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トモの世界

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「……興味がないだって?」
「戦線がどうなろうが、私にはどうだっていい。私はワタスゲの原を見てみたかったんだ」
「さすが、ハケンの准尉ともなれば、奇特なもんだぜ」
 男は外套から煙草を取り出した。パッケージにロケットと犬がデザインされた煙草だった。北方会議同盟(ルーシ)連邦のブランドだ。それに派手な音を立ててオイルライターで火をつけた。
「たまには帝国の煙草が恋しくなるんだが、ここでは手に入らない。あんた、吸うか」
「私は吸わない」
「赤外線センサーも温度センサーも何にもないぜ、ここには」
「これは嗜好の問題だよ」
「そうだな」
「こっちの連中向けに葉っぱがブレンドされてるから、俺の口にはあんまし合わないんだよ」
 それでも男は歩きながらうまそうに煙を吐き出した。戦闘中はおろか、作戦行動中、喫煙は厳禁だ。なにより赤外線センサーに引っかかるし、非喫煙者ならば自明の、この強烈な臭い。たき火の匂いのほうがよほど鼻腔にやさしい。刺激的な煙草の煙の臭いは、敏感な人間なら半径百メートル以上先から感じ取れる。機械的に嗅覚を増幅させ、策敵に役立てるデバイスだってある。人間の脳では犬並みの嗅覚を持ったとしてもその匂いの成分を処理できないが、コンピューターはそれをやる。匂いで殺気を感じ取るのだ。
「で、なんの話だったか」
 歩きながら煙草を吸い、ショウキはそれでも歩幅を変えない。
「……さあ」
「『天国の入り口』の話だよな」
 私は彼と話しながら、南波のことを思い出していた。南波とも作戦中、とりとめもない話をした。記憶にも残らない話。話したということだけが記憶に残る話。
「ワタスゲの原。霧の世界。……あんた、通ってきたんだろう」
「どうしてそれを」
 蓮見と迷い込んだ草原。涸れることなく湧き出す霧。そして間隙の青空。
「俺も通ってきたからさ。わかったろう。ワタスゲの原は、実在する場所で、そこは『天国の入り口』なんかじゃなかったってことだ。野垂れ死ぬ奴が多いから、死に近い場所だって言われてるんだ。簡単なことだ。戦場では些細な噂が壮大な伝説になっちまうんだよ。俺はそれを身をもって体験した。あんたもだろう」
「ああ。……そうだな」
「関係ないが、あんた、若い女の子のくせにして、言葉遣いが凛々しすぎないか」
「気にしたこともない」
「もっと直截に言ってやる。あんた、言葉づかいが乱暴だ。かわいい顔して似合わないよ。それとも軍隊に入るとみんなこうなっちまうのかな」
「私は昔からこうだ」
「昔。昔か。あんた、長(シカイ)が言っていたように、猟師だったのか」
「違う。職業猟師じゃない。祖父が猟師だった。家には猟銃や罠があった。祖父に連れられて山に行った。それだけだよ」
「十分じゃないか。あんた、どこの生まれなんだ」
「柚辺尾」
「なんだ、北洋州か。ここと同じ自治域だ」
「ここは同盟国領だろう」
「どっちだって大した変りはないさ。もともとこのあたりはイルワクの土地だ。俺たちの帝国がかつて実効支配したこともない。どこにも属さない土地だったのさ。でも、いまどき、どこにも属さない土地なんてのは、世界が許さない。そういうことだろう? 同盟国は高度な自治権をイルワクに与えてる。同盟国の法の支配もここまでは及んでいない。だから、イルワクは徴発されないし徴兵もされない。街に下りたイルワクは、文明に触れて感激しちまって、そのまま同盟国同志になっちまう奴もいるらしいがな。たいそう優秀な兵士になるそうだ」
「わかる気がするよ」
「あんたも似たようなものなんだろう。小さい時分から銃に触れてりゃ、射撃の腕は俺以上だ」
「そんなことはない」
「俺は戦車兵だったんだ。砲手だよ。戦車砲は操れたが、ライフルの射撃は上達しなかった。そういや、あんた准尉か。ハケンは兵隊(・・)がいないってのは本当なんだな。敬礼しておこうか。准尉殿」
「やめてくれ。それに、私たち准尉階級は実質的な兵隊だ。私には指揮する部下もいないよ」
「あんたはいい目をしてるよ。俺なら部下になってもいい。けど、この村に拾われたのが運の尽きさ。歓迎されただろう。おばちゃんの家で」
「ターニャか」
「俺んときは別の奴だった。……田舎の親戚の家に来たみたいで、俺は一週間でもうすっかり原隊へ復帰する気持ちなんてなくなった。あんたもなんとなくわかるだろう。俺が思うに、一服盛られたのさ。あんたも薄々そう思ってるだろう。最初にこの村へ来たときの夜はおかしかった。
 俺は戦車が好きだった。乗っているあいだ、自分の戦車が自分のものみたいに感じていた。わくわくしないか、陸上最強の兵器に乗れるんだぜ。いつだって俺は戦車に乗るのが楽しかった、いや、楽しいっていうのとは違うな。俺の仕事場だって感じてた。だから、自分の部隊が全滅しても、また軍に戻って再編成された戦車部隊で、今度は戦車長になりたいと思っていたんだ。この村に来る直前まで、本気で思ってた。それが、このざまよ」
「戻ればいいじゃないか、元の部隊に。……私と戻ろう。あんたは、作戦中に行方不明になっただけだ。そう主張すればいい。私が証人になる」
 言うと、ショウキは一瞬、ほんの一瞬だけ、表情を翳らせた。だが、すぐに前を向き直った。
「七年だぜ。七年。七年もこの村で暮らして、いまさら部隊に戻れるかよ。俺はもう、イルワクだ。帝も軍も関係ない。……ここには家族もいるんだ。俺は戻れない」
 自分に言い聞かすような口調。ポケットから煙草を取り出し、火をつけるが、その仕草が痛々しく見える。
「七年だ……」
「あんた、いくつなんだ」
「そういう准尉殿はおいくつですか。俺とたいして変わらんようにも見えるが」
「私は二八だ」
「おっと奇遇だな。俺は二九だ」
「私と戻ろう。……家族も連れて行けばいい」
「どうやって村を出るんだ。俺はただでさえよそ者なんだ。あからさまに監視されてるわけじゃないが、完全に仲間に入れてもらったわけじゃない。おかしな動きをしていたら、何をされるかわからないさ」
「……そうだ、私と蓮見を、村の外まで見送ると言えばいい。そうして、私と国境を越えれば」
「バカな。俺はまだ村では下っ端なんだ。軍ではようやく伍長だっだが、ここでは下の下さ。俺が帝国の戦士を村の外まで送り届けるだって? そういうのは、セムピの役目さ」
「……帰ろう、故郷(クニ)に」
「俺はイルワクだ。帰る故郷(クニ)は、あの村さ。……あんたもな、俺の言葉がわかるだろう。あのあんたの相棒を連れて、さっさと村を出るんだ。俺はそれを言いたかったんだ。ワタスゲの原から出られないのは、こういう理由だ。イルワクの村はあちこちにある。あんたも北洋州の出ならわかるだろう。椛武戸に住むイルワクは一万人だ。奴らは、器がばかでかいんだ。来る者は拒まずさ。ただし、仲間になるってことを条件にされる」
「そう、言われるのか」
「言われはしない。けれど、仲間になる気がない奴は、やんわりと追放される。イルワクの村は、同盟国の街からはえらく離れた辺鄙な場所にしかない。それにイルワクは移動手段を持たない。野垂れ死ぬだけさ。村から出てもな。あとは、元いた国で名乗っていた苗字を捨てさせられる」
「……あんた、何て名前だ」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介