トモの世界
「帝国の戦士。それはお前の生きるための道具だろう。地面になど置くな。そのままでいい」
シカイの目は獣のような力がたぎっていた。まっすぐ視線を合わすと射抜かれる。そして、私は彼の目に類する視線を、幾度となく見てきたことを思い出す。祖父の仲間たち。柚辺尾の近郊にわずかに残った職業猟師(ハンター)たちの目だ。
祖父は陸軍の狙撃兵(スナイパー)だった。出自はもともと猟師ではなかった。冷徹な視線は、狙撃兵の視線。猟師の視線はまさに、部族長シカイがたぎらせているこの眼力だった。
「女の戦士か。たいしたものだな」
シカイは戸口から私たちに歩み寄ってくる。
「こんな子供まで戦争に加わっているとはな。女子供を戦場に投入するのは感心しないな。帝国の先行きも思いやられるようだ」
イメルに負われた蓮見を見、シカイは鷹揚に首を振ってみせた。
「シカイ、この娘はあなたが思うほどに幼くはないようだよ。このトモと十も違わないそうだ」
セムピが言う。
「女子供が銃を持って戦うのか。お前の帝国では」
シカイはセムピの言葉を受け流し、私に問う。
「戦うのは軍人だけだ。女子供は家にいる」
「だがお前は女だ。なぜここにいる」
「戦うためだ。志願してきた」
余計なことは言うなとセムピに言われていたが、私はシカイの言葉に刺激されるようにして話していた。そういう力があるのだ。彼の言葉には。
「お前の齢は」
「……二八」
「若いな。だが、兵隊ならば年寄りだ。お前の軍隊での階級とやらはなんだ」
「准尉」
「部下はいるのか」
「いない」
「いないのか。なぜだ。『准尉』には部下がいるのではないのか。お前は兵隊ではないのだろう」
「私は……戦士だ。部下はいない。私の部隊は、全員が戦士だ」
できるだけ腹から声を出す。そうしないと、彼の前にひれ伏してしまいそうだ。いや、肉食獣に狙いを定められた草食獣のような。いや、それも違う。猟師に追われる獲物。それしか考えられない。
「見慣れぬ風体だからな。そうか、お前は戦士か。自分で言うとはな。たいしたものだ」
シカイは言うと、すさまじく凄味のある笑みを漏らした。不敵。大胆。豪胆。
「この娘はお前の部下ではないのだな?」
イメルの背で細く呼吸する蓮見を一瞥し、私に言う。
「この娘の名前は」
「……ユハ」
「ユハ。この娘の階級はなんだ」
「准尉」
「おまえと同じか。けれど、お前が年長の分、お前が指揮官なのだろう。違うか」
確かに先任は私だ。
「そうだ」
「お前たちのリーダーはどこだ」
「はぐれた」
「全員が同じ階級か」
「違う。リーダーは少尉だ」
南波。奴がここにいたら。いや、そもそも南波が私たち共にいたなら、この村へ来ることはなかったかもしれない。いささかの逡巡も許さない性格。南波。早く、彼と合流しなければ。
「少尉がリーダーか。お前は准尉。……どういう基準で階級は作られるんだ。武勲を上げるのか。それとも、勉強ができる人間が上に立つのか」
「どちらも必要だ」
「お前たちは不思議だな」
シカイはまた笑った。
「ひとまず、お前たちは私たちの村に入った。立っているのもやっとのお前と、立つこともできないこの娘と、それを村の外へ放り出すほど、私たちは掟破りではないからな。もっとも、掟もなにもかもそっちのけで、森も草原も海もなにもかもをめちゃくちゃにしているのはお前たちと北方会議同盟(ルーシ)連邦の側だが」
何も言えない。そのとおりだからだ。
「歓迎はしない」
シカイはセムピと同じことを言う。
「だが、癒えるまではここにいていい。それは許す。お前たちは仲間とはぐれた。そうだな」
私はうなずく。
「そのお前の銃やお前の背中や腰にたくさんつけている機械は、いまは使えないそうだな」
うなずく。
「よかろう」
大仰な言い方だが、不自然に聞こえない。
「期限は区切らん。癒えるまでここにいろ。セムピ、ターニャの家へ連れて行け。この娘は、サーシャの家だ」
「わかった」
「トモ」
シカイが私を向く。
「……それが戦士の目か」
答えに戸惑う。私の目?
「お前の目は、悪くない。私たちから見てもな。同じような色があるようだ」
シカイはそれだけ言って短く笑うと、踵を返し、扉の向こうへ消えた。
「トモ、」
セムピが呼んだ。
私はシカイが消えた扉をまだ見つめていた。
私の目。
戦士の目?
久しく自分の目など、私は見ていなかった。
十五、
目を覚ましたとき、はじめて私は眠っていたことに気づく。しかし、夢を見た記憶すらなかった。さらに言えば、入眠時の記憶もなかった。いったいいつ眠ったのか、それすらまったく覚えていない。
ひどく薄暗い部屋だと思った。
高泊の駐屯地にいるのだ、そう私の思考は判断していた。やや混乱していたのだろうが、目覚めた私の視界には、狭く簡素なインテリアが目につくだけで、それはイコール、駐屯地の自室で眠っていたのだと判断する有力な材料になっていたからだ。
だが、すぐに私は思い出す。
記憶の混乱も数秒でおさまる。
なぜなら、私は、私たちはそういう訓練を受けてきたからだ。反復的に。あるいは、医科学的処置として、直接身体を調律(チューニング)して。
格子の入った窓。窓自体がさほど大きくないのは、冬を主眼にした造りだからだ。二重窓。厚手のカーテン。柚辺尾の私の実家の窓を思い出す。北国のそれだ。
木張りの壁。部屋に隅に置いてあるのは、木製の簡素なデスク。そのほかに家具は何もない。私は横を向いて眠っていた。目を開くと部屋は薄暗かったが、窓から淡く光が漏れていたから、夜中ではないのだろう。天井からはこれまた簡素なランプシェードと白熱球が下がっている。
懐かしい匂いがした。布団からだ。誰かの匂いがする。姉の匂いに似ていた。長姉の匂いだ。小さいころ、私はよく姉の部屋に泊まりに行った。姉は博識で、小説から図鑑から果ては経典に至るまで、諳んじて私に話して聞かせてくれた。思えば、私が都野崎の帝国大学へ進学する遠因の一つは、そうした姉の語りだったのだろう。姉は幼い私の問いに、丁寧に詳しく、必ず答えてくれた。即答できないことは宿題にし、時間をかけても必ず答えてくれたのだ。
その姉とはいつから会っていないだろう。
柚辺尾の家には、いつから帰っていないだろう。
私が陸軍に入隊することは、祖父を除けば全員がいい顔をしなかった。なんのためにわざわざ都野崎の帝大に入学したのか。なぜ戦場に最も近いといわれる陸軍に入隊したのか。
これがたとえば私が進学先に国防大を選んでいたなら、あるいは士官学校を目指したのなら話は違ったと思う。軍人になることに反対されたのではなく、都野崎帝大の、それも文科系学部から陸軍に入隊したこと、それも下士官養成課程を志願したことが、私の家族はみな解せなかったのだ。大学卒なら、ふつうは士官学校か国防大学を志願する。部隊配属と同時に少尉に任官され、いきなり部下は二十人だ。私はそうせず、下士官養成課程を受験し、あろうことか特殊作戦部隊を志願した。