つばめが来るまで
「ええ。私が子どもの頃は、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが居て、おじいちゃん、おばあちゃんが居て、両親と兄が居たので8人家族だったんです。」
「そりゃあ、凄いな!」僕は驚いて言った。
「でも、みんな居なくなってしまって・・。」春花は寂しそうに言った。
「ごめんね、変なこと聞いちゃって。」僕は言った。
「いいえ。」春花は言った。見ると、少し涙ぐんでいた。
「でも、昼間も言ったけど、春花ちゃんは一人じゃないから。何かあったら、僕だって居るよ。頼りないけどね。」僕は言った。
「・・ありがとう。」春花は、そういうと、僕に寄りかかってきた。僕は、軽く春花の肩を抱いた。
「ところで、おばあさんは、何時ごろ帰って来るの?」
「実は、おばあちゃんは、今日は知り合いの家に行っていて、帰って来ないんです。」
「え?デーサービスじゃなかったの?」
「デーサービスは3時までで、その後、知り合いの家に送ってもらって、今夜はそこに泊めてもらう事になっているんです。」
「じゃあ、今日は帰って来ないって事?」僕は聞いた。
「そうなんです。」春花は言った。
「じゃあ、今夜は僕たち二人きりって事?」
「そうなんです。」春花はうつむいて言った。僕は、急に春花から離れた。
「あ、いや、それはまずいだろ?おばあさんが居るものと思っていたから、泊まらせてもらう事にしたのに。」僕は慌てて言った。
「嫌ですか?私と二人だけでは?」
「いや。嫌って言う訳では無いけど、まずいでしょう?」
「私を、軽い女だと思いますか?」
「いや、そんな事は思わないよ。春花ちゃんが真面目な性格だって事は、今までのやり取りからよくわかっている。でも・・。」
「でも?」
「まずいんじゃないかなぁ。やっぱり・・・。」僕はドキドキしながら言った。
「私、寂しいんです。一人で過ごすのが・・・。一緒にいてくれませんか?」春花は涙ぐんで言った。
「わかった、わかったよ。これだけ広い家だから、僕が一人で寝る部屋はあるよね。泊めてもらうよ。」僕は言った。
「良かった。怒って帰ってしまったらどうしようって思ったの。」春花は言った。
「怒りはしないけど、驚いたよ。」僕は言った。
それから、春花は夕食に手料理を作ってくれた。心からのおもてなしをしてくれている事が良くわかった。
「お口にあうと良いんだけど・・。」
「いや、みな美味しいよ。一人暮らしの僕にとっては、ものすごい御馳走だよ。本当に、みんな美味しいよ。」僕は言った。
「良かった。」春花は微笑んだ。
「しかし、静かだね。」僕は言った。時折、遠くで電車の音がする。それ以外はとても静かな街だった。
「ええ。静か過ぎるくらいでしょう?」
「いや、いいんじゃない。落ち着いて。」
「真人さんは、お酒は飲むんですか?」
「いや、殆ど飲まないんだ。付き合い程度かな。」
「そうなんですか。ワインでも飲みませんか?」春花はそう言って、ワイングラスを2つと池田ワインを持ってきた。
「池田ワインかぁ。」僕は思わず言った。
「知ってるんですか?」春花は言った。
「いや、そういうわけでは無いけれど。僕は旅が好きでね、学生時代からよく旅行したんだ。北海道や九州、全国を列車で周ったよ。それで、JR北海道の根室本線という路線に乗った時、池田を通ったなと思ってね。」
「そうなんですか。私は、北海道には行った事がないんです。憧れているんですけどね。こんな仕事をしていると、なかなか数日間も家を空けられなくて。」
「そうだよね。お店があるからね。」
「ええ。北海道の話を聞かせてくれませんか。十勝チーズも持ってきますから。」春花はそう言って、冷蔵庫からチーズを持ってきた。
それから、十勝チーズを肴に、僕は北海道の話をした。春花は、楽しそうに聴いていた。
「中でも、納沙布岬と宗谷岬は良いよ。まさに、最東端、最北端だからね。それから、釧路湿原や知床も時間があったら是非行きたいところだね。」
「いいなぁ。行ってみたいなぁ。」春花は遠くを見る様に言った。
「夜行列車も良いんだよ。旅情があってね。」僕は言った。
「ここからだと、京都から『トワイライト・エキスプレス』に乗れば、翌日には北海道ですね。」春花は言った。
「そうかぁ。関東の人間の感覚だと、『カシオペア』か『北斗星』だけれど、関西からだと『トワイライト・エキスプレス』がいいよね。」
「いいだろうなぁ。北海道に行ってみたいなぁ。」春花は言った。
ワインを飲んで、少し頬が赤くなった春花が、僕にもたれかかってきた。
「どうしたの?少し酔った?」
「ええ、酔ったみたい。真人さん、介抱してくれますか?」
「少し横になったら?疲れているんだよ、きっと。」
「・・はい、そうします。」そういうと、春花は横になった。
酔いが回ってきた上に、夏の夜とあって蒸し暑かった。春花は、タンクトップにショートパンツというラフな服装で、僕の横に眠ってしまった。僕は、自分に言い聞かせた。彼女は、僕にとって大事な友達だ。大切にしなければならない。これからも、ずっと大切な友達でなければならない。だから、一線は越えてはいけない。寝返りを打つ彼女が、とても色っぽくて困った。見ると、近くにタオルケットがあった。僕は、それを持ってきて、彼女の上にそっとかけた。
TVでは、2時間もののミステリードラマを流していた。風光明媚な景勝地で、探偵が事件の全容を説明している。どうしてミステリーでは、いつも風光明媚な景勝地で、事件の謎解きをするのだろうか。
ドラマが終わってエンドロールが流れている時、突然、春花が起き上がった。
「あっ、ごめんなさい。私、すっかり寝てしまって。」春花は言った。
「いいんだよ。疲れているんだろう。今夜はもう休もう。僕はどこで寝かしてもらえばいいのかな?」僕は言った。
「えーと、私の部屋・・。あ、じゃない、私、何言ってんだろう。客間があります。こっちです。」春花はふらふらしながら、歩き出した。
「大丈夫?まだ、酔っているんじゃない?」僕は春花の肩を軽く支えて歩きながら言った。
「平気です。酔ってなんかいませんよ。」そう言いながら、春花は僕の方に寄りかかった。
「ちょっと、座って。危ないから。」僕はそう言って、春花を座らせた。
「すみません。私、ちょっと酔っているみたいです。」春花は言った。
「毎日、一生懸命頑張って働いているんだから、たまには休んでもいいんだよ。頑張りすぎだよ。今度、少しまとめて休みにしたら。」僕は言った。
「・・本当は、休みたいんです。毎日、毎日、ずっと働きづめで、疲れちゃいました。もう、この辺で終わりにしたいです。」春花は涙を浮かべながら言った。
「そうだよね。君は一人でよく頑張ったよ。少し休んだ方がいい。」僕は言った。
「真人さん、私を助けてください。私を守ってください!」春花は泣きじゃくるように言って、すがりついてきた。
「助けるって、いったいどうしたらいいの?」僕は当惑して聞いた。
「・・・ごめんなさい。私、どうかしてました。大丈夫です。大丈夫。」
「本当に、疲れているんだね。今夜はゆっくり休んだ方が良い。君の部屋はどこ?」
「2階です。」
「階段、登れるかな?」
「不安なので、連れて行ってくれますか?」