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殺し屋少年の弔い

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 空に向かってけん銃を構える。
パン、と夜の路地裏に乾いた音を響かせた。今夜の曇り空に穴を空けるように。そして警告する。
「止まらないと、撃つぞ!」
 右足を引いて、けん銃の照準越しに限界まで接近した男を見据えた。そして引き金に手を当てた瞬間だった。
 ふっと男が視界から消えた。多分、腰を落とし、身を低くしたのだ。追って照準を男に合わせようとしたが、瞬く間に距離を詰められる。それにビク、と僕の体が反応すると同時に、けん銃を保持していた右腕に深く激痛が走った。
「うぐぅっ!」
 思わずその痛みに唸り、力が抜けそうになりながらもとっさに、引いておいた右足で男の横腹へと廻し蹴りを加えようとした。同時にやっと自分の腕にナイフが突き立てられていることを認識する。
弱々しい蹴りは空を切り、男はひらりと後ろに身をかわした。余裕綽々、ゆっくりとした動作で男はダウンジャケットのジッパーをおろしている。
 その間に必死で僕は刺さっていたナイフを抜きさり、後ろへと放り投げ、手早く外したネクタイを傷口の元に縛り付けるのと平行してけん銃を左手で構えなおした。
「警官を刺すとはいい度胸じゃないか。」
 威嚇として、カチャリと撃鉄を起こす。
「今度こそ動いたら撃つからな!」
 僕の怒号に、男はビクっと反応した。再び男がこちらを向くと共に、雲の壁から開放されたやわらかい月明かりが、ふわりと彼の顔にスポットした。
「ヤバイな。」
 その光りが照らしたのは、顔を引きつらせた少年の若々しい顔だった。
「君……いくつだ?」
少し驚いて目を丸くしている僕の問いかけを無視し、彼はジャケットから右手を引き抜いた。
「まさか持ってくるの忘れるとはなぁ。」
 彼は、まるで教師に提出する宿題を持ってき忘れたかのように言った。しかしそれが何かを僕には推測することは出来ない。
「悪いけどお巡りさん、見逃してくんねぇかな。」
 意外にもその手には何も持たれておらず、ただただ少年が表情を引きつらせていた。その挑発とも取れる言葉に少し苛立ちながら、僕は言う。
「何言ってるんだ、いいから両手を地面に付けろ。」
 少年はしぶしぶ膝を折りながらため息を漏らした。そして銃口を向けながらも、僕はゆっくりと降伏する彼に近付いた。
「へぇへぇ分かった……よっと!」
 少年が左手をアスファルトにペタリと付け、僕が軽く安堵すると同時に、ぐん、と一瞬の内に少年が目の前まで肉薄した。
「くそっ。」
 僕はたまらず発砲した。しかし素早く身を翻す少年に、左手だけで照準を合わせられるはずも無く、弾丸は民家の塀に撃ち込まれた。続けてパンと発砲するが、少年が射線下に飛び込み、外れた。少年はその勢いを利用して僕の右足をローで払った。そしてガク、と僕の両膝はアスファルトに激突する。
「ふ、らっ。」
 少年は、奇妙な掛け声と共に払った脚の慣性でくるりと一回転して立ち上がり、右手で僕の肩を思い切り掴んで後ろに仰け反らせた。銃弾の応酬を放つが、掴んだ手を軸にふわりと宙返りで僕を飛び越すことによって簡単に避わされてしまった。
残弾数は一発。これは問題になるぞ、と少し僕は心配したが、やはり逮捕が最優先だと気合を入れなおした。
 上体を起こして後ろを見ると、ちょうど少年がハンドスプリングの要領で手を着く地点の、さっき投げ捨てたナイフを掴んで、その手で跳ね、着地したところだった。僕はその光景に少し見とれてしまったが、すぐに正気に返りけん銃を構える。
「今度こそ両手を地面に付けろ!さもないと撃つぞ。」
 少年がすっとナイフを持ち替え、空気がピリピリと緊張した。しかし意外にもそのナイフを彼は折りたたんで、ポケットに入れた。
「なぁ、お巡りさん。ホントに逃がしてくれねえかな?」
 少年はまたもや不可解な発言をした。
「駄目だ。僕もこれが仕事なんでね。」
 僕は彼に耳を傾けず、無線のスイッチを押した。
「至急、海那苅田(かんだ)四丁目中央通り東よりに応援を要請。殺人の現行犯だ。」
 スイッチを離し、にじりにじりと少年に近づく。ちなみに無線の相手は交番で待機している警官だった。
 すると再び少年はため息を吐き、こういった。
「まぁいいや。お巡りさんには生きて証言してもらうよ。」
「何言ってるんだ、当然だろう。」
「まぁ、そういうことで。失礼しますよ。」
「何を言って……おいっ!」
 少年が少し膝を曲げた事に気がつかず、マヌケにも気を抜いてしまった隙に、助走も無しに少年は横の民家の壁を飛び越えてしまった。
「おい、待て!」
 急いで立ち上がって後を追おうとしたが、蹴られた左脚に力を入れることが出来ず、僕は情けなくその場に倒れこんでしまった。
  
 この日は、多分僕の人生の中で二番目に最悪であっただろう。一番目は、今はどうでもいい。
 まず、駆けつけた警察官にに肩で担がれて近くの病院で腕の手当をして貰った。ネクタイの対応は悪くなかったとほめられたが、少し複雑だ。その後南警察署の刑事に二時間程度傷身のまま聴取を受け、そして交代人員が配備されるわけでもなく、起こった殺人現場の見張り要員に配備されて夜明け0600まで横の同僚の小言を横顔で受け続けながら過ごした。
 意外だったのは、その小言以外に僕にいかなるお咎めも無かった事だ。日本では犯人逮捕目的でも発砲すれば必ずマスコミが騒ぎ立て、警察の人間が『責任』を取ることになる。しかし、帰宅して新聞を確認しても各局の朝のニュースを確認してもそのことについて触れていた番組は一つも無かった。これに関して、自分を幸運だ、なんて感じることは無かった。唯一感じたのは、異常だということだ。
 若年の殺人者に、明らかに隠蔽された事件。
 聞けば、殺害されたのは警視庁の人間で、しかも公安部の刑事らしい。
 公安の刑事の死が隠されるのは、決まって何処かへ内偵中の場合と聞いたことがある。しかし、あの帰路を見る限り彼が住んでいたのは県警の官舎だった。僕なんかに予想できることは多くないが、今挙げた事だけで予想するならば、その刑事がもぐりこんでいたのは。
「うちの県警本部って事か……?」
 こんな単純な真相ならいいのだが、と思いながらも眠りたい筈なのにコーヒーのための湯を沸かした。
「駄目だ、寝よう。」
 そう言って、コンロの火をカチリと消して安いベッドに沈み込んだ。

 翌日、僕は再び見張りとしてブルーシートの壁の前に立っていたのだが、そこに一人の人物が現れた。外見を述べるならば、中年であり、髪は白髪交じりで後ろに向けて固めてある。背広はくったくたになり、所々汚れていた。簡潔に言うと、余り好印象ではない。
「どうも、金沢君、だっけ?その右手は。」
「はっ。南警察署海那御雪交……。」
 規則通りの挨拶を返そうとするが、その男の発言に遮られてしまった。
「いーよいーよそんなのは。俺はここで死んだ奴の同僚だよ。」
「はあ。」
 僕は少し動揺した。なぜなら、この事件はその場に居た人間以外に口外することは完全に禁止されていたからだ。まず現場を知ることすら出来ないはずであった。
 豆鉄砲でも食らったかのような表情をしている僕を、愉快そうに見て、刑事は言う。
作品名:殺し屋少年の弔い 作家名:Hiro@文芸部