つばめが来るまで
「いやいや、色々世話をしてくれたのは、この青年なんですよ。」警察官は急に態度を変えて、優しい目つきで僕の方を見た。
「色々、御迷惑をお掛けしたんでしょう?申し訳ありません。私、最上春花といいます。祖母が大変お世話になりました。」
「あ、いえ、とんでもない。話し相手になった程度ですよ。僕も時間があったので・・。」僕は少し照れて言った。
「念のため、おばあさんの所持品を確認していただけますか?何か、落としたり取られたりしている物はありませんか?」警察官は聞いた。春花は、おばあさんの持ち物を調べていたが、
「大丈夫です。現金やその他の所持品は、全てあります。」春花は答えた。
「そうですか。それは良かった。最近多いんですよ。お年寄りに親切を装って近づき、金品を奪う窃盗犯が。」
「僕を、窃盗犯だと疑っていたのですか?」僕は言った。
「いや、あくまでも可能性としてだね・・、その・・。」警察官は口ごもった。
「ひどい!そうなんですか?こんな親切な方を、窃盗犯扱いするなんて。」春花は言った。
「あ、いや、本当に申し訳ないことで。」警察官は、人が変わった様に愁傷な態度で頭を下げた。
「わかってくれれば、いいんですよ。誰にでも間違いはありますから。」僕は言った。
「あ、もうこんな時間!すみません、色々お手数をお掛けしました。」春花は言った。見ると時計は17時を指していた。
「家は遠いんですか?」僕は言った。
「大津なんです。」春花は答えた。
「大津?そりゃ、大変だ。」警察官は言った。
「大津って、滋賀県の県庁所在地の?」僕は言った。
「はい。そうです。」春花は言った。
「じゃあ、新幹線ですね。東京か品川に行かないと。」僕は言った。
「ええ。でも、今日は新宿辺りに泊まる事にします。今日予定していた仕事が、全然出来なかったので・・。」春花は答えた。
「じゃあ、僕も帰りが同じ方面なのでお送りしますよ。」僕が言った。
「ああ、そうしてくだされば我々も安心です。」警察官は調子の良い事を言った。
僕は、警察官を少し睨んでから、
「では、お世話になりました。」と言った。
「こちらこそ、御迷惑をお掛けしました。」警察官は再度、頭を下げた。
山手線に乗るとおばあさんを座席に座らせて、僕と彼女はおばあさんの前に立った。
「本当に、ありがとうございました。私は、こういう者です。」そう言って彼女は名刺を渡した。名刺には、『ブティックすずらん 最上春花』と書かれていた。
「ブティックと言っても、単なる洋品屋さんです。両親が経営していたのですが、突然事故で亡くなって、急遽、私が継ぐことになったんです。」
「凄いですね。社長さんなんですね。」僕は驚いて言った。
「とんでもない。店員は私とパートのおばさんの二人だけです。」彼女は笑って言った。
「偉いなぁ。僕なんて、一週間前会社が突然倒産して、今は無職なんです。」僕は言った。
「そうなんですか。大変ですね。最近、不景気で大手企業の倒産が多いですからね。」彼女は言った。
「うちは、全然大手じゃないですが、10年間それなりに頑張ってきたんですけどね。」僕は言った。
その時、おばあさんが突然言った。
「春花。こちらは、お前の彼氏かい?」
「おばあちゃん、なに言ってんの?おばあちゃんがお世話になった人でしょう?」彼女は慌てて言った。
「そうだったかのう?」おばあさんは、のんびりと言った。
「失礼ですが、おばあ様は認知症なんですか?」僕は彼女に向かって小声で言った。
「そうなんです。息子夫婦が突然亡くなってから、急におかしなことを言う様になって・・・。」彼女は言った。
「そうですか。お気の毒に。さぞや、ショックだったのでしょう。」僕は言った。
「そうだと思います。それまでは、元気に店を手伝ってくれていましたから。」
「今は、家で介護されているのですか?」
「ええ。今日の様に仕入れで東京に来る時は、デーサービスに預けたりもするのですが、今日はたまたまいっぱいで、受けてもらえなくて連れてきました。」
「そうだったのですか。東京駅で居なくなってしまったのですか?」
「ええ、私がトイレに行っている間、ベンチで待っていてもらったのですが、戻ったらもう居ませんでした。10時半ごろだったと思います。」
「なるほど。僕が五反田駅で最初におばあさんを見かけたのは11時頃でした。それから用事を済ませて、15時頃に駅に戻ってきたら、まだ同じ所にいたんです。それで、おかしいなと思って声をかけたんです。」
「ありがとうございます。あなたが声をかけてくださらなかったら、まだ見つかってなかったと思います。本当にありがとうございました。」
「ずっと、探していたんですか?大変でしたね。」
「東京駅の中を探し周っていました。でも、東京駅はとても広いんですね。歩き回るだけでクタクタになりました。探している途中で、鉄道警察隊の方を見かけて、『そうだ。探してもらえるかも。』と思い、お願いしました。思いつくのが遅いですよね。」彼女は苦笑しながら言った。
「必死だったのでしょう。心配ですからね。」僕は言った。
「あ、そうだ。安心したら、お腹が空きました。御一緒に夕食などいかがですか?お礼と言うほどではありませんが・・。」
「そんな、気を遣わないでください。本当に、おばあさんの話し相手になっていただけですから。」僕は言った。
「彼女に悪いかな?もしかしたら、結婚されています?」彼女は遠慮がちに聞いた。
「いいえ、残念ながら、彼女も妻も居ません。一人ぼっちです。」僕は笑いながら答えた。
「そうですか。それなら、是非、夕食を付き合ってくれませんか?おばあちゃんも喜びます。」彼女は言った。
「春花。こちらは、お前の彼氏かい?」おばあさんは、また同じ事を言った。
「そうよ。素敵な人でしょう。」彼女は平気な顔で言った。それから僕の方に向かって、
「ごめんなさいね。適当に聞き流す事も必要なんです。認知症の人は、本人の言う事を否定すると、返って良くないみたいなんです。」と彼女は言った。
僕は、少し照れながら、
「彼氏と思ってもらえるなんて光栄ですよ。」と言った。
「優しい彼氏で良かったねぇ。」おばあさんは微笑んだ。
「あなたが、優しい方だという事は覚えているみたいです。」彼女は微笑んで言った。
僕達は新宿で降りて、彼女たちが泊まるホテルを探す為に街に出た。
駅の近くにあるビジネスホテルに入って、フロントで空室があるか聞いた。彼女が2名と告げると、フロントの係員は、
「ツインになさいますか?ダブルになさいますか?」と訊ねた。係員は、僕と彼女が泊まると勘違いしたらしい。
「あ、泊まるのは、私と向こうのソファに座っている祖母です。」彼女が慌てて付け加えた。
「あ、失礼いたしました。では、ツインがよろしいでしょうか?空室はございます。」フロント係は慌てて詫びた。
「荷物は、一旦部屋に置いてきた方が良いんじゃありませんか?僕は、ここでおばあ様と待っていますよ。」僕は言った。
彼女は、荷物を部屋に置きに行き、僕はおばあさんとロビーで待った。
「あなたは、春花の彼氏ですか?」おばあさんはまた同じ事を言った。