トモの世界
歩兵戦闘車や戦車の類が近傍にいることがいちばんの脅威だった。それにしても、と思う。衛星の支援が受けられないとは、これほど心細いとは。周囲の状況が自分の五感以外にわからないのだ。CIDSが完璧ならば、それこそ空軍の早期警戒管制機の情報だって受け取れる。敵の戦闘車両の配置、台数もだ。それが今はできない。
「まったく、ここに釘付けか」
私は伏せたまま、光学照準器に目を凝らして言う。
「通り過ぎてくれればいいけど」
「いち、に、……やっぱり小隊だ」
「後続はあるか」
それよりも、いますでに私たちのすぐ近くに敵が展開しているではないかと、私は恐怖に近い緊張を感じていた。
「後続はなさそうだけど、」
「どっちへ向かってる」
「北」
「北?」
「うん、北」
「なんで南へ向かわない」
「知らないよ。北へ歩いてる」
「あっちに友軍部隊でもいるのかな」
「どっちの、」
「こちらのさ」
「ついていく?」
「それも一つの案さ。でも無理だ。わかってるだろう」
「わかってる」
「やり過ごそう」
「見逃してくれるかな」
「蓮見も捕捉できてるか」
「捉えてるよ」
「撃つなよ」
「撃たないよ」
「距離は……、一キロ……もうちょっとか」
「届かないよね」
「向こうが対物(アンチマテリアル)ライフルでも持ってたら終わりさ」
「戦闘ヘリコプターを呼ばれたり、」
「そうだな。近接航空支援を要請されたら、私たちは終わりだな」
「こっちが要請できない?」
「どうやって。ビーコンを出すのがやっとなのに」
「わかってるよ。知ってて訊いたの」
「蓮見、戻ってきたな」
「知らないよ。イルワクの服、もらってくればよかった」
「高泊に戻ったら、通販サイトで注文してやるよ。携帯電子端末(ターミナルパッド)があればなんでも手に入る」
「どこで着るの、」
「駐屯地で着ればいい。南波が喜ぶ」
「少尉が?」
「あいつは、そういうのが好きだからな」
「南波少尉が好きなのは、姉さんだよ」
「蓮見、冗談言えるくらい戻ってきたんだな」
「違うの?」
「見失うなよ、敵を」
「遠ざかってる」
私たちはそのまま、敵部隊の通過を待った。
一キロ。
小銃弾では、弾を届かせるのがやっとの距離だが、戦場では至近距離といっていい。捕捉されれば多勢に無勢だ。国境を越えるなど夢物語になる。
「姉さん、警戒!」
私は再び転がり、蓮見に並ぶ。そして、銃を構える。
光学照準器を覗く。
「くそ」
蓮見に答えるより早く、私は毒づいた。
気づかれた。敵が明らかに隊列を変え、こちらを向いたからだ。
「いち、に、さん、」
「蓮見、連れてきて悪かったな。村に残せばよかったよ」
「いまさら、」
私は短く息を吸い、そして吐く。ゆっくりと、口をあけたまま。引き金に人差し指を載せる。
ああ。
私はまた、人を殺す。
もう一つの感情が私の前面に出てくる前に光学照準器の照準を調整。この距離なら、クロスヘアを目標より少々上に合わせなければ。そして私は引金を引く。
発砲音。反動。空薬莢が飛ぶ。遠い。当たる気がしなかった。一キロは遠すぎる。第二射。さらに弾のおじぎを考慮して、クロスヘアは目標のかなり上で撃った。肩に衝撃。マズルブラストで草が散る。
弾丸は超音速。
第二射、命中せず。
隣で蓮見が撃ちはじめた。セミオートで、連射する。
「近づけるな、」
「無理かも」
私のすぐ上を銃弾が掠めた。鋭い音。いやな音だ。
「奴らは三〇口径じゃないな、」
「アウトレンジできるかな?」
「どっちみち遠すぎる。弾は届くが当てられない」
私は蓮見の肩を二度叩く。立ち上がれ、ただし、屈んで走れ。
蓮見が応え、俊敏な機動で茂みに駆ける。なんだ、できるじゃないか。足は治っているんじゃないか。私は一拍置いて続く。銃弾が追ってくる。
「蓮見、」
私は短く言うと転がり、銃を構え、撃つ。撃つが、茂みばかりが邪魔をして、標的は見えない。が、それは敵も同じことだ。敵の銃弾はまだ私たちを捉えてはいない。
距離、変わらず。
接近するのは愚だ。向こうもそう思っているだろう。
「声がしないな」
「<THINKER>だよ、姉さん」
「気持ち悪い奴らだ」
続けて発砲。機関銃がほしいと思った。
「姉さん」
「なんだ、」
「感謝するよ」
「何がだ」
「こういうのが、私は好きなんだ」
蓮見の横顔を一瞥すると、どこか吹っ切れたような顔をしていた。
「知ってるよ」
「夢を見ていたんだ」
「なんの話だ」
お前、夢なんか見られるのか、続けて言いそうになったが飲みこんだ。第二世代選別的優先遺伝子保持者<PG>たちは夢を見ない。
「イルワクの村の話が、夢の世界みたいだったってこと」
「ああ、」
「私が何をしていたか、教えてあげるよ」
「後にしてくれよ」
「いま言いたい」
「仕方ない、聞いてやる」
「朝起きて、私は、サーシャとキッチンで朝食を作るんだ。こんな、かわいいエプロンをつけて、卵を割って、パンを焼くんだ」
「はっ」
「サーシャと出来上がった朝食を、テーブルを挟んで一緒に食べるんだ」
「ああ、」
「おいしいね、って」
「お前、イルワクの言葉、いつ覚えたんだ」
「言葉なんか通じないよ。でも、サーシャが言ってることはわかるんだ」
「それで、」
発砲、発砲、発砲。
「サーシャがつくろい仕事をするんだ。そういう仕事をしてるんだ。私は、椅子に座って、サーシャの手伝いをしていた。考えられる? 銃を撃ってる私が、陸軍准尉の私が、つくい仕事の手伝いだよ」
「たぶん似合ってるよ」
「見てないくせに」
「で、」
「お茶を淹れて、二人で飲むんだよ。で、二人で畑に行って、種をまいた」
「なんの種だよ」
「トマト、ナス、ジャガイモ」
「イモは違うだろう、」
「そう?」
私はセレクターを「FULL」に切り替え、二点、三点バースト射撃。空薬莢が散る。
「イモは、種イモを土の中に埋めるんだよ。お前、畑仕事したことないな」
「あるわけない、私の家は、出水音では名家なんだから」
「嘘をつけ」
「本当だよ、うちは、代々武家の流れなんだ」
「それは初耳だよ」
「言わなかっただけ。どうせからかわれる」
「だから、イモの植え方も知らないんだな。お前は育ちが良さそうだと思っていたよ」
「で、午後になったら、またつくろい仕事の手伝いをして、サーシャと村の小さな店に出かけて、夕食の準備だよ」
「店なんてあったのか。……お前、ここを乗り切ったら、一人で村に帰れ」
「いやだ」
「見逃してやる。部隊には、戦闘中にお前を見失ったと報告する」
「冗談じゃない、」
蓮見もバースト射撃して弾倉交換。私は残弾数が気になり始める。
「なんでだ、お前、村娘が似合っていた」
「姉さんこそ、」
「なんだ、」
「姉さんこそ、あの服、似合ってた。かわいらしかったよ。ああ、入地准尉もふつうの女の子なんだって思った」
「やめてくれ」
「本当だよ」
「お前、私と村では会わなかったじゃないか」
「何回も見かけてる。姉さんが私に気づかなかっただけだ」
「そんな」
「姉さんは、いつもなにか考え事をしているように歩いてた。私がすぐそばの畑で、サーシャと草むしりをしているのに、姉さんは無視して歩いて行った」