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トモの世界

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 陸軍には武家出身の兵士が多い。設立の経緯からどうしてもそうなる。刀を銃に持ち替えても、彼らのまなざしは私でも怖いときがある。郵政局配達員の父を持つ南波や、開拓民の子孫である私には流れていない血だ。そうした血の濃さもまた、経験的にわかるようになってくる。それは、帝国国民として私たちに染みついた一種の機能なのか、それとも後天的なものなのか、わからない。
 南波も私も、何となく敬礼したまま、国道を走って行く戦車部隊を見送った。
 エンジン音はしばらくあたりに響いていたから、野鳥がずっと囀っていたことに気づくのは、私も南波も、ふたたび南へ向けて歩き始めてしばらくたってからだった。

 


   三、

 保呂那(ほろな)川の川幅は三百メートルほどで流れは緩やかだ。低湿地が広がるためで、海も近い。数万年前の温暖期には、辺り一帯は海底だったようだ。
 戦車部隊から別れて私たちはまだ国道を南下していた。徒歩での移動だから、車両でなら五分程度の距離を一時間以上かかる。西から広がりつつある雨雲はすでに頭上いっぱいで、いつ雨滴が落ち始めても不思議ではなかった。空気に水の匂いが混じっているのは、目の前の保呂那川や湿地だけのせいではないはずだ。空気に混じる水の匂いは、はっきりと雨の予兆だった。私と南波は、もう昨日から続いている雑談をする気力もかなり失せていて、しゃべる気力を、周囲の警戒に振り向けていた。CIDSやパーソナルマーカーの発信から、私たちの位置を本隊は間違いなく把握しているはずだが、いまだ何の連絡もない。自力で帰れ、そういう意味か。
 そのまま昼頃まで歩き続けた。トマトのおかげで、水分とビタミンはなんとか足りていたが、カロリーが決定的に足りない。歩きづめで足の筋肉に蓄積された乳酸の分散が十分に行われず、ようするに両足がかなり痛かった。訓練や実際の作戦行動でいやというほど経験を積んでいるが、戦闘服の内側にこびりついた様々な臭いと、そして立ち上ってくる自分の体臭と、脂っぽい顔や髪の感触がとにかく不快で仕方がなかった。川に飛び込んで水浴びでもしたい気分だったが、以下の二点から断念した。 ひとつ、水温が十度前後であること……調べずとも北緯五〇度、初夏も初夏、もしかするとまだ晩春であるかもしれないこの地方のこの季節、流れる川の水に入るのはいろいろな意味で自殺行為だ。 ひとつ、南波がいること……説明不要だと思う。
 赤外線をほとんど放出しない特殊素材で織り込まれた戦闘服もすっかり薄汚れていた。もともと夜間戦闘や隠密作戦に適した色調の迷彩だから、真っ昼間の国道上を移動していると目立つ。ほかの陸軍兵士が装備する迷彩色ともパターンも違うため、森の中や茂みの中でもあまり迷彩効果がない。
「南波、」
 前を行く南波の足取りはまったく変わらない。たいしたものだと思う。南波は陸軍の一般部隊からの選抜を経ている。女性である私の肉体能力と、屈強な男性である南波のそれでは比較にならないのかもしれない。身体の大きさも違う。筋肉量も違う。勝っているのは体脂肪率だ。だからもしこのまま私たちが補給もなにもかも絶たれ、無人島に打ち上げられた漂流民の如く、ひたすらいつか来るはずの救援を待つことになったとしたら、そのときは私が有利になる。数日か、数十時間。余分な脂肪がまったくなく、どうやら遺伝子的にも生命力が弱いとされる男性の南波より、生物学的裏付けがある強さを持つ私の方が、生き残ると思う。けれど、生き残るのなら二人同時でなければならない。私たちはチームだからだ。そして作戦行動中、勝手に死ぬ自由を兵士である私たちは持っていない。合理的に考えて、チームの再構築にかかる時間とコストも馬鹿にならないのだ。
「南波、」
「聞こえてる。気にせずしゃべってくれ」
「私たちの位置は、」
「ビーコンなら出しっぱなしだ」
「現在位置を知りたい」
「一時間前にも知らせた」
「教えてくれ」
「一時間前から六キロ南下した。……大丈夫か」
 言いながらも南波は歩き続ける。
「何が」
「歩けるよな、」
「歩ける」
「なら安心だ。歩兵の基本は、とにかく歩いて歩いて歩き倒すことだ。気合い入れていけ、もうすぐだ。とにかく頑張れ」
 南波は訓練助教のような口調で言ったあとは一度も私を振り向かなかった。信頼されているのか、振り返る余裕を惜しんだか。どちらでも構わないと思った。
 そして私たちは保呂那川沿いの国道をまた二時間ほど歩いた。途中で二回休憩した。今が八月、せめて七月なら、と私は思った。森の中に多少は食べるものが実っているはずだからだ。今の森の中は、蚊とダニしかいない。好んでこんな深い森に入ろうとは思わない。そう考えて、私自身がかなり追い込まれてきていることに気づく。作戦行動中、食べ物を無心しようとする欲求など滅多に抱かない。まだ南波と言葉の話をしている方が健全だ。
 ふたをしたような分厚い雲の底から、ぽつりぽつりと雨が落ち始めていた。
 葉を広げはじめたフキや、森の木々の葉に雨滴がはね、簡易舗装の色がゆっくりと変わっていく。まずい、と思った。私たちの装備……特に戦闘服は防水機能がない。この気温で雨に打たれたとすると、瞬く間に体温を奪われる。体温を維持するのに必要なのはエネルギーだ。高カロリーの食料がなければ、私たちは行軍することもできなくなる。
 やむを得ず、雨宿りを南波に……南波少尉にリコメンドしようと思ったとき、風の音や雨音とは異質の、爆音と呼んでさしつかえのない暴力的な音があたりに響いた。雷鳴に似ていたが、長く尾を引いている。雷鳴でも爆発音でもない。南波はすでに身を伏せていた。もちろん私も同時に同じ姿勢を取る。
「なんだ、」
 私は<野生の勘(CIDS)> を保持している南波に確認する。
「脅威としての警告は来ていない。友軍機じゃないか、」
 音の発信源が航空機であることは間違いがない。
「北からだ、」
 北から。北から飛来する航空機は、敵か味方か、脅威対象でなければ味方機だ。
「見えた、二七〇」
 私は絶対方位を叫ぶ。CIDSを用いなくても、実は南波より私の方が視力は上だった。
「俺も見えた」
 CIDSが捉えると、戦闘情報が付加されるので今度は南波が有利になってくる。
「黒煙を曳いてる」
 かなり距離はある。が、飛び方がおかしい。あの黒煙は、ジェットエンジンの排気ではなさそうだ。
「被弾してる」
 南波が言う。CIDSが光学補正をかけたか、サブ窓に衛星からの情報を表示させているか。
「一機、六四式だ」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介