トモの世界
南波、お前に言われなくても、わかっている。私は帰る。
北方戦域から、必ず帰る。私自身が、冥府を覗きに行って未帰還者となってしまうなんて、話が出来すぎるからな。
姉さん。入地准尉。それでこそ、あんただよ。
聞こえない南波の声が耳の奥で低く呼びかけてくる。
「そうだろう、南波少尉」
私は口に出して呟いてみる。
大きく息を吐く。
眠気が襲う。
夢を、見る予感。
けれど、私は見たくないと願う。
下手に郷愁を誘うような夢ならば、私を弱体化させるのが目的の夢ならば、私は夢を拒絶する。
銃声を遠くに聞いた。
かなり遠く。
私は窓辺から外をうかがう。あの霧は嘘のように晴れた。青い空に、夏の到来を思わせるような雲がいくつか浮いている。黒煙がたなびく様子も、戦闘機や爆撃機が曳く飛行機雲(コントレイル)が幾筋も空をひっかくような様子も見られなかった。
夜明け前に一度目覚めた私は、またしばらくすると眠ってしまった。
夢は、覚えていない。見たような気がする。けれど、ふだんしているように思い出そうと努力することはしなかった。
次に目覚めたとき、日はすっかり上がりきっており、すでに家の中にターニャが活動している気配があった。昨夜の自分を思い出し、短く嘆息する。とめどなくあふれ流れてしまった涙のことを。私は私を見失っていた。ひどい疲れだった。そして、ターニャの微笑みと、この村、この家が醸し出している雰囲気に見事に飲まれたのだ。そう思う。
私はベッドから下りた。
床は板張りだったが、要所々々にフロアマットが敷いてあった。おそらく手織りの、凝った図柄のマット。同盟国の民家を写した写真などでよく見かけるタイプのものだ。国境線を越えているから、この村は帝国の領土に存在しているのではなく、同盟国の一地方に属していることになる。それでもこの村の人々が帝国の言葉を話すのは、経済的や文化的な結びつきが、人口の希薄な国境線の北方よりも、南側、帝国の椛武戸地方がより強いからだろう。
もともとイルワクの人々は、かなり広い地域に居住しているが、結局先史時代からこちら、爆発的な人口増加もなく、産業的な革命があったわけでもなく、そもそも彼らには国家という概念が希薄だと考えられていた。同盟国の沿岸域州政府も、帝国の北洋州庁も、彼らイルワクに対しては、国境線をまたいでの交易や狩猟にとやかく注文をつけることもしなかった。それは彼らが国家を構築することなく、地域ごと、部族単位で生活をしていたからだ。そして、彼らが国家を持たなかったことは、権力そのものを嫌ったということにも通じる。つまり、政府がない。軍事力もない。すなわち、帝国にとっても同盟国にとっても、彼らは脅威足りえなかったのだ。
床に立ち、私はゆっくりと足を屈伸してみる。
筋肉に強ばりを感じたが、昨夜ほどではなかった。そして腕が痛む。4726自動小銃を据銃し続けていた腕は、無残なほどに疲労が蓄積されている。私は立ったまま、自分の腕を交互にもみほぐした。痛かった。かなりの激痛だった。うめきながらも、筋繊維一本一本に溜まっているはずの乳酸を分散させるべく、強張った部分を集中的に揉む。それが済むと、ゆっくりと前屈の姿勢を取る。これもまず背中と足の筋肉が盛大に悲鳴を上げた。遠慮なく、痛みを主張する。私は床に座り込み、時間をかけて両足、股関節、腰、背中とストレッチをした。それぞれがそれぞれに激痛だった。しかし、この痛みを大切にしたいと思った。身体は回復しようと懸命に働いてくれているのだ。
時計で確認し、私は少なくとも八時間ほど眠ったことを知る。それほどの時間を眠ったのは、高泊の駐屯地を出てから初めてだろう。いや、もともと私は睡眠時間が短い。せいぜい五時間程度でじゅうぶんなのだ。それが八時間だ。身体はよほど堪えている。
作戦そのもののきつさで言うなら、風連の発電所奪還戦が数段勝っている。味方はバタバタとやられた。銃弾が私の頭や身体を寸でのところでかすめ飛んでいったのも一度や二度ではなかった。
私たちは訓練で徹底的に自らの身体を痛めつける。この際の「身体」は、「精神」とひとくくりにしてもかまわない。身体と心は不可分だからだ。むしろ、定義づけとして、「心」だけを特別扱いするほうが不自然だ。「心」は身体の一器官である脳がつかさどる。脳は体の一部であり、したがって心は身体の一部である。その「身体」を、訓練では考えうる最悪のシチュエーションをずらりと並べ、苦難のフルコースで鍛え上げるのだ。当然、自分の身体の限界点を知ることになる。人によっては、自らの限界点が思いのほかに高いことに驚くだろう。あるいはその逆。私は前者だった。
第五五派遣隊の教育課程を締めくくるのは、一か月間に及ぶ「卒業試験」だ。教育課程の最終段階にあるとはいえ、訓練の目的は、訓練生を脱落させることにある。合格させるための訓練ではない。振るい落とすための訓練だ。だからこそ、第五五派遣隊の選抜候補者たちから、陸軍全体を見渡しても、この「卒業試験」を上回る訓練は存在しないとまで言われ恐れられている。もちろん、対外的にも部内的にも、第五五派遣隊の内部は広く知られているとはいえない。知らせていないからだ。指折りのきつさを誇る「卒業試験」の過酷さを他と比較できるのは、たとえば一般部隊出身で、一般部隊でも苛烈を極めるという遊撃戦闘訓練を受けた南波たちだ。彼らは口をそろえて、「卒業試験」の異常さを語った。
訓練を進めるごとに、自分や同僚たちの隠された内面が次々に現れる。現れるというより、無理やり引きはがされていく。そこには甘ったるい友情がつけ入る隙などなく、たとえば、一抱えにしても腕が届かないほどの太さの丸太を肩の高さに担ぎ上げ、助教が「よし」の声をかけるまで、いつこの訓練が終わるのかの明示もなく、ただそこで丸太を担いでいるだけの時間が残酷に過ぎるような場合、チームの誰かが力を抜いたことがすぐにわかる。最初のうち、それをカバーしようと努力しても、やがて全員が自分の体力をいかに温存するか、そのことしか考えられなくなる。チームメイトを思いやる気持ちなど消え失せる。そうして、残酷なまでに、人間が裡に抱えている本性を、まざまざと、真正面から見せつけられるのだ。
苛烈。
過酷。
地獄。
私たちが通過したそれらの訓練を語る言葉は、十指に余る。だが、いずれも禍々しく、口に出すのもはばかられるような、そして、聞く人間がけっして真に受け信じようともしない、あまりに日常とかけ離れた言葉の羅列がそこにはある。
私はそうした訓練を通じて、自分自身がときに無神経ともいえるほどに、苛烈な環境に無関心になれることに気づいた。思えばそれが適性だったのだ。過酷な状況が続けば続くほど、私は私自身を自意識から切り離し、客観的に見られるようになった。それは「痛みをコントロールする」あの感覚に近い。
苦痛を受けているのは自分自身だが、それを客観視することで、自分とは別の場所に、自分に意識を投射するのだ。
だから、今回の作戦は、まったくもって苛烈さとは無縁の、比較的簡単な部類に入るはずだった。