殺し屋少年の弔い
警察官、金沢
その日の僕の業務は夜間パトロールだった。当直出勤して一時間後の2330を時計で確認してから、見張り所の椅子から立った。そして、カウンタよりちょっと後ろの事務机で業務記録をつけていた同僚にぶつぶつと不平を言い、冬夜の寒さに打ち震えながら椅子に掛かる官給コートを着込んで白塗りの自転車に跨った。
コートでは防寒しようのない顔面一面に夜風を受けながら、いつものように舗装路に自転車を走らせる。海からそう遠くないこの海那町では、港から真っ直ぐ伸びる一本の路面電車線路沿いに海風が耳を切り裂くように吹き抜けるため、寒がりの僕は大抵すぐに路地裏へのパトロールへと移行する。もっとも、一定間隔で敷設される電停の明かりのお陰かその線路沿いで僕達を必要とするような人間なんて酔っ払いぐらいで、やはり行くべきは暗い路地裏だったりする。
と、自分を説き伏せてから車体を大きく右に傾けて一通の通りに入った。
そうして逃げ込んだ、一本奥の通りも短かろうが結局直線な訳で
「さむっ」
結局決まり文句のようなものを呟いてしまう。呟きと共に吐き出された白い息が、なぜか心にだけ温かみを感じさせた。
その、突然湧いた柄に合わぬ詩的な感傷への自嘲とともに、そのなんとも言えない心境が何ゆえか自分の少年時代のある出来事をフラッシュバックさせた。
それはまだ将来の職業など頭の隅にも置くスペースがないような、しかし生涯で一番多感な時期に起こったシンプルな出来事だった。高校受験に備えて嫌々ながら塾に通う僕に、ガツンと響いたんだ。
脳裏に浮かぶのは、男と警官。塾近くの、噴水が象徴となっている駅の広場を、全力疾走していた。多分追う者と追われる者。ちょっと前を歩いていたサラリーマンが、空き缶を後ろへぽいとやった。必死に男を追いかける警官がそれに気付くはずもなく、運の悪さがあいまって、ついに警官は空き缶の上に右足を踏み込んでしまった。
硬いスチールの円筒を踏めばどうなるかは想像に難くない。間抜けにも追跡中の彼は、垂直にすっころげて弧を描くその頭を強くコンクリートの地面にぶつけてしまったのだ。あぁ、警察官ってこんなドジなんだな。その光景を見た僕の心境はこうだった。
しかし、それは同時に僕にとてつもない親近感と憧れを抱かせた。その強い印象は、僕が高校で就職を決めるときまで焼きついたままだった。……子供なんてそんなもんだよね。
回想に耽っていると、ただでさえ凍て付く夜の空気の中、自転車に乗る背中に突然、悪寒が走った。
ぞく、と背中を伝う感覚が気味悪く、なぜか僕は自転車からおりた。
そのまま更に一本奥の通りに歩き、予想だにしなかったものを見た。
それは数秒間の出来事だった。
こちらへゆっくりと歩いていた、背広の男の影から、す、と男が出てくる。暗くて二人の輪郭しか捉えられず、ぐっと目を凝らす。すると出てきたほうの男の手元が、上方にある街灯の反射か、一瞬鈍い光を放った。
それが刃物だ、と気付いた時にはもう遅かった。ひゅうっと男の右手が前の背広の首元で振られ、そこから赤い液体が勢いよく噴き出た。
図らずとも物陰からつったってその光景を見ていた自分は、悲鳴を上げる間も無く背広の男がその場に崩れ落ちたのを見て、やっと、我に返った。
「お、おい、あれは血だよな……。」
意味の無い呟きを漏らし、道に出た。そして二人に向かって走り出しながら、出るだけの声を絞り出し、叫んだ。
「そこで何やってんだ!動くな!」
倒れこんだ背広を見つめていた男は、僕の声に気付き、ゆらりとこちらを向いた。距離が縮み、街灯にぎらりと光る刃物が物騒な外見の小さなナイフと判明した。そしてそのナイフを逆手で持ったまま、男はゆっくりと両腕を胸と体の前に構えた。
約10メートル。
小走りで接近しながら、ホルスターのボタンを外しておく。
警察官等けん銃使用及び取り扱い規範、第二章、第五条。 内容は、[警察官は、法第七条ただし書に規定する場合には、相手に向けてけん銃を撃つことができる]
これに基づき、明らかに素人ではない相手を前にした僕は素早くけん銃を抜き男へと向けた。