つばめが来るまで
「ええ、うんざりするほど。ありがたい事なんですけどね。でも、江戸時代から続けている店を、私の代で潰したくないんです。」
「偉いなぁ。そういう心意気、僕も好きだなぁ。」
「頑固なんですよ、きっと。」春花はそう言って、寂しそうに笑った。
「兄弟は居ないの?」
「兄が一人居るんですが、気ままに海外に行ったまま、帰ってこなくて。家業を継ぐなんて意識は全く無い様で。」
「そうかぁ。それで、君が一人で背負っているんだ。家業もおばあさんの世話も。」
「ええ。とても可愛がってくれた、おばあちゃんなんです。両親が仕事で忙しくて構ってくれないから、私の世話はもっぱらおばあちゃんがしてくれました。だから、私、おばあちゃん子なんです。」
「いいなぁ。そういう、家族のつながりって大事だよね。」僕は言った。
「でも、本当はとても孤独で、時々、逃げ出したくなる事があります。それに、もしおばあちゃんが万が一の時は、私一人になってしまうんじゃないかって思うと不安で・・。」春花は言葉に詰まった。
「春花ちゃんは一人じゃないよ。僕だって居るじゃないか。頼りないかもしれないけど。」僕は言った。
「ありがとう・・・。」
車は、琵琶湖展望台に着いた。
「どうです?素晴らしい景色でしょう。私の一番好きな所なんです。」春花は言った。
「本当に、凄いね。琵琶湖って本当に広いなぁ。」僕は言った。
その時、どこからか懐かしい感じのオルゴールの音が聞こえた。
「この曲、知ってますか?」春花は聞いた。
「いや、懐かしい感じの曲だけど、知らないなぁ。」僕は答えた。
「これは、『琵琶湖周航の歌』です。作詞は小口太郎、作曲は吉田千秋。加藤登紀子さんもカバーしています。」
「それで、どこかで聴いた気がしたのかな。」
「『われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあれば・・・』という歌詞なんです。」
「全曲を聴いてみたいね。」僕は言った。
「あとで、車の中で歌ってあげます。ここでは、ちょっと恥ずかしいから。」春花は言った。
「それは楽しみだなぁ。」
「余り期待しないでくださいね。私、歌は下手だから。」春花は笑った。
それから、彦根城に向かう事にした。もちろん、ひこにゃんにも会えるはずである。途中、琵琶湖が見えるレストランで食事をした。
「春花ちゃんは子どもの頃から、ずっとこの景色を見ていたんだね。」僕は言った。
「ええ、見飽きるくらい見てます。でも、大好きです。」春花は笑った。
「やっぱり、春花ちゃんは笑顔が似合うよ。」
「え?そうですか?ありがとう。」春花は少し赤くなった。
「そうだ、デジカメ持って来たのを忘れてた。あとで、一緒に写真撮ってくれる?」僕は言った。
「もちろんです。」春花はまた笑った。
彦根城には、午後1時半ごろ着いた。丁度、彦根城本丸の天守前にひこにゃんが登場していた。ひこにゃんは、みんなに大人気だった。観光客が、一緒に写真を撮ってもらう為に順番待ちをしていたので、僕達も少し待って一緒に写真を撮ってもらった。ひこにゃんは、僕達のストラップを見て、喜んでくれた。
「彦根城築城は、将軍徳川家康の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年より着工されました。当初は湖畔の磯山を予定していたと言われていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されたんです。」春花は言った。
「よく覚えているね。」僕は言った。
「滋賀県民は、みな小学校の社会の授業で勉強します。」春花は言った。
「そうか、なるほどね。」僕は言った。
「では、天守閣に登ってみますか。」春花は言った。
天守閣からの眺めは素晴らしかった。市内が一望でき、遠くに琵琶湖が見えた。かつては、井伊の殿様しか見られなかった景色なのだろう。天守閣を降りて売店に入ってみた。携帯に下げるには少し大きめのひこにゃんを見つけ、春花は言った。
「これ、どうです?可愛いでしょう?おそろいで買いませんか?」
「でも、ちょっと大き過ぎない?」
「そうですかぁ。可愛いと思うんだけどなぁ・・。」春花は残念そうに言った。
「そうだね。じゃあ、買おうか。」僕は言った。
それから、僕達はベンチに座って、それぞれの携帯にひこにゃんを取り付けた。
「これで、私達だけのお揃いですね。」そう言って、春花は笑った。
「でも、市販されているから、持っている人はたくさんいるよ。」僕は言った。
「いいんです!私達だけのお揃いだと思えば。」春花は言った。
「まあ、そういうことにしておこう。」僕は言った。
「折角だから、長浜も行ってみますか?」春花は言った。
「いいねぇ。是非、連れて行って。」僕は言った。
春花の運転で、僕達は長浜へ向かった。
「天正元年に羽柴秀吉が、浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に、当時今浜と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し、長浜に改名したんです。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城したそうです。」
「このお城は、最近建てた物なんだろう?」
「ええ、現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにして、模擬復元されたもので、市立長浜城歴史博物館として運営されています。」
僕達は、その歴史博物館に入ってみた。
「歴史は好きですか?」春花は言った。
「うん。大河ドラマとか、好きでよく見るよ。春花ちゃんも、歴史に詳しいね。歴史は好き?」僕は言った。
「ええ、私も大河ドラマは、好きでよく見ます。」春花は言った。
長浜城を後にして、僕達は大津の町に帰ることにした。
「今夜は、どこかに泊まるんですか?」春花は言った。
「まだ、ホテルは取ってないけど、大津の市内か京都にでも泊まろうかなって思っているんだ。」僕は言った。
「だったら、うちに泊まってください。古いけど、部屋はたくさんあります。」
「それじゃあ悪いよ。いくらなんでも。」
「真人さんだって、おばあちゃんを一日預かってくれたじゃないですか。そのお礼がしたいです。」
「もう、今日一日で、十分お礼をしてもらったよ。いろいろ、観光させてくれて。とても楽しかったよ。」
「うちに来てくれませんか。もっと、ゆっくりお話したいし。」
「う〜ん、そんなに御迷惑かけちゃっていいのかなぁ。」
「迷惑なんかじゃないです。是非、泊まっていってください。」
「そう?じゃあ、おばあさんの顔も見たいし、泊まらせてもらおうかな。」
「はい。是非、そうしてください。」春花は明るく言った。
第3章 大津の夜
春花の家は、商店街の外れにあった。道側は商店になっていて、裏口から入るといくつも部屋のある、古い日本家屋だった。
「歴史がありそうだねぇ。」僕は柱を見ながら言った。
「古いだけです。」春花は微笑んだ。
「おばあさんは、まだ帰ってこないの?」僕は聞いた。
「ええ。」春花は言った。
「この広い家に、おばあさんと二人だけだと、ちょっと寂しいね。」
「そうなんです。昔は、家族が多かったので、にぎやかだったんですけどね。」
「そうなんだ。」