トモの世界
私が第五五派遣隊に所属していることは、家族はみな知っている。だが、第五五派遣隊の任務を家族は知らない。表向きに、五五派遣隊はどこの方面軍にも師団にも属せず、統合幕僚監部直轄の部隊として存在している。人材不足の部隊がいるならそこを充足させるために派遣されるタスクフォースの一種、ということにされている。もちろん実態は違うのだが。国防省も公式にはそう発表している。どこにも五五派遣隊が特殊作戦部隊だと明記されてはいないし、事実上は連隊規模の組織であり、いわゆる「兵卒」がほぼいないこと、ほぼ全員が下士官以上の階級であり、部隊指揮官としての教育も受けていること、一般部隊とはまったく異なる装備と、訓練と、作戦を行っていること、それらは一切伏せられているのだ。もともと陸軍の組織図には、その名のとおりの特殊作戦部隊が存在している。広報や統幕が発表する資料には、仰々しい装備やバラクラバで顔を隠す謎めいた隊員たちの姿が映し出され、実際、そうした特殊作戦には全面的に彼らが参加する。
翻って私たち第五五派遣隊は、表向きに前線の人材補充部隊として認識されているため、あけっぴろげに報道されたりはしない。訓練も非公開で、一般部隊の兵士たちからですら、「なにをしているのかわからない部隊」「員数合わせのための何でも屋」といった呼ばれ方をしている。そして私たちは公式行事などに参加しても、顔を隠すこともしなければ、仰々しい装備を身に着けることもない。一般部隊と同じ迷彩服を着、一般部隊と同じ小銃を担いで整列するだけだ。実際の作戦で使用する装備をまとってそうした行事に参加することはなかった。
つかみどころのない部隊。
私がその存在と、本当の姿を知ったのは、陸軍の教育隊に配属され、そこでの兵科希望を募られたとき、私の持つ特性を見いだされ、個別に面談を受けたためだ。私は空挺部隊やバラクラバで顔を隠すような特殊部隊を志願していた。だが、面接官が口にした部隊の名前は、「第五五派遣隊」なるつかみどころのない名前だった。一般大学の文科系学部で、夢の意味だの、言葉の意味だの、そうした世の中で到底役に立ちそうもない研究を四年間していた実績と、元空軍パイロットにインタビューしたように、北方戦域で兵士たちが見るという「夢の場所」に強い興味を抱いていた私の特殊性を見抜かれたのだ。身元調査で、私の祖父が元陸軍狙撃兵であることが判明し、私自身がライフルの所持許可と狩猟免許を持ち、狩猟経験を積んでいたことも関係したかもしれないが、詳細はよくわからない。
五五派遣隊の隊員はみなどこかおかしい。一般部隊出身だという南波や、極限状態を日常として体験したいとのたまった蓮見や、同室だった敷香防衛戦で戦死した嶋田准尉、みなおかしな連中だと思う。五五派遣隊にいる動機が分からない。そして、お互いにその動機を自ら話そうとしない。話したところで、その動機が、他人には理解できない。
私は、ワタスゲの原が実在するのか、……パイロットや兵士たちが北方戦域で遭遇した不思議な場所が本当に存在するのか、探したかった。冥府の入り口があるのなら、その入り口まで行ってみたかった。私の動機を端的に話すとすれば、それだけだ。
そうして私は、それまでの日常を失い、非日常が延々と続く日常を手に入れた。
思えば私は、確たる自分の意思で二八年間の人生をまっすぐに歩いてきたとは言えない。ライフルを持ったのも、祖父の猟に同行するようになってからだ。そして、私が自発的にライフルを持ったのではなく、祖父が私にライフルを提供してくれた。引き金を引くのが私自身の意思だとしても、根本的には私の意思でこの道を選んだわけではなかった。
なぜここにいるのか。
自答していた。
私自身に私自身が尋問できるなら、じっくり時間をかけて訊いてみたかった。
なぜ、ここにいるのか。
物理的に、いま、私が、ここにいる理由は……この場所がどこなのかをまず思い出すことから始まる。
私はようやく半身をベッドから起こした。
部屋。
ベッドと机以外に何もない部屋。
あのあと私は蓮見と分かれ、セムピに連れられ、この家に来た。ターニャと呼ばれた中年の女性が待っていた。セムピやイメルら生粋のイルワクとは明らかに人種が違うようで、北方会議同盟(ルーシ)連邦の国民そのものの顔をしていた。私より頭半分背が低く、やや太り気味の身体をしていたが、青く優しい目をしていた。そのまなざしを私はやはり懐かしいと感じた。初夏の北洋州の晴れた空を思わせる瞳に見つめられ、私は強ばった身体が緩むのを感じた。
「ようこそ」
薄汚れた、というより、汚れきった私の両肩にターニャは手を載せ、親愛の情を示してくれた。それに私は戸惑ったのだと思う。その場で返事はできなかった。
「トモ、このターニャがお前の世話をしてくれる。なんでも頼め。まずは水でも浴びて、着替えることだな。こういってはなんだが、ひどい汚れと、……ひどい臭いだ」
セムピの声音はずっと変わらない。私の肩をセムピは一度だけ軽くたたき、そして去っていった。微笑むターニャと、粗末だががっしりした造りの家、そして青く夜の世界に沈みかけた村。私の周りにあるのはそうしたものだった。敵意。そんなものはなかった。ターニャの本当の名前はタチアナと呼ぶのだろうなと漠然と考えながらも、どうでもよくなってきた。
私はターニャに招かれ家に入った。居間では薪ストーブが燃えていた。電気は通っているようだが、この村のインフラ水準は、半世紀前の柚辺尾のレベルに近いだろう。白熱灯に、テーブルに椅子。たとえるならば、長姉が私に話してくれた、北の異国のおとぎ話に出てくるような、そんなしつらえだった。
ターニャは私たちの言葉に堪能だった。ところどころに連邦訛りを感じたが、まったく問題にならなかった。ターニャは優しく私を迎えてくれた。ひどい違和感を覚えた。だが、私の身体はターニャの優しさで一撃に弛緩してしまった。私は居間の真ん中でそのまま崩れるように座り込んでしまった。頭半分下に見えていたターニャの顔が、見上げる位置にあった。笑っていた。
私は泣いた。
なぜか泣いた。
嶋田准尉が宿舎の部屋に帰ってこなかったときにも一滴も流れなかった涙が、あふれた。
ターニャは微笑んだままで、私の頬に手のひらを添えた。暖かかった。
ターニャの手は、私の戦闘用ヘルメットのチンストラップを解き、機能を停止したCIDSごとそっと外し、テーブルの上に置いた。そして、様々なものが沁みこみべっとりとした私の髪を、ターニャは撫でた。
「休みなさい」
私は反射的にうなずいた。
「着替えがあるから、身体を洗ってきなさい。部屋まで案内するからね」
しばらく私は居間で座り込んでいたが、ターニャの言葉に操られるようにして立ち上がり、ゆっくりゆっくりと、部屋まで歩いた。もっとも、正常な体力の私であれば、ほんの数歩でたどりつける距離だった。