小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

トモの世界

INDEX|88ページ/126ページ|

次のページ前のページ
 

 シカイは表情を変えずに私に言う。傍らのテーブルの上から、紙巻き煙草を一本取り、ライターで火をつけた。真鍮製のオイルライターは帝国でも同盟国でも広く流通しているものだ。強風の中でも火がつけやすく、構造はシンプルで、壊れにくい。蓋を開くときに派手な音がする。銃でもライターでも、果ては戦闘機まで、道具はシンプルな構造がいい。そして、猛者ほどシンプルなものを好むものだ。私の祖父のように。
「何人殺した」
 シカイは重ねて訊く。傍らのテーブルは焦げ色。さりげない細工が施されていて、それがかえって族長の持つ威厳を際立たせているように見える。
「数えていない」
「撃つときに何を考える」
 鷹揚な口調。だが、声は太く、大きな管楽器を思わせる。
「なにも」
「構えてみろ」
 シカイはテーブルの後ろから、黒光りするような木製ストックのライフルを取り上げた。
 私は歩みより、何も言わずに銃を受け取った。重い。四キロは超えるだろう。
 ボルトハンドルを操作し、銃口の方向に気を付けながら、薬室を開放する。当たり前だが、弾薬は装填されていなかった。驚いたのは、薬室もボルトも、手入れが行き届いていたことだ。これが飾りなどではなく、生きた道具であることを物語る。
 私は渡されたライフルの銃口を床に向け、ゆっくりと支障のない空間へ誘導する。そして、持ち上げ、肩に銃床を当てた。懐かしい感触だった。合成樹脂や削り出し、あるいはプレス加工の工業製品然とした自動小銃ばかり扱ってきた両腕に、工芸品の趣すら漂うボルトアクションライフルの感触は、祖父と巡った野山を思い出させる。用心金の外に右手人差し指を添えて、私はライフルを構えて見せた。照星と照門を合わせ、脇を締める。立射はあまりやらない。茂みの中では必然的に膝撃ちか、伏せ撃ちが多くなる。立射をする場合でも、立木を利用して身体と銃を固定するからだ。
「お前、猟の経験があるのか」
 シカイは煙草の煙を濃く吐き出しながら、言う。
「なぜ」
「さもなければ、狙撃兵か」
「私は狙撃兵ではない」
「ならば猟師だな」
「なぜそう思うのです」
「猟銃の扱いに慣れている敵機だ。それと、目だ」
 私は構えを解く。
「お前の目は、兵士の目ではない」
「私は兵士だ」
「戦士ではなかったのか」
「そう……です」
「帝国は、」
 シカイは立ち上がる。上背もあるが、身体そのものが大きい。肥満しているのではない。フェルトや毛皮といった素材の衣類の下に、鋼のような身体が収まっている。私は部隊でそうした身体をいやというほど見てきた。だからわかる。
「帝国は、我々の猟場を荒らす。同盟軍もだ。何がやりたい。ハイドレートの基地を作りたいのなら、海から上がってくるな。発電所を作りたければ、お前たちの土地に作るがいい。ここはお前たちの土地ではない」
「ここは、同盟国の領土だと思いますが」
「奴らが勝手に国境線を引いただけだ。我々はもう何十代も前からここにいる」
「あなた方の国籍は同盟国にあるはずだ」
「ならばどうする。帝国の戦士。我々を蹂躪するか?」
「そうは言っていません」
「同じことだ。ここ数日、空気が震えている。獲物はみな森の奥に引っ込んで怯えている。挙句、お前たちは夜を昼にした」
 私は答えなかった。シカイは私に近寄り、私の腕からライフルを取り上げた。
「私はこの銃で人間を撃ったことはない」
 ごつい指。まるで老木の枝だ。
 シカイの目。
 深く、飲み込まれそうになるような色。紺色。この地の夜の色。
「だが、」
 シカイはライフルをもとの位置に戻しながら言う。
「お前たちがイルワク、私たちに銃を向けるというなら、私はこの銃でお前たちを撃つ」
 静かな声だった。
「だが、今はそれはしない」
 元腰かけていた椅子に戻り、吸いさしの煙草を吹かす。
「撃つとき、お前は呼吸を止めるか」
 シカイが問う。
 撃つとき。
 いつ? なにをだ?
「止めない」
「なぜだ」
「余計な力が入る」
「ではどうする」
「息を吐く」
「それでどうする」
「撃つ」
「なにを撃つ」
「獲物を」
「獲物は、何だ」
「私に向かってくるもの」
「人間か」
「身を守るためだ」
「違うな。お前たちは身を守るために銃を撃っているわけではない。お前たちは、銃を撃つために撃っている。弾薬を消費するために撃っている。必要最小限の弾薬ではない。ありったけの弾を撃つ。ばら撒いている。必要以上の獲物をとることは、帝国の戦士、……神への冒涜だよ。それはわかるか」
 諭すような口調だった。私を非難している口調ではなかった。
「お前、猟師だな」
 繰り返し問いかける。
「いまは違う」
「いまは戦士か」
「そう」
「かつては猟師か」
「……祖父と、山を歩いていました」
「どこの出だ」
「北洋州……柚辺尾」
「海峡の向こうか。椛武戸には来たことがあるのか」
「軍隊に入ってからです」
「なにを獲っていた」
「シカ、オオカミ、キツネ、クマ」
「クマを撃ったことがあるのか」
「一度だけ」
 言うと、シカイは野太い声で笑った。
「帝国の戦士。名前はなんだ」
「入地」
「それがお前の名か」
「トモ」
「それがお前の名前なんだな」
「そうです」
「トモ。お前はクマを撃ったか」
「ええ」
「一発で仕留めたか」
「手負いのクマは、どんな敵よりも手ごわい」
「手負いの動物はみんなそうだ」
「ええ」
「何日かけた」
「クマですか」
「そうだ」
「三日、山の中を歩きました」
「一人でか」
「いえ、祖父と、ユーリ……祖父の友人と」
「ユーリ?」
「祖父の友人です」
「帝国の人間ではない?」
「同盟国の出身です」
「北洋州では、帝国臣民と同盟国同志が共存しているのか」
「あなた方が思っているほどに、私たちは排他主義ではない」
「お前たちの帝(みかど)が言う、『八紘(はっこう)一宇(いちう)』というやつかね」
「言葉なんてどうでもいい」
 私が言うと、またシカイは野太い声を出して笑った。
「同志ユーリとお前はトモダチか」
 トモダチ、という単語を、シカイは帝国の言葉で言った。
「祖父の友人だ。私の友達ではなかった」
「ではなんだ」
「……兄のような」
 兄?
「そうか。兄か。友達はえらべるが、兄弟は選べないが」
「選ぶものでもないでしょう」
「問答はもういいな」
 私は自分の装いがひどく滑稽に思えてきた。鏡があれば私はその前から逃げただろう。おそらく私が着ているこの衣装は、私にまったく似合っていないに違いない。その時点ですでにシカイの前で勝ち目はなかった。もとより勝負するつもりでここに来たのではなかったが。礼を言いたかったのだ。
「帝国の戦士」
「トモ、と言ったはず」
「お前にはその服が似合っている。ギラギラした機械のような銃も似合わない。お前は故郷に戻って祖父の後を継げ」
「……」
「ターニャの家で、お前は小娘のように泣いていたそうだ」
「……」
「私は族長だ。よそ者を、もろ手を挙げて村の中に入れるとでも思うか。ターニャはよそ者を迎えるのにうってつけの係だ。こういうことに慣れている。奴は人の心を啓かせる。私も疲れているときはターニャの家には行かないよ」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介