小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

トモの世界

INDEX|9ページ/126ページ|

次のページ前のページ
 

 私にもわかる。空軍の六四式戦闘爆撃機。八九式支援戦闘機がある程度空中戦も考慮した軽快な機体だとすれば、六四式は地上や水上目標の殲滅が主任務だ。原型機は制空戦闘機として設計されたが、その拡張性の高さと機体規模の余裕の大きさと、制空戦闘能力の相対的低下から、戦闘爆撃機として再設計された機種だ。要撃機譲りの強力な双発エンジンと、もともとは高空での機動性を確保するために設計された翼面荷重の低い主翼、二枚の垂直尾翼を備えた機体で、サイズも八九式支援戦闘機よりも一回りほど大きい。空飛ぶ戦車のような威圧感がある機体だ。その黒っぽい迷彩もはっきり見えるが、なにより左主翼後方から黒々とした煙を吐き出している。エンジンは生きているようだが、双発のどちらかはおそらく死んでいる。
「左の水平尾翼がない、主翼にも穴が空いてる……下からやられたな。あれは墜ちるぞ」
 南波が伏せたまま言う。あの縫高町から私たちがいるこの場所まで、四〇キロ弱。私たちが夜明けから歩き通した距離も戦闘機なら一瞬だが、さらに北の国境までは優に二〇〇キロはある。地上部隊が展開したのは風連のあの発電所の周囲だが、航空勢力はさらに北側で散発的な戦闘を行っている。六四式が敵拠点を爆撃し、八九式支援戦闘機がさらに小さな拠点をしらみつぶしにする。八一式要撃戦闘機はその上空をカバーする。おそらくシェルコヴニコフ海には海軍の機動部隊がいるはずだ。空母から発艦した海軍航空隊の戦闘機も攻撃に加わっている。
「入地、ここはまずい」
 肉眼でも垂直尾翼に描かれた部隊マークや機種の機体ナンバーが読めそうな距離に来ていた。恐ろしく高度が低い。低空侵入を得意とする機体ではあるが、明らかに安定を失っている。息も絶え絶えという様子が見てとれた。エンジンに致命傷を抱えていて、ここまでは位置エネルギーやら運動エネルギーやらをなんとか犠牲にして飛んできたが、そのどちらもいま失われようとしていた。
「あ、」
 国道の盛土に伏せ、見上げたところで六四式戦闘爆撃機は最後の力を振り絞るように機首を空に向けた。対地速度はほとんどゼロに近い。失速だ。黒煙の元から火が出ている。機体後部はほとんど炎に包まれていた。そのまま機首が上を向いたまま、尻から墜ちる。針葉樹林帯と、やや川幅が広がった保呂那川。おそらく機体は川に墜ちるだろう。それを予期した鳥達が一斉に羽ばたいていた。
「まずい、爆装してる。投棄しなかったのか、」
 機体の腹には、攻撃で使い切らなかったか、あるいは使い切ろうとした矢先に被弾したのか、八九式支援戦闘機のGBU-8がかわいらしく思えるような、正真正銘の自由落下式の爆弾……GBU-4……が何発かぶら下がっているのが見えた。絵に描いたような形の爆弾。それを数える暇はなかった。私も南波も、頭を抱え、背を丸めて、盛土に伏せた。機体が後ろ向きにゆっくりと墜落をはじめたとき、キャノピーが吹き飛んだ。ここまでなんとかだましだまし機体を制御してきたパイロットが、とうとう万策尽き、機体を捨てる決心をしたのだ。続いてコクピットから座席が射出された。そこから先は私は見ていない。首を守るため両手で頭と首をしっかり押さえて、口を開き、耳もふさぎ、口を開いた。近い。衝撃波でえらいことになる。
 爆発。
 地面がはっきり揺れた。耳をふさいでいても、凄まじい音だった。耳というより、私の身体そのものに音圧として伝わってくる。全身を張られたような衝撃波。続いて、驟雨のような水しぶき。顔を上げることができない。何が降ってくるかわからない。機体の破片が命中しないことを祈った。
「姉さん!」
 素早く、南波が私に覆い被さってくるのがわかった。バラバラと何かが降ってきている。金属音。おそらく機体の破片。バシャバシャ音を立てるのは川の水、泥炭、あるいは魚。
 あまり長い時間ではなかったと思う。南波が伏せていた身体を起こし、私も目を開けた。とっさに全身を確認する。耳に蓋をされたような違和感と強い耳鳴りがあったが、音は聞こえる。視界も問題なかった。南波も同じように全身を点検していた。炸薬が燃えた独特の臭いと、航空燃料の臭い。そして、川底から巻き上げられた泥の臭いがする。
「姉さん、」
 南波がこちらを見る。俺の目は大丈夫か、俺の耳から血は出ていないか、俺の口から……、白目と黒目のくっきりしたいつもどおりの南波の目がそういっている。私も同じように南波に訊ねる。私の目は破裂していないか、両手両足はくっついたままか。
「近かったな、」
 半身を起こして、南波。それでもまだ距離は離れていた方だったかもしれない。二人とも破片の直撃も受けず、衝撃波で致命傷を負うこともなかった。近くに墜落したように見えたが、機体規模が大きな戦闘爆撃機だから、目視距離より実際のそれは離れていたようだ。川面は大きく波立ち、澄んでいた水は濁っていた。針葉樹林が一部なぎ倒されていた。「パイロットだ、」
 南波が顔を上げた。鉛色の空に、パラシュートが二つゆらゆら揺れている。六四式戦闘爆撃機は二人乗りだ全席がパイロット、後席は兵装(W)担当(S)士官(O)。射出座席でベイルアウトしたのだ。高度ゼロ・速度ゼロ、機体の姿勢がいかなる場合でも、パイロットを機外に射出してくれる空軍自慢の座席は、機体が真上を向いた不自然に姿勢にもかかわらず、きちんと機能したのだ。パイロットは針葉樹林のはるか上をゆっくりと降りてくる。彼……あるいは彼女が無事なのかけがをしているのか、それはここからはわからなかった。
「行こう、」
 南波が素早く立ち上がり、駆け出す。風は弱いが、二つのパラシュートはゆっくりと流されている。ひとつは国道からさほど離れていない草原に降りそうだが、ひとつはそのまま湿地を越えて川に落ちる。
「入地准尉、走れるか」
「大丈夫」
「安心した」
 一人が着地した。もう一人が時間差で着水した。
「生きてるな、」
 南波が国道脇に着地した一人に駆けていく。しっかりと両足から着地して、パラシュートに引きずられながらもコードを切り離そうとしている。もう一人は……、
「南波、」
 着水姿勢もなにも考慮されず、まっすぐに落ちた。そして、そのまま浮かんでこなかった。意識がないだけなのか、あるいは……。わからなかった。
「遠すぎる、ダメだ……」
 ボートも何もなく、一人が着水した位置は、岸から距離があった。水温やこちらの装備を考えると、二次遭難のおそれが考えられた。
 草原脇に着地したパイロットに駆け寄る。
「大丈夫か」
 南波がパイロットの肩に手をかける。飛行服姿に航空ヘルメット。マスクをつけたままだが、ヘルメット・バイザーが割れていた。割れた隙間から目が見える。薄い茶色の瞳。
「大丈夫、」
 パイロットが答えた。マスク越しのくぐもった声だが、……女だった。飛行服のネームを見る。伊来中尉。階級章を見て、一瞬だけ南波が複雑な表情をした。この瞬間から、伊来中尉が上官になる。
 伊来はパーソナルシュートを切り離し、ハーネスの類を解き、マスクをはずした。見ると、飛行服の背中側に血の飛沫が散っていた。
「けがはないか、」
 南波がそれに気づいて訊く。
「私の血じゃない」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介