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トモの世界

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「ええ。私の故郷では、ふつうだった。戦争をしているのが不思議なくらいに」
 ターニャの料理は文句なしにおいしい。祖父は料理までは教えてくれなかった。そして、私は母に料理を教わる前に家を出てしまった。二人の姉はしっかりと母の味を受け継いでいるのだろう。私は父の商才も、母の如才ない社交性も受け継ぐことはなかった。他を拒絶するかのように孤独を好む祖父の血を、後天的に受け継いでしまったのだ。
「あんたは、たとえるならね、カバブトの夏に咲く花だよ。秋が来て枯れたとしても、冬を耐えて、また次の年の夏になったら、おんなじように咲く。それが、あんたは自分で分かっていないのさ」
 宿根草か。私が。
「相棒の……優羽のほうが、よほど可憐な野花だよ」
「あの子は野花じゃない。この部屋の窓辺で世話をしないと、花を咲かせてくれないような、弱い花さ。あんたは誤解しているんだよ。あんたはきっと、憎しみで銃を撃ったりしてこなかったんだ。いまは戦士だから、怖い顔をして銃を撃たなければならないと思い込んでいるだけ。あんたは、いままでここに来たどの帝国の兵隊さんより、戦士らしくないよ」
「私は、ターニャ。戦士なんだ」
「わかっているわ。けれど、いつまでも戦士でいるつもりではないのでしょう。戦士でいるのをやめるのがいまでも構わないのじゃないかしらね」
「私に、村に残れと。それは、シカイの意向なの?」
「あの人はそんなことは言わないわ。ただ、あなたが残りたいというのならば、私の家に部屋は用意するし、そう決めてくれたら、シカイも何も言わないわ」
「なぜ私にそこまで」
「ここが嫌なら、あんたはもうここにはいないはずだから」
「相棒がけがをしているからとどまっているの」
「あんたにもわかっているのでしょう。あの子のけがは、もうすっかり癒えているわ。あの子の心がこの村から出たがっていないから、だから足がまだ萎えたままなのよ」
「なぜそこまでして私たちを引きとめるの……」
「私はね。トモ。あんたを強引にここに留めようとは思わない。けれど、最初の夜、あんたは泣いた。まるで、小さな娘のようにね。それで、私は、思ったの。あんたがここに残りたいというならば、ここをあんたの家にすればいいってね」
 疲弊した心。この家。ターニャの声。顔。そして青い目に捉われた私。
 私は確かに泣いた。心を縛り付けていた何かが瞬間的にほどけたような、流れ出す感情を押しとどめることができなかった。軍では、過酷に過酷を重ね、地獄のフルコースのような訓練を重ね、加えて医官がカウンセリングを繰り返し戦士としての心を強化しても、真冬の夜に暖かな布団にくるまるような、この村で受けている歓待からいかに身を守るかということは教えてくれなかった。
 けれど。私は、ここから出るのだ。そして、私が帝国の戦士である限り、二度とここへは来ないのだ。私の世界は、硝煙と迷彩色と戦闘糧食に囲まれ、自らの意思で危険に飛び込む常軌を逸した戦士たちが住まう場所。もしここへ来ることがあっても、それはやはり作戦行動でだろう。ヘリコプターでか、あるいは徒歩で越境してか。またはお得意の空挺降下か。方法はわからない。だが、次に来るとしたらそうした手順だ。歓待を受けるために来るのではなく、戦うために来る。イルワクとではなく、同盟軍と戦うために。
「トモ、」
 呼びかけられる。
 ターニャ。
 表情は穏やかなまま。親戚の家を訪れ、旧知のおばに歓迎されているような。
「あんたには、最初の夜、草(・)を使わなかったわ」
 さりげなく、けれど決定的な一言をターニャは優しい口調のままで言う。
「サーシャは掟どおり、あんたの相棒の女の子に、心を解きほぐす香を使ったそうよ。でも、私は使わなかったの」
 そうなのか。本当に? 私は問いかけず、ターニャの顔を向く。
「どれだけ勧めても、あんたは、ここを出ていくんだろうね。最初にそんな気もしたわ」
「……」
「最初の夜、あんたがここで涙を流したとき、私はね、新しい仲間が増えると思ったの。でも、あんたが泣いたのは、あの夜だけ。毎晩、あんたは部屋で銃を手入れしていた。優羽さんは、この村に来てから、一度も銃に触ってもいないそうよ。ここに来た兵士たちはみんなそうだった。喜んで私たちの仲間になってくれた。会ったんでしょう、ショウキにも」
 私はうなずく。
「あの人があんたに何を言ったのかは、なんとなくわかる。だから訊かないわ」
 この村をすぐに出ろ。相棒を連れて。
「ここまで言っても、あんたの目は変わらない。私はあんたにここにいてほしいと思ったのさ。シカイやほかの村の連中の気持ちとは別にね」
「……ありがとう」
「これは、歓待係のターニャとしてじゃなく、イルワクのターニャとしての言葉。帝国の戦士、トモ。……残念よ」
 ターニャはそう言うと席を立ち、コンロからお茶を淹れた。若草のような香りのする、あの、シカイがカップから飲んでいたものと同じ匂いの。
「安心して飲みなさい。私たちが普段から飲んでいるお茶よ。……疲れたら、戻ってくればいい。あんたの部屋は、空けておくからね。本当よ」
「ターニャ。気にしないで、……私以外の誰かに、あの部屋を使わせればいいのよ」
「トモ、」
「なに」
「初めて、娘らしい言葉を使ったね」
「え、」
「トモ、本当のあんたを、帝国に戻ってからも、捨て去らないことさ。私たちは、いつまでもイルワクでいるし、いられる。努力も必要だけどね。でもね、トモ。あんたは違う。いつまでも戦士のままではいられない。そのとき、自分をしっかり持っているの。いいわね」
 私は、ターニャが出してくれたカップから、一口飲んだ。
 甘味。そして苦味。
 きっと野草なのだろう。
 いつか、祖母が……言葉少ない祖父と同じく、多くを語らない祖母が淹れてくれたお茶が、こんな味だった。
「いつ、発つのかね」
「明日の朝に」
「あんたの着物は、全部あんたの部屋にあるわ。勝手に洗ったけれど」
「燃やしたって燃えない素材なんだ。勝手に洗ったくらい、何でもない」
「元に戻ってしまったね」
「なにが」
「言葉よ。せっかく娘らしい言葉遣いをしていたのに」
「私はずっと、こんな言葉だ」
「それもいいさね」
 ターニャと話したのは、それっきりだった。
 ターニャは洗い物をして、しばらく居間で繕い仕事をしていた。
 その場にいても、今度は私が間が持たなくなっていた。すでに私はターニャにわずかながらも感情移入をしていたから、これ以上、ターニャと同じ時間を過ごすわけにはいかなかった。離別は感情を移入しすぎると、痛みを伴うものだからだ。まして、ターニャは血縁者でも知人でもなかった。あえて云うなら、旅先で知り合った優しい人。
 私は短くターニャにおやすみを言った。
 ターニャも短くそれに応えた。
 ターニャにとっては、いつもと変わらないイルワクの村の一日が終わる。
 そして私には、日常へ回帰するための最後の非日常が終わる夜だ。
 蓮見を連れて、明日、この村を出る。
 だがもし、蓮見がこの村に留まると言ったら。
 それは許さない。先任である私は、彼女に命令する権利がある。そして、彼女を無事、部隊へ連れ帰る義務を負う。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介