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トモの世界

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「お前の相棒、あとひと月もここにいたら、二度と原隊に復帰なんかできなくなる。部隊に戻るどころか、帝国にも帰れなくなる。この村にはそういう力があるんだ。お前もそう思うから、そんな顔をしてうろついているんだろう。違うか」
 そうだった。
「相棒の足がまだ癒えない」
 私は彼に言う。粗野な風貌をしていたが、セムピやイメルとは雰囲気が違って見えた。そう……彼は、イルワクと……人種が違う。
「相棒を担いででもここを出るべきだな。できるだけ早く。いや、あんたがここに定住したいというなら俺は止めないが」
 男は歩きだした。だが、私に視線を向けてくる。ついて来い、目が言っている。
「あんたは、」
 私が問う。
「ショウキ」
「名前?」
「名前だ。あんたは、入地准尉といったな」
「よく知っている」
「村は狭いからな。あんたらが来た次の日には、俺の息子だってあんたらの名前を知っている」
「……あんた、イルワクじゃないのか」
「なんでそう思う」
「言葉」
「俺の言葉か」
「あんたは、イルワクの言葉を母語にしていない」
「そうだな。俺はイルワクの言葉も同盟の言葉もおぼつかない。俺は晩(ばん)翠(すい)の出だ」
「晩翠?」
 都野崎からさほど遠くない地方都市だ。
「あんた、どこの部隊だ」
 男は歩く。村を出る道だ。細くしっかりとした道が、茂みの向こうへまっすぐと続く。両脇は背の高い針葉樹林だ。
「あんたには関係ないよ」
「冷たいな」
「なんであんたはこの村にいるんだ」
 男の足取りはしっかりとしている。上体が揺れない。歩幅が一定だ。背筋が伸びている。気づけば私は彼と歩調を合わせている。それに違和感を覚えない。
「准尉、あんたと似たようなもんだ」
「私と?」
「俺は原隊に復帰し損ねたのさ。だから、俺は部隊にも国にも帰れない。帰ったら軍事法廷行きだ」
「あんた、……逃亡兵か」
「結果的に逃げたかもしれんが、あんたと同じだ。……俺の部隊は、全滅したのさ。森の中でな」
 やはり、と思った。歩き方、物腰、姿勢。猟師のものではない。よく訓練され教育された兵士のものだ。
「霧の中でわけもわからず歩き回った挙句、ここの連中に拾われたのさ」
「霧の中で、」
「ワタスゲの原の話、聞いたことがあるか」
 私たちは一定のペースで村から離れていく。兵士の足は速い。私は意識しない歩幅で歩いていたが、彼から遅れるわけでも、私が先行するわけでもない。身体にインプットされた一定のリズム。陸軍兵士の固有振動。
「知っているよな。北方戦域で戦う部隊の人間ならだれでも」
「あの世の入り口、そんな言われ方をしている」
「俺の部隊でも、よくその話が出たよ。迷い込んだら最後、二度と帰ってこられない場所のことだ」
「私は空軍のパイロットに聞いた。最初は」
「そうだな。俺も聞いたことがある。北の空で撃墜されて、気づいたら霧が渦巻くワタスゲの原。本当にそんな場所があるのかって、まあみんなで話をしていた。最前線に近づけば近づくほど、ワタスゲの原の話はいろんな部隊の奴から聞いた。でも、本当に見たという奴には会ったことがなかった。あんた、会ったことがあるのか」
「都野崎の軍病院で会ったよ。元空軍の戦闘機パイロットだ」
「どうやって生還したのかね」
「詳しくは聞かなかった。私は、ただ、そのパイロットが見聞きしたことに興味があったんだ。夢だったんじゃないか、あるいは、死地をかいくぐった者だけが見る、ある種の幻覚じゃないかって」
「俺もそう思っていたさ。『ニア・デス』って知ってるか」
「臨死体験」
「誰でも、死の淵では似たようなものを見る。天から降ってくる光、もうこの世にいない懐かしい奴らとの再会、恍惚」
「けれどそれは、私たちの頭が勝手に見せる幻想だ。夢だよ」
「そうだ。俺たちの脳みそには、そういう機能が備わっているってことだ。肉体も精神も限界に到達すると。麻薬だな。脳みそに自家製の強力な麻薬が流れ出て、気持ちよくなれるってわけだ。死ぬのが怖くなくなる」
「私もそう思っていた。北方戦域の『天国の入り口』の話」
 私たちの周りをしつこく蚊が飛び回る。が、私はセムピにもらった虫除けを露出した肌に塗っていた。森林戦ではこうした害虫対策も必要になる。戦闘装備の中に近いものはあったが、セムピのくれたイルワクの虫除けは、かすかに石油の臭いがしたがよく効いた。ショウキと名乗った男の身体からも、同じ臭いがした。
「天国なんてありゃしない。俺はずっと思っていた。天国なんてものを信じていたら、俺は軍隊になんて入らなかった。僧侶か聖職者になっていたな。俺の親戚には本物の僧侶がいたが、そいつは天国とは程遠い生活をしていたけど」
「私も天国なんて信じちゃいないよ」
「じゃあ、なぜわざわざ入院中のパイロットにまで話を聞いたんだ」
「私はその頃学生だった」
「あんた、医官か」
「准尉の医官がいるか」
「いないな。いいとこ衛生兵(メディック)だ」
「……私は『天国の入り口』を探したくて……、軍隊に入ったんだ」
 言うと、男は立ち止まり、私を振り向いき、目を大きく開いた。
「なんだって、」
「……私は『天国の入り口』を探しに来たんだ」
「わざわざそのためだけか」
「それだけではなかったけれど、……それに近い」
「あんたの所属はどこだ。俺と違って、あんたはまだ逃亡兵ではないんだろう」
「陸軍第五五派遣隊」
「なんだって?」
「陸軍第五五派遣隊だよ。チームD」
「おいおい、一般部隊じゃないとはな。それは俺もわからなかった。ハケンのエリートさんか」
「変人呼ばわりだろう、どうせ」
「俺は最後は第八〇師団の戦車大隊さ。あんたらハケンの噂はよく聞いた。噂だけな。あんたのお仲間には一度も会ったことはなかった」
「あんた、部隊を離れてどれくらい経つんだ」
「七年」
「七年? 」
「だから言ったろう。帰るきっかけを失っちまったのさ」
 男は再び歩き出す。冷たい空気に時折むっとする草いきれが混じる。季節は初夏だ。それを実感する匂いだ。今日は気温が高い。肌寒さは早朝に感じただけだった。
「あんたが仲間とはぐれた日は、ずいぶんと派手だったな。一週間くらい前だったか」
 足元は固く締った土。幾人もの足跡で踏み固められた道。この道はどこへ通じているのか。あるいはイルワクの世界をぐるぐる廻るだけなのか。
「戦況はどうなっているんだ」
 ショウキが歩きながら言う。
「あんたが現役だったころと変わっちゃいないと思うよ。一進一退さ。仕組まれているような気がしてくるくらいに」
「実際仕組まれているのさ。上の連中は、お互いにルールブックを眺めながら、次はどうする、次はこうだって、わかりきっているんだよ」
「そんな、」
「そう思わないか。戦域は椛武戸や同盟国の沿岸域に限定されてる。海峡の向こう……北洋州本島まで戦線が拡大したことはない。同盟軍の爆撃機が高泊や柚辺尾を爆撃したことがあるか? 前の大洋戦争じゃ都野崎の高射砲塔も火を噴いたそうだが、艦載機がうろうろしただけだ。爆撃機が飛んできたわけじゃない。都野崎が焼け野原になったか? ならないさ。俺はこの戦争が信じられなくなった」
「私は……北方戦役そのものに興味はない」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介