡も結構行けんじゃん)
滑らかに舌の上を滑りつつも、上顎に当たって潰れる時の感触が繊細で、絹のような白さを感じさせる。
適度に潰された餅米の粒は、滑らかな絹の上で踊る宝石のようだった。
作り手の気合を感じさせる味だ。
(コレはコレは。行儀の悪い食べ方をして申し訳ない事をした)
階段を登りながらも、『ご馳走様でした』と合掌は欠かさない。
全一和合。
気合を入れた作り手と、俺の間食のために失われた自然の営みにも感謝だ。
花見は確か、土曜だったな。
まぁ、子供は子供らしく、大人達の酒の邪魔にならない程度に楽しむとしよう。
黒毛和牛の一口目だけは、譲らないが。
作品名:アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一の呟き 作家名:辻原貴之