つばめが来るまで
「ええ、そうなんです。よろしくお願いしますね。」僕は適当に口裏を合わせた。
「優しい人で良かった。春花は幸せだなぁ。」おばあさんは言った。
「おばあさんは、おいくつなんですか?」僕は聞いた。
「さぁて、いくつだったかのう。60才は過ぎたと思うんだけど・・・。」おばあさんは、人事の様に言った。
「おばあさんは、いつもなにをしているんですか?」
「ああ、わしは店を手伝っているんですよ。息子と嫁の夫婦がやってくれているんでね。」息子さん夫婦が亡くなった事も覚えてない様だ。
「そうですか。大変ですね。」僕は言った。
「なあに、息子たちが良くやってくれるからね。安心なんです。」
「そうですか。それは良いですね。」僕は言った。
「お待たせしました。」その声で振り返ると、さっきのビジネスライクの紺のスーツから着替えて、20代の女性らしいピンクのジャケットと赤のスカートに変わった、可愛らしい春花が立っていた。
「ああ、春花さん、全然イメージ変わっちゃったから、驚きました。」僕は言った。
「・・変ですか?」春花は言った。
「いいえ、とんでもない。凄く素敵です。」僕は言った。
「そうですか?良かった。」彼女は微笑んだ。
「僕がこんな格好で申し訳ないです。」僕は言った。
「春花。こちらは、お前の彼氏かい?」おばあさんは、また言った。
「そうよ。素敵な人でしょう。」彼女は言った。
ホテルの地下の日本料理店で、3人で夕食を食べた。
「ごめんなさいね。おばあちゃんは、日本食しか食べないもので・・。」
「いいえ、僕も日本食は大好きです。」僕は言った。
「そうですか?それなら良かった。」彼女は言った。
「そうだ、ちゃんと自己紹介してなかったですね。僕は、瀬戸真人、31歳、独身です。よろしくお願いします。」僕は言った。
「私は、最上春花、25歳、独身です。よろしくお願いします。」彼女が言った。
「なんか、これじゃあ、お見合いみたいですね。」僕は照れて言った。
「おばあちゃんが結び付けてくれた縁かもしれませんよ。御迷惑かもしれませんが・・。」彼女は言った。
「いいえ、とんでもない。ありがたい事です。」僕は微笑んで言った。
「でも、大変ですね。これから、求職活動をされるんでしょう?」
「そうなんです。本当に思いがけない事だったので、正直、まだ無職という実感が無いです。」僕は言った。
「大変ですね。何か、あてはあるのですか?」
「それが全然ないんです。ただ、10年間働いて来て、それなりに貯金があるのと、失業保険も出ますので、ゆっくり落ち着いて探そうと思います。」
「そうですね。たまには休むのも良いでしょう。」彼女は言った。
「でも、25歳の若さでお店を経営するのは大変ですね。」僕は言った。
「ええ、それまではOLだったので、会社で与えられた仕事をこなしていれば良かったのですが、今度は自分で考えて進めなければならないので、戸惑う事ばかりです。」
「お休みは、取れるのですか?」
「いいえ、殆どありません。店は、火曜日が定休日なんですが、その日に仕入れをするので、ほとんど休みは無いですね。」彼女は言った。そういえば、今日は火曜日であった。
「じゃあ、明日は店を開けなければならないんですか?」
「ええ。なので、パートのおばさんにお願いして、開けてもらおうと思います。私は、明日仕入れをしないといけないので。」彼女は言った。
「おばあさんは、連れて行かれるのですか?」僕は聞いた。
「ええ、そうです。」彼女は言った。
「大変ですね・・。そうだ。明日一日、僕がおばあさんを預かりましょうか?どうせ、暇ですから。」僕は言った。
「そんな、とんでもない!申し訳ないです。」彼女は言った。
「大丈夫です。僕は、子どもの頃、ひいばあちゃんが同居していて、お年寄りには慣れています。それに、お年寄りは嫌いじゃないです。」僕は言った。
「でも、本当に、お願いしちゃっても大丈夫ですか?」
「任せてください。僕がついていれば、安心でしょう?」
「御家族の方は、大丈夫ですか?」彼女は言った。
「ええ、今は一人暮らしなので大丈夫です。」僕は言った。
「初めてお会いした方に、こんな事をお願いするなんて恐縮です。」彼女は言った。
「困った時はお互い様です。ところで、おばあさんが言ってたのですが、家の近くを路面電車が走ってるのですか?」
「路面電車?いいえ。走ってませんけど。道路に電車は走ってますけどね。」
「え?どういう事ですか?道路に電車は走っているけど、路面電車ではない?」
「ええ。普通の電車が、道路を共用して走ってるんです。併用軌道というらしいんですが。連続した踏み切りのような感じで、道路に京阪電車が走っているんです。」
「ああ、江ノ電の併用区間みたいな感じなのかな?」
「そうそう、あんな感じです。」
「なるほど、そうだったのか。僕は、路面電車とばかり思っていたので、都電荒川線の沿線かなと思っていたんです。まさか、大津だとは思いもしませんでした。」
「普通、東京か近県だと思いますよね。」彼女は微笑んで言った。
「もう一つ謎があるんです。おばあさんは、ツバメを待っていると何度も言っていました。家に帰りましょうというと、『ツバメはまだかい?』と聞くんです。」
「ああ、それはですね、昔、東京と大阪の間を特急『つばめ』というのが走っていたらしいんです。おばあちゃんは、若い頃東京に出てくるとき特急『つばめ』に乗って来たので、その事を言っているのだと思います。今は『のぞみ』なんだよ、と何度言っても覚えてくれないんです。」彼女は言った。
「なるほど、そういう事だったのか。僕にとっては意味不明な事だったけれど、おばあさんにとっては意味がある事だったんだ。」僕は言った。
「特急『つばめ』は素晴らしかったねぇ。」おばあさんは突然話し始めた。
「どんな感じだったんですか?」僕は言った。
「『つばめガール』という、乗務員が乗っていてね。素敵な制服を着て、颯爽としていてね。私たち若者の憧れだった。」おばあさんは言った。
「それは素敵ですね。でも、当時『つばめ』に乗るのは大変だったんじゃあ、ありませんか?」
「そうだよ。私達は、3等車でも高くて大変だった。でも、1等車にはねぇ、有名人がたくさん乗っていたよ。大物の政治家や映画俳優や芸能人がね。」
「凄いですね!今の新幹線より、ずっと高級ですね!」僕は言った。
「そりゃあそうだよ。一日に一本しかないんだからね。」おばあさんは言った。
「そうかぁ。凄いですね。」僕は言った。
「春花。こちらは、お前の彼氏かい?」おばあさんは、言った。
「そうよ。素敵な人でしょう。」彼女は言った。
「優しい彼氏で良かったねぇ。」おばあさんは微笑んだ。
「瀬戸さんは、本当にお年寄りの応対が慣れていますね。」彼女は言った。
「そうですか?やはり、お年寄り好きなのかな。」僕は笑いながら言った。
「優しいんですよ。おばあちゃんも、さっきから何度も言ってます。」
「いやいや。ぼーっとしているだけです。」僕は言った。
時刻は20時を回っていた。
「もう、こんな時間ですね。今日は疲れたでしょう。部屋に帰って、ゆっくり休んでください。」僕は言った。