小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

おいしいミルクのつくりかた

INDEX|3ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 

 ところが開廷の時間になっても2人は現われない。真っ赤なワンピースの赤ワイン女史は、証人と連絡を取るから休廷をと、ラメ入りのピンクの口紅が輝く唇で申し出た。ちょうどそのとき、裁判所の書記官が裁判官にサッとメモを渡した。裁判官はメガネをかけ直してメモに目を通し、顔を上げると、赤ワイン女史を気の毒そうに見つめた。
「いや、その必要はないようです。被告人ミルクのお父さんと、友人のソーダくんの両名は、先ほどミルク君のレモン法違反事案を共謀した疑いで逮捕されました」

 2回目の公判が開かれた。非公開ではないのに、誰も傍聴人はいなかった。裁判を傍聴すること自体が、レモン法違反を疑われるとのうわさが広まっていた。
 傍聴人のいない法廷で、赤いスーツの赤ワイン女史は、これまで一切明らかにされていない、ミルクの容疑についての事実経過を検察に求めた。裁判官も同意した。
 ところが検察は、それは「レモンに関して公になっていないもののうち、その漏えいがわが国に著しい支障を与えるおそれがある秘密」にあたり公表できないと言い放った。
 裁判官はこれを認めた。
 赤ワイン女史は椅子から立ち上がり、「それでは正当な裁判はできない、情報開示を!」と、机を叩いて怒鳴ったが、裁判官は却下した。

 3回目の公判は、この裁判最大の山場となるはずだった。
 黄色いスーツのココア刑事への、真っ赤なドレスの赤ワイン女史による証人尋問だ。
 ところがココア刑事は、赤ワイン女史が何を質しても「国に著しい支障を与えるおそれがある秘密だから公表できない」と繰り返し、またもや裁判官は、これを認めた。
 証人はもう誰も残っていなかった。赤ワイン女史が証人申請を予定していた学者らからは、ことごとく辞退の連絡が来ていたのだ。誰もが、ミルク側の証人に立つことで自分がレモン法違反を疑われることを恐れたし、そこまで関わり合いになりたくはなかった。自分でなくとも誰かが彼を助けてくれるだろうと、みんな自分に言い訳した。
 結局、何の審理らしい審理も行なわれないまま、ミルクは有罪となり、反省がなく情状酌量の余地がないとして懲役10年の実刑判決が下された。ミルクはただちに控訴を決めた。翌日、赤ワイン女史は司法記者クラブで緊急会見を開き、「こんな不当な裁判は許されない。断固たたかうわよ」とナナメ45°の決め台詞を叫んだが、ズラリと並んだ記者席には人っ子ひとり座っていなかった。
 数日後、裁判の打ち合わせをしようとミルクが赤ワイン女史を待っていたら、赤ワイン女史の友人だと言う弁護士が代わりに現われ、「赤ワインは弁護士法違反で逮捕された」と告げた。「何があったんですか」と聞くミルクに、「これ以上聞かないで。私には何も言えないの」と泣きながら帰ってしまった。ミルクは国選弁護人を雇ったが、あっけなく敗訴。最高裁への上告は門前払いされ、刑に服した。

 10年が経った。
 ミルクは人知れず出所した。
 10年前、世間はたかがレモンの法律だと、たかをくくっていた。
 別にレモンの販売が禁止されたわけじゃない。自由に売買していいし、レモンティだって、レモンサワーだって、鳥からあげ定食に添えられた輪切りレモンだって、飲んでも食ってもかまわない。ただ、『レモンに関して公になっていないもののうち、その漏えいがわが国に著しい支障を与えるおそれがある秘密を漏らしてはならない』だけのことだ。
 人々はささやきあった。
――そもそも『公になっていない』レモンの情報なんてあるのか? 
――別にこれと言ったレモンの秘密なんて、世間には出回っていないし、少なくとも俺たちには関係のない話だ。
――それで政府がレモンを守ってくれるんなら、少しばかり生活が息苦しくなるかも知れないが、ちょっと頭を下げてやり過ごせばいいじゃないか。

 法律が施行されて1年ほど経ったある日、新聞やテレビが『レモン法で初の摘発、大学生を逮捕。レモン情報を不法に入手の疑い』と報じた。この最初の逮捕者こそがミルクだった。
「こいつバカじゃないの、せっかく政府がレモンを守ってくれているのに」
 そんな声があがった。
 一方で「不当逮捕だ」と抗議する人も大勢いた。
 裁判が始まるとすぐに、この大学生の父と友人が共謀の容疑で逮捕、と報じられた。
「いやあ、やっぱりな。よかったよ、レモン法があって。もしなかったら、こいつら何しでかしてたか分かったもんじゃねぇぞ」
 犯人への憎悪の声は日に日に高まって『世間の声』となった。その声をマスコミは『多数派』と呼んだが、不当逮捕だと抗議する『少数派』の人たちもいた。
 『多数派』の一部は、ミルクの両親宅周辺で拡声器を使って「売国奴ミルク野郎に死を!」と怒鳴り、ミルクの写真に火をつけた。『多数派』に冷静な行動を求めた著名人のブログは一夜にして炎上し、閉鎖された。
 そんなある日、不当逮捕抗議の検察庁デモを呼びかけた『少数派』の活動家がレモン法違反で逮捕された。なんでも、レモンの情報を不当に知る目的で人々を扇動し、検察庁に秘密の暴露を強要しようとしたテロ活動の未遂罪だということだった。
 そんな説明をされたところで、誰も意味など分からなかったが、「まあ、そういうことなんだろう」と、『多数派』でも『少数派』でもないおおかたの人は自らの疑問を飲み込んだ。
――『多数派』のやつらの言うことには少しばかり眉をひそめたくもなるけれど、しかし何と言ったって『少数派』のやつらは犯罪者を応援しようとしてたんだから仕方ないじゃないか。
 テレビや新聞は、『多数派』の動きとともに、レモン法やミルク逮捕に関する批判も報じていた。ところが今度は、レモン法逮捕事件を批判的に取材していた記者たちが、次々に逮捕され始めた。
 これにはさすがに、人々の間にもちょっと不安が広がったが、「レモン法以外は自由に報道できているのだし、たかがレモンの問題なんだから」と、互いに不安を紛らわせた。そうするうちに、いつの間にか批判的な報道もすっかり見られなくなって、「ほうら、やっぱりなんてことはなかったんだ」と、人々の頭からも忘れられた。
 続いて果物屋からレモンが姿を消し始めた。レモンを売って逮捕された果物屋があるらしい、といううわさが広まったのだ。でも誰も、逮捕された果物屋を実際に確認したものはいなかった。レモンが食べられなくなるのはちょっとさびしかったが、「ユズでもいいし、カボスでも代わりになる。昔はみんなそうしてたんだよ」と、知りもしない昔話を訳知り顔に言いあって、大人たちはあきらめた。
 そのうちにユズもカボスも消えた。気がつけば、かんきつ類がすっかりなくなっていた。みんなレモン情報にあたるらしい、といううわさのせいだ。
 そして果物すべてが、そして黄色い食べ物すべてが……消えていった。次には、とにかく黄色いものや丸いものが世の中から姿を消した。「でもまあそれで政府がレモンを守ってくれているのだからここは国民も協力すべきですね」と、世の中をよくわかっている知識人たちが言い、市民はそういうものかと自分を納得させた。