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トモの世界

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「完調じゃない」
「走っていくわけじゃない。休みながら行くさ。行こう」
 歩き出す。
 蓮見が続く。
 村を貫く『街道』を行く。
 簡素な家々を横目に。
 銃声。
 誰かが猟に出ている。
 シカイの家が見えた。別れの挨拶が必要だろうか。
 いらない。話すことはもうない。
 と、シカイの家の前に、あの少女が立っているのが見えた。彼女がこちらを向く。私はほんのわずかに立ち止まる。少女がそっと手を挙げた。私も、左手をそっと挙げた。
 別れ。
 挨拶は、このくらいでいいだろう。


   十八、


 パーソナルビーコンは出発前に一度発報した。
 CIDSのビーコンは、自然界をありふれて飛び交っている様々な電磁波や光線の類に限りなく近い周波数に偽装されているため発信源を特定される危険性が少ない。送信側と受信側が共通した言語を持っていなければ解読できないのだ。風連奪還戦で発電所の原子炉を封印した暗号と考え方は同じで、一種の読み聞かせなのだ。ビーコンが発信する内容に規則性や意味はまったくなく、受信側がそれを「理解」して初めて信号になる。ビーコンはさらに、私たちの体内に埋め込まれている生体認証チップと連動しているから、偽装もできない。コードの組み合わせは無限と言えた。
 私たちは「街道」を進んでいた。
 村を出て二時間。
 南波たちとはぐれて迷走したあの日のように、周囲の風景はまったく変わり映えしなかった。背丈ほどの茂みと、ぽつぽつと立つハルニレの木。遠方には針葉樹林体の黒々とした波があり、ときおり潮のにおいが混じる海側は、まさに草の海だった。道がなければ、あたりに目印らしいものは何もなかった。
 変わり映えのしない風景が一変したのは、それから半時間ほど南下した先、「街道」が海岸線に寄り添い始めてからだ。
 油の匂いが強烈に漂っていた。
 風が強く、波が砕け、海岸線沿いは靄がかかったように飛沫が散っていた。砂浜が見えたが、どす黒く染まっていた。流木に交じって、様々な漂着物が波に洗われていた。
 私たちは立ち止まらず、それらを横目に歩いた。
 漂着物は、友軍……海軍の兵士たちだった。無数の兵士たちの亡骸が、海岸線に打ち揚げられ、波にもまれている。辺りに漂う臭いは、艦船のガスタービンエンジンの燃料の臭いだ。鼻を突く。あの夜の戦闘で撃破、撃沈されたものだ。十日以上たつというのに、臭いは戦場のそれだった。無残な亡骸がごろごろしているのも戦場の風景そのものだった。
 海岸線からわずかに沖合には、無残に腹を裂かれた駆逐艦が座礁していた。対艦ミサイルの飽和攻撃を受けたあと、ここまで流れてきたのだろう。艦橋構造物などで友軍の船だとすぐにわかる。それも一隻だけではなかった。潮流がそうなっているのだろう。流木があたり一面に流れ着いているのがその証左だ。腹を向けて転覆している艦、その向こうには、艦橋をほとんど失った重巡洋艦が見える。
「姉さん、」
「行こう。……戦線は芳しくないようだな」
「国境線の向こうまで、こんな具合だったら」
「巻き返しているさ。きっと、」
「希望的観測?」
「希望を持たないで歩けるか」
「わかったよ」
 やがて、「街道」は海岸線から離れた。
 湿地帯を縫うように、しかし確かな足場の道が続く。歩いているのは私たちだけだが、ここをどれくらいの人間が、どれくらいの時間、歩き続けたのかが、その固さからうかがえた。
 休憩を取りながら、また数時間歩いた。
 国境線まではセムピたちは彼らの足で三時間程度だと言っていた。せいぜいが二十キロもない程度の距離のはずだが、「街道」は曲がり、ときに北へ引き返し、また南へくねる。遠いと思った。
 蓮見と道端に座り、戦闘糧食を食べた。
 また、歩いた。
 空は青かった。
 ずいぶんと低い場所を、真っ白い雲が流れていき、その後、驟雨が私たちを打つ。だが、驟雨は五分しないうちに去り、また眩い初夏の日差しが戻る。ふと、登山をしているような気持ちになる。変わりやすい天気は高所のそれに似ている。植生も近い。名前もわからない小さな花が咲いていた。鈴のような花弁が、風に揺れていた。
 私たちは歩いた。
 日が傾き始めていた。
 そして、異変に気付いたのは、蓮見が先だった。
「姉さん、」
 蓮見は私を呼ぶと同時に肩に手を置いた。「待て」のサインだ。私は瞬間的にしゃがみこむ。
「なんだ、」
「おかしい。何かいる」
 言われるが早く、私は据銃し、光学照準器を素早く振る。そう、潜水艦が潜望鏡深度に浮上し、艦長が素早く潜望鏡で周囲三六〇度を警戒するように。凝視する必要はない。ぐるりと周囲を光学照準器で警戒する。異常な「なにか」は私にはわからない。
「なにも、いない」
「いたよ、わかる」
「友軍(フレンドリー)か?」
「CIDSに反応はないの?」
「なにも」
「じゃあ、敵だよ」
「どこに」
「一六時」
 進行方向に対して一六時の方角。絶対方位よりいまはそれがわかりやすい。
 私は銃を振る。伏せ撃ちの姿勢で。二脚がないので、左ひじを地面に立て、左手のひらの上に、被筒(ハンドガード)を載せる。茂み、ハルニレ、朽ちた戦車、茂み。
「見えない」
「姉さん、エコーロケーションは」
「使えない」
「こんなときに」
「そうだな、」
「動かないほうがいいって」
「私には何も感じない」
「姉さんが、」
「勘が鈍ったか」
「私の思い違いかもしれない」
「いや、」
 照準器を覗いたまま、もちろん、親指はすでに小銃のセレクターレバーを「SAFE」から「SEMI」の位置にしている。いつでも撃てる。
「<THINKER>かもしれない」
 蓮見がつぶやく。嫌なことを言う。
「まさか、」
「そんな匂いがする」
「匂い?」
「私の勘」
「信じるよ」
「そんなあっさり」
「人間の感覚は、」
 光学照準器とのアイリリーフを適正位置に取って、私は銃を構え続ける。まるで私が狙撃手(スナイパー)で、蓮見が観測手(スポッター)だ。いや、いまはそれに限りなく近い。
「人間の感覚は、精密ではないけれど正確なんだ。お前を信じるよ」
「ありがとう」
「規模は、」
「小隊程度だと思う。草を踏む音がした」
「そんな音が聞こえたのか」
「サーシャの家は音なんてしないから、耳がよくなったんだよ」
「そういうことにしておくよ」
「動いた、あそこ」
 私の隣で蓮見も伏せ撃ちの姿勢を取っている。
「蓮見、お前が索敵してくれ。私は、」言いながら体をひねる。「周囲を警戒する」
 二人で同目標を探る必要はないしそれは危険だった。蓮見が代わりに私が追っていた十六時方向に銃を向け、私は転がるように蓮見から離れると、伏せ撃ちの姿勢を保ったまま、周囲の警戒を開始した。
「本当に小隊規模か、全然見えない」
 私。
「と思うけど。もうちょっと少ないかもしれない」
「車両は随伴していないか?」
「いたら姉さんだって気づくはずだよ」
「確かに」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介