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みやこたまち
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ミヨモノリクス ―モノローグする少女 美代の世界

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七月 白薔薇



 朝、軒から雫が垂れているのを見ていたら、随分久しぶりに見る顔が門を潜ってやって来た。私は、窓枠の上でバランスを保ちながら、彼女が自分の影から顔を上げて、私に気づくのを待っている。夏服がまばゆいばかりの光を放っている。プリーツスカートは皺一つ無くて、隙を見せているのは、一つにまとめた髪が、耳の上でほつれているところだけだ。うっすらと汗が滲んでいる。玉のような汗。彼女の汗ならば良い匂いがするだろう。
 彼女こそ、すっかり滅びてしまったと思われていた薄幸の美少女の系譜を引く女性なのだ。

 伏し目がちの大きな瞳は黒目がち。本当は極度の近視なのだけど、彼女は絶対に眼鏡をかけない。彼女の顔は繊細な部品の集合体で、その顔に調和する人工物なんて存在するはずがない。彼女は手吹き硝子の危うさをその身に纏い、そのことを自覚しているのだ。彼女が何故、あんな学園生活に耐えうるのか、私にはそれが不思議だ。奇跡だ。私は、全身を病に冒されながら、食事も水も一切呑まないで、八十過ぎまで、激痛と恍惚とのうちに生き抜いたと言う聖女の話を思い出さずにはいられない。彼女はそれと同じ位の興味を私にかき立たせるのだ。
 もしも、あの細さと白さとの裏側に、しゃこ貝の貝柱のようなものがあるのなら、それを曝け出させて見たいと思う。これは趣味の悪いことであるということは百も承知で、嫉妬がその言い訳になるとも思わないけれど、とにかく私は退屈なのだ。
 才女で鳴らした彼女が、学校をさぼって家に来るということは、まさに晴天の霹靂、願ったり叶ったりの出来事なのである。

 彼女は全身に力を入れたまま、手を振る私の前を素通りして、とうとう玄関に立った。そこに立たれると、熊笹や棗垣に阻まれて姿が見えなくなってしまう。明け方打ち水した飛び石は、あらかた乾いてしまって、ただ八手の大きな葉っぱの先端にかすかに露がしたたっているだけの玄関先。でも、彼女の目にはそんなもの、全く入らないに違いない。垣下の勿忘草にだって、きっと気がついていないだろう。なにしろ、門戸から真っ正面に見えたはずの、私の部屋の窓の、その窓枠の上で奇妙なV字の形を作っていた私の姿にさえ、彼女は気づかなかったのだ。彼女の繊細さはそのような繊細さだ。呼び鈴が鳴る。私は見えない彼女に声をかける。

「こっちに回っておいでよ。誰もいないし、そこまでいくの面倒なんだ」

 声は届いたはずだ。近来まれにみる程の大声を張り上げたのだから。しかし、全く反応が無い。彼女のことだから、はっと顔を上げて、不安そうな目であたりを見回しているに違いない。私は観念して窓枠から飛び降りた。芝生の中に、砂利が混じっていて、運悪く私は裸足でその上に着地した。

「痛い」
「まあ。大丈夫?」

 見上げると、整った彼女の顔が私を見下ろしている。真っ青な空を背景にして、リボンが後光を放っているようだ。一体、どちらが病気なのかわからない。いや、病気なのは確かに私のほうなのだった。
 まあ、どうぞと、私は軽々と窓をくぐる。彼女もスカートを気にしながら、辛うじて窓枠によじ登る。しかし、どうしても右足が窓枠を越えない。ばたばたするうち、靴が部屋の中に飛び込んでくる。それは、テーブルの上のガラスコップを巻き込んで、当然中身のグレープジュースも巻き込んで、床上に惨状を呈した。私には、そうなることが、ごく自然のことのように思えた。諦めかもしれない。

 ようやく、彼女はソファーにボスリとはまり込む。見ると、靴は両方脱げている。もう片方は窓の下だろうと思う。でも、私が彼女の靴を心配しているのに、彼女は自分の足に靴が無いことすら気づいてはいないのだ。ソファーの上で、身体を横ざまにして、彼女は肩で息をしている。スカートが乱れて、膝小僧が見える。小さくて白くて、精密な彼女の膝小僧。私は、とりすまして台所に下がり、サイダーなどを盆に乗せる。川井が不審気に私の手元を藪にらみする。川井というのは、手伝いのおばあさんのこと。いつも私を胡散くさそうに見る嫌な物だ。

 盆を持ったまま、部屋の扉に手を掛ける。その向こうには、頬を紅潮させた薄幸の美少女が座っている。私はその状況に興奮している。でも、扉を開けると同時に、電話が鳴り始めた。
 彼女はびくりと身体を震わせて、音の源の方を見る。彼女の瞳は、既に濡れている。私はどぎまぎして、「電話ね、電話。」とか口走りながら、盆を置く暇もなく電話口へと走っている。突き当たりを曲がって、玄関口へ向かう廊下の中ほどにある電話室。ようやく辿り着くと、電話は任務を果たしたかのように、切れた。私は左手にサイダーを乗せた盆を捧げて、右手で受話器を握り締めて、電話機を睨んでいる。馬鹿みたいだ。

 再び、彼女の前に。感情の波をひとしきり乗り越えて、彼女は今、小康状態にいる。その潤んだ瞳。盆を置く手が震える。

「このサイダーね、裏の井戸で冷やしたんだよ。川井が邪魔をしない夜中にやるの」

 聞いてない。彼女はポーチから薔薇の香りのしみ込んだハンカチを取り出して、目蓋を押さえている。それが品良く愛らしい。一言で言って、彼女らしい。それなのに、学校でジャージを着込んで、マスゲームに興じるなど言語道断だと私は思う。

「そうなの」

 と突然彼女が、私の心を見透かしたようなことを言う。

「そうだよね」

 と相槌を打つ私。それから、間があいたので、とりあえず、サイダーをコップに注ぐ。

「ごめんなさい。突然に、こんな恰好で押しかけてしまって。」

 か細い声だ。陶器製の鈴の音だ。小さく低く、心地よい。けれども、私の興味は、彼女のポーチに移っていた。どうやら彼女は、今日、学校へ行くつもりが無いようなのだ。というのは、彼女の持っている学生鞄というのが、名の有る人の技もので、赤茶色の本皮製のものなのだ。学校へ行くなら、鞄が要る。彼女と鞄は、切っても切れない間柄にある。そして、さらに興味深い事実を述べるならば、本日は、中間テストの最終日となっているはずなのである。私のかすかな学校生活の記憶が、それを覚えているのだ。

「なんか、学校に行くのが、急に嫌になって。でも、こんな恰好のままじゃ、目だってしまって何処にもいくところがなくて。町から出るのはもっと人目についちゃうし、そしたら、貴女の事思い出して、それで」

 また両の目から涙が落ちる。まさに今しかない。私は急いで移動して、彼女の肩を抱いてやる。
 彼女は、制服着用だ。これが彼女出なければ、洟も引っかけないでおくところだけれど、彼女の家には大変立派な薔薇園があって、私は夜中に、忍び込んだりしている。あそこのアフガンハウンドは、私の忠実なる僕なのだ。その恩もある。それに彼女自身の存在というか、形が、私の好みに合うというのもその理由の一つ。さらに、かつて同級生だった連中が連盟でよこした私への激励文、の中に、彼女の署名が無かったことと、その後に、薔薇の香りの便せんにしたためられた、ツルゲーネフばりの手紙が素晴らしく痴呆的だったことに、感嘆したこと。
 何事にも徹底した姿勢が見受けられる人間を、私は人物と見なしている。その意味では、姉さんもそうだし、川井もそう。彼女も当然その範疇に入る。